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「そんな簡単に――!」


「二度目だ」


 シルフィードはノワールが騎士として築き上げてきたもの全てを一瞬にして奪った。怨念を記憶の奥底に閉じ込めて、何もかも失い、行き着いた地で第二の人生を生き直していた。

 未練があった。心残りも。だが充実していた。満足していた。それをあの男は再び奪おうとしている。


「あいつは俺の人生を二度も奪おうとしてんだぞ」


 自分がゼロから育んできた七年間の全てを、再び無にしようというのだ。会いたい――たったその一言で。

 フォルテの提案に頷いたことでリアが不満を言うだろうことはわかっていた。わかった上でああ答えたのは、迷いがあったからなのかもしれない。

 シルフィードに会うことへの恐怖。それがノワールを頷かせた。


「っ……ノワ、」


「なーんてな、冗談」


 言葉に詰まるリアの頭にノワールの手が降りてくる。


「ついてくことを決めたのは俺だ。誰かに奪われたとかそんな女々しいことは思ってねーよ。ただ久々にあいつらと会えてやっぱちょっと嬉しいんだわ。だから一日くらい多目に見てくんね?」


「…………」


 宥めるように頭を撫でられる手の温もりを感じながら、リアは口を噤んだ。目の前の人物が一体どんな顔をしてそれを言ってるのか、確認するのが怖かったのだ。


「アーニキー!」


 空気を裂くような声が響く。その声に振り向けば、声の主は満面の笑みを浮かべて近づいてくる。


「許可取れましたー!」


「おーサンキュ。じゃあ戻って飲み直すぞ」


「イエーイ! あ、でも俺とレキはそろそろ仕事に戻んないと」


「そうか、じゃあさっさといけ。俺は酒飲んで寝てっから」


「うぅ~ずるい~! 俺もぐうたらしたい~!」


「おら、おまえもボーッと突っ立ってねーで行くぞ」


「っ、はい」


 寸でのところで返事はしたが、足は完全に地に張りついたまま動かなかった。


「…………」


 強烈な後悔に襲われる。もしかすると自分は彼を酷く傷つけてしまったのかもしれない。

 ノワールは冗談だと笑っていたが、もしそれが本音だったら? いや――間違いなく本音だ。


(簡単なはずがない)


 長い間身に覚えのない罪に苦しんで、やっと落ち着いたノワールの新たな生活をリアは壊しにきた。


「それでもあなたは、私に応じてくれた」


 ぽつりと呟いた声は空に消える。

 ノワールの気持ちに迷いがあるのはわかっていた。それでも今こうして自分と共にいることが彼なりの答えなのだと思っていた。だが違った。

 会って話がしたいのも本音。だが今更会ってどうするのだというのも本音。どちらもノワールの本心で、彼は今もなお悩み続けている。

 ――しかし。


(それでも、あなたの気持ちの整理がつくのを待ってあげられるだけの時間はない)


 彼が答えを模索してる間にも病は確実にシルフィードの身体を蝕み、残り僅かの命数を奪っているのだ。

 迷いがあるのはわかる。気持ちは理解したい。それでも気持ちの整理がつくのを待てるだけの猶予は、ない。

 ――いっそ全てを話すべきか。そうすれば彼の心は決まるだろうか。

 ――再びロディオスのために剣を取ってくれるだろうか。


 ギィ、ッ…………


「っ、」


 廊の床が軋む音が耳に届いた時既にリアの背後には人影が迫っていた。




「ノアさーーーん!」


 ノワールが部屋に戻ってきた途端、エルの泣きそうな声が飛び込んでくる。何事かと目を向けると、見事な薄桃色のフリルがあしらわれたドレスに身を包んだ人物が涙ながらに駆け寄ってきた。


「助けてくださいぃぃ!」


 自分の元に飛び込んできた人物は格好こそ違えど間違いなくエルだ。どうやら少し席を外していた間に女たちのオモチャにさせられていたらしい。それに部屋を見渡せばいつの間にか女たちの数がまた増えていた。


「ふぇっ」


 元々、線の細い丸みを帯びた体格は少女と見紛うほどの愛らしさがあり、この格好を見せられても違和感はない。それどころかよく似合っている。


「お、似合ってんじゃねぇか」


「ハッ! ひどいっ!」


「なんでだよ、誉めてやってんのに。好みだぜ?」


「そんなこと言われても全然うれしくない!」


 保護者の思わぬ裏切りに全力抗議すると、忍び足で背後から迫ってきた女がひょいっとエルを抱き抱えた。


「あらいいじゃない! 今夜あたしと一緒にお客様をもてなしましょう?」


「っ!? ノっ、ノアさんっ!」


 エルは顔を青くさせて震え上がると必死に助けを求めるが、ノワールは手を差し伸べないどころか少年を突き放す一言を告げる。


「いいんじゃねぇの? 別に減るもんじゃないし」


「そんなぁっ! 女の子の格好でなんてぜったいにイヤですよ!」


 冗談ではない。いくら女顔とはいえ自分にも男としての自尊心くらいあるのだ――と、エルは言いたかったのだろうが、その不自然な言い回しから「男の姿だったらいいのか」とノワールは噴き出した。――そのとき。


「どうかしたんですか? 外にまで声が……」


 扉を開けて入ってきたレキの姿にノワールは、はてと首を傾げる。そういえば一度部屋を見渡したときに女の姿は目に入ったがレキの姿はなかった。いつの間にか席を外していたのかと思っていると――、

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