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 そうして夜分遅くに訪問したにもかかわらず、事情を聞くこともなく空き家を貸し与えてくれたトマはその後も未知なる育児に翻弄するノワールを手伝い、彼が依頼で家を空けるときにはエルの面倒を見てくれた。

 街の住民には随分と世話になったが、なかでも二人には特に言葉では言い表せないほどの恩があるのだ。


「だっせぇ過去だな。とっとと忘れてくれ」


「それは難しいね。あんたのその顔を思い出すと酒がいつもの数倍は美味しくなるんだから」


「おまえなあ」


「はい、これ」


 弱いところを突かれ苦々しくしていると唐突に話題が切り替わったと思えば今度は受け取れとばかりに差し出された物を手にする。布越しに感じた固い感触にそれが金銭だとわかり思わずロザーリを見返す。


「餞別。どーせ大した蓄えもないんでしょ? あの子もそんなに手持ちがあるようには見えなかったし」


「待てロザーリ。これは」


「だから餞別だって言ってるでしょう」


 受け取れないという言葉を言うことは許されなかった。


「それにあんたの為じゃない。エルの為よ。不満だっていうならいつか倍にして返してくれたらいいから」


 ロザーリの良人的性分もここまでくれば面倒見がいいのを通り越してお人好し、悪く言えばバカだ。

 戻ってくるつもりはないと言ってる人間にここまで世話を焼いても得することはないというのに、ここまで情に溢れた人などそういない。


「ほんと、おまえには惚れるよ」


「あんたみたいなどうしようもない男は願い下げ」


 溜息混じりに言われて、苦笑する。

 確かに自分のような男を夫に持てば彼女は更に苦労することだろう。


「世話になった」


 別れの言葉を言うのはどうも性分に合わず、結局そんな言葉を告げると二人は呆れたように笑った。


「元気でやるんだよ」


「エル。この飲んだくれが飲み過ぎないようにしっかり面倒みてやりな」


「はい! トマさんもロザさんもお元気で!」


 背中越しに二人の気配を感じながら、ノワールは振り返ることなく夜明けのバレッティアの街を進んだ。



  ***



 街外れの草原に立つ二人のもとにリアがやって来たのは、約束の時間を遥か過ぎ朝日が半分まで昇った頃だった。


「おせえ」


「申し訳ありません! 予想以上に時間がかかってしまって」


息を弾ませながら目の前に立つ少女の、出会ったときの格好とは異なる華のある姿にノワールが訝しげにリアを見る。


「おまえその格好はなんだ」


「あ……実はロザーリさんが服を新調してくださったんです。大丈夫だと言ったのですが代金はあなたにツケておくから気にするなと言われて」


 袖口が大きく開いたシャツは脚の付け根辺りまであるだろう丈の長さでスラッとした体型を引き立たせるかのように腹部を太めのベルトで絞っており、裾からちらりと覗かせるのは動きやすさを重視したのだろう短めのパンツスタイル。乳白色の太股を露出させたその下は一目で上等な生地で作られてるとわかるロングブーツを履いていた。上から下まであの店の上等な生地で染められているということは、一体総額いくらになることやら。


「っ、あの女……」


 ツケでいいと言った瞬間からこれか。どれだけ借金させるつもりなのだ、あの悪女め。


「そんで何か聞けたのか?」


 あまりの代わり映えに気を取られてしまったが、リアの放った言葉にそう尋ねると返ってきたのは首を振る仕草。


「記憶にあるのは首飾りのことだけでした。どこを中心に活動してる者なのか、どんな顔をしていたかなどは何も覚えていらっしゃいませんでした」


 あの話の後、翌日ここで落ち合う約束をしてから別行動を取っていたのは双方共にやらなければならないことがあったから。

 ノワールとエルは身辺整理。そしてリアはバレッティア兵に拘束されたキーラに会いに行った。

 犯罪者となったキーラだがさすがはマフィアのボスの娘。数時間も経たないうちに釈放された彼女は屋敷に戻っていた。

 再会した彼女はベッドに座ってただ一点をじっと見つめていた。

 試しに話しかけてみれば少しの沈黙の後、口を開いてはリアの問いに簡潔に答えて、話し終えるとすぐに口を閉ざす。尋ねたことには全て答えるものの、表情一つ変えることはなくそこに一切の感情がなかった。

 それはまるで、心を失った空っぽの身体がそこにぽつんと置かれてるだけとような、例えるなら人形と対話してるような感じだった。


「それあいつ大丈夫なのか」


「おそらく魔石の後遺症でしょう。健康状態に問題はなさそうだったので心配ないかと。それより」


 ふとリアの視線がノワールの背後にいく。

 彼女が見ているのは、ノワールがメイビスに預けていた、彼の持つ唯一の武器。

 黄金と白銀が混ざり合い緻密で繊細な模様を施された美術品のようなそれは一流の鍛冶職人が作り上げた最高傑作。“彼女”がノワールに授けた剣。


「やはり持ってたんですね」


 全てを失っても、それだけは手元に残していた――。

 涼しい顔をして何もかも見透かしたように微笑むリアに、ノワールは本当に食えない女だと心の中で悪態をついた。


「エルくんのことですが」


 リアは唐突に切り出す。

 草の上に屈みじっと何かを観察するエルを見て、声が届かないようにトーンを落とした。

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