24

 自分の髪を掻き乱す二本の手を押さえようと奮闘するエルだがノワールの力には敵わない。


「もお、ぼさぼさです」


「気にすんな。男前になってる」


「ぜぇったい! うそだ!」


 微笑ましい二人の様子にリアの表情がふっと和らぐ。するとそれを見たエルの顔が瞬く間に沈んだ。


「うう……僕の髪、笑っちゃうくらいおかしなことになってますか?」


「いいえごめんなさい、そうではなくて。エルくんはノワールさんのことが大好きなんですね」


「はい!」


 一瞬だけ首を傾げたエルは言葉の意味を理解すると直ぐに満面の笑みで頷く。拳をグッと顔の前に突き出しながら頷く可愛らしい少年の姿からどれだけノワールを慕っているのか窺える。


「リアさん?」


 リアはエルの頬に触れると、


「わかってます」


 少年にも聞こえないほど小さな声で囁いた。


「? ――あっ! キャンディ!」


 エルは不意にとある一点を見つめてはそう勢いよく言い放つ。


「ノアさんあれ食べたいです!」


「へいへい」


「やった! いきましょー!」


「あっ、待っ――!」


 自然な動作で右手を掬われたかと思った次の瞬間、エルは勢いよく飛び出した。

 子供の引っ張る力だと侮っていたが欲に走る子供の力は思いのほか強くリアはエルに引っ張られるように露店へ向かっていった。ノワール一人を残して。


「ったくあいつは。あれのどこに惹かれたんだか」


 自分から離れていく二人の姿を遠目で見つめる。元々人懐っこい性格をしているとは思っていたが、少年があそこまですんなり自分以外の人間に懐いたのを目にしたのは初めてだった。

 相手はどこにでもいるような女だ。それのどこにあんなにも惹かれるものがあったのか全く不思議で堪らない。

 と思いつつ、自分も人のことは言えないと考えを改めた。


「リアさんはどれがいいですか!?」


「えっと、どれがいいんでしょう?」


「じゃあ僕が選んであげますね!」


 小さな子供に翻弄されるリアを見ていると扱いに慣れてないのが丸わかりで噴き出しそうになる。子供相手にも堅苦しい口調を変えない彼女を変わった女だとしながらも不意にノワールの頭に浮かんだのは、彼女に似た人物と過ごした懐かしい記憶の欠片。


(あーくそ、何思い出してんだか)


 胸の辺りがざわざわする不快さに溜息をこぼす。いまにも人混みに消えそうな二人を追いかけようと足を踏み出したそのとき、前方を歩くリアのすぐそばに一本の不審な腕が伸びてきたのをノワールは見逃さなかった。


「おい!!」


「? なん――、っ!?」

 

 ノワールの張り上げた声にリアが振り返ろうとする寸前。伸びてきた手はリアの肩を勢いよくねのける。彼女の身体はまるで重力に反するように傾いていった。

 段差となった階段で下に向かって傾いていくリアの姿を見たノワールの脚は瞬時に動いたが、時既にリアの片足は完全に地から離れてる。

 咄嗟に何かを掴もうと手を伸ばしたが支えになる物はなく、リアが伸ばした手は空を掻くことしかできない。

 ――落ちる。そう強く感じた刹那。


「っ!!」


 手首が物凄い勢いで引かれる。

 ふわっと浮いた身体は途端に窮屈な息苦しさに包まれた。

 何が起きた――?

 混乱する脳が正常に機能し始めたとき、一番に自覚したのは自分がノワールに抱き寄せられているという事実だった。


「大丈夫か!?」


 呼吸荒く問われる。

 指一本動くことも許されないほど強く抱き締められた体は硬直していて、呼吸するのがやっと。

 彼の胸に収まった耳からは激しく鼓動を打つ心音が伝わってくる。だがそれと同じがそれ以上に自分の心臓も激しく鼓動を鳴らしている。

 リアは思考が追いつかないままこくりと息を飲んだ。

 

「っ――ノワ、」


「エル!!」


「…………?」


 頭上から響いた声に疑問符が浮かぶ。

 聞き間違いかと耳を疑いながらそっとノワールの顔を見上げたリアは、当然ノワールは自分のことを見ているのだとばかり思っていた。

 だが実際、彼の瞳が映す相手はリアではなくその隣。ノワールの位置から見て、彼女の奥にいたエルに向けられている。

 ――つまりこうだ。ノワールは自分の身を案じたのではなく、自分が転倒することで巻き添えを食らうであろうエルの身を案じてリアを助けたのだ。

 全てを理解した瞬間、謎にリアの体中を駆け巡った熱は一気に降下した。


「びっっっくりしたー!」


 突然傾いてきた大きな塊の影に相当驚いたのだろう。エルの目と口はぱちくりと開かれていた。


「怪我は」


「ないです!」


「…………」


 リアは一人、考える。

 ――なんだろうこの会話は。この違和感は。

 助けてもらっているのは紛れもなくリア。体勢を崩した自分を、ノワールは確かにこの腕で助けてくれた。ならばこの場合、どう考えても安否を確認する相手は自分リアではないのか。

 まずリアの無事を確かめたその後エルの無事を確認する。それが正しい順序ではなかろうか。けれどもノワールにはリアなど眼中になく、エルの心配しかしていない。


(あれ……なんだろうこの感じ)

 

 なぜだろう。リアはとてつもない敗北感に苛まれた。

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