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 そして覚悟を決めたように唇を震わせたそのとき、


「リアさん!」


 ぴょこんと姿を現したエルの登場にリアは咄嗟に胸ぐらを掴んでいた手を離す。


「ど、どうしたんですかエルくん?」


「ノアさんの言ったことなんてちっとも気にしなくていいですよ! リアさん、すっごくキレイですもん!」


 屈託のない笑みがリアの心を癒す。

 今はノワールが放った失礼な発言よりもずっと重要な駆け引きをしていたのだが、汚れを知らない純粋な子供を前にすると良心が邪魔をして無下にできない。

 どうしたものかと顔を上げるとさっきの挑発的な男の顔が幾分穏やかになっている。


(この子の前だから?)


 だとすると彼はこの少年の前ではそう容易く嘘は吐けないのではないだろうか。


「本当に優勝したら彼は私と会ってくださるんですか」


 リアが問えばノワールは言い淀むことなく答える。


「そう言ってる」


 信じられる確証はないが、信じるしかない。

 二日だ。あと二日待てばいい。

 まるで暗示をかけるように心の中で繰り返す。そして漸く決心を固めた瞬間、店内から大きな破裂音が響いた。続いて聞こえてきたのはハウラとロザーリと思われる慌ただしい声。

 何事かと顔を見合わせた二人は試着室を出た。




「おいどうした。なんかすごい音したけど……」


 店内に戻ったノワールはそう声をかけて、言葉を失った。


「――あら」


 顔が充分に隠れるほどつばの広い真っ白な帽子を被った人物はノワールの姿を見つけると僅かに口角を上げて上品に微笑む。

 そして彼の名を呼んだ。

 ――その名が禁句とは露知らず。


「あなたもいたのね、ノワール」


 彼女の声に反応したのはノワールではなく。


「え……」


 それは思わず出てしまったというようなリアの声だった。

 さっきまでの形相を忘れさせるほど大きな目を更に見開いて自分のことを凝視する少女の視線にノワールは苦笑するも内心で狼狽える。


(おいおい嘘だろ。ここでおまえが来るのかよ)


 完全に予想外の事態だ。

 リアは思考が追いつかないのか、混乱で声が出ない代わりに穴があきそうなほど熱烈な視線をノワールに向けてくる。

 ノワールは少女の熱視線から逃げるように突如出現した女の相手をした。


「ごきげんよう」


「……よォ、イザベル。今日も綺麗だな」


 帽子を取った先から現れたのは、長く伸びたブロンドの髪がよく似合うまさに淑女と呼ぶに相応しい顔立ちをした女性。


「どうもありがとう。あなたにそう言ってもらえると嬉しいわ」


「そりゃ相手はバレッティアのお嬢様だからな。しっかり媚売っとかねぇと」


「素直な人ね」


 ノワールの含みを持たせた言い方にもイザベルと呼ばれた女性は笑みを絶やさない。

 なぜ彼女がここにいるのだと疑問を抱きながらもまずは冷静に状況を把握する。

 慌てた様子で席を立ったハウラの足元には割れたカップが落ちていて、中のコーヒーが床に小さな染みを作る。――凄い音の正体はこれだ。

 タオルを持って戻ってきたロザーリは呆れたように小言を口にする。


「全く何やってんのよ。ボケるにはまだ早いでしょう」


「ああすまないミス・ロザーリ」


 ハウラは申し訳なさそうに床を見るが同時にどこか落ち着かない様子で視線をあちこちに移動させている。それはもう不自然なほどに。


「私が突然入ってきてしまったせいで驚かせてしまったのよね。ごめんなさい」


「あんたが謝ることはないわよ。全部このヒゲのせいなんだから」


「そ、そうだとも! 全てはこの私がやってしまったことなんだ。すまないミス・ロ――」


「あーもういいからあんたは動かないで。破片踏んで撒き散らされたら面倒だから」


 ピシャリと叱ればハウラはその場で固まる。

 自分よりも遥かに年下の相手にきつく言われても言い返さないところが彼の人柄をよく表しているがそれにしても、情けない。

 手伝いますと駆け寄ったエルが共に散らばったカップの破片と濡れた床を片付けた。


「さて、改めていらっしゃいキーラ。けどまだ休憩時間なのよ」


「そうだったのね。クローズの札は見たんだけどいつもこの時間は開いてたから札を取り忘れてるんだと思って入らせてもらったの。でも……先約があったのね」


「急な依頼が入ってね。今日はこのまま閉めるつもり」


「いや何もそこまでしなくても」


 店を閉めるとロザーリの稼ぎに影響する。流石にそこまでは甘えすぎだと思ったがロザーリは「お黙りなさい」と一喝した。


「やるって決めた以上完璧な物を作る。そうじゃないと私のプライドが許さないのよ」


「そう。それで珍しい人がいたのね」


 興味深そうな声が届く。

 キーラは店とは不釣り合いな二人を交互に見る。探るようなその視線をノワールはクールに流すが、もう一人は駄目だった。


「あーっはははは! いやーそれにしてもキーラ嬢はいつ見ても美しいな。おや!? その首飾りは初めて目にするものかな? とても似合っているではないか!」


(おいっ)


 心地悪い視線から逃れようと必死に別の話題を作るがこれでは必死すぎて逆に怪しまれる。ノワールは思わず突っ込みそうになったが、意外にも彼女はハウラの言葉に機嫌を良くしたようで首飾りに触れた。

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