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 呆れて言葉が出てこない。まるでとんでもなく頭の回る狡猾な詐欺師に騙されたような、そんな気分だった。



  ***



 コトン――。目の前に可愛らしいデザインのマグカップが置かれる。

 男二人で暮らすこの家には不釣り合い過ぎる陶器の食器。もちろん彼らが購入した物ではなくトマが譲ってくれたものだった。

 湯気と共に香る苦みを含んだコク深い匂いがコーヒーだと知らせる。


「ありがとうございます」


「お砂糖とミルクは入れますか?」


「ではミルクをお願いします」


「はいっ」


 とくとく、とミルクを注ぐ。リアは再びエルに礼を告げコーヒーを口にした。


「おまえ何懐いてんの」


「ふえ? だって……」


 エルは胸が高鳴っていた。無理もない。ノワールの女遊びは最早日常と化していたが二人で暮らすこの家に連れ帰ったことは一度としてなかった。それは彼なりに考えてくれていたからだろう。

 ――しかし。

 女好き結婚願望皆無の保護者が初めて女性を連れて来たのだ。しかも相手は格好はともかく品があって美しいバレッティアの花のような女性。兵士に追われる彼らの姿を見送ったときは何事かと狼狽えたものの、まさかこんなことだったとは。

 家に連れ帰ったということはすなわち本命ということである。


「ふっふっふっ」


「おいチビ。変な想像するな」


「あーひどいノアさん! チビは言っちゃダメですってばー!」


「あの、ノアさんというのは?」


 リアが尋ねる。エルがノワールを呼ぶ際の愛称を不思議がっているようだ。


「僕小さいときノアさんの名前がちゃんと呼べなくてずっとノアさんノアさんって言ってたんです。それで」


 本当はそういう意味で聞いたわけではなかったのだがそれを指摘すると和やかな空気が壊れてしまいそうな気がしてリアは一応納得したように頷く。


「なるほど、そうだったんですね。確かに子供の頃は発音しづらいかもしれませんね。ノヴァさんって」


「あ、いえ。ノヴァっていうのは、おし――」


「おまえはそんなこと聞きにきたのか」


 ノワールが呆れたように問えばリアは途端に表情を固くする。せっかくの会話を遮られたエルは不服とばかりに彼に抗議の目を向けて、


「もうノアさんってばー。いま僕が話してたのに」


「いいからおまえはあっちいってろ」


「うーー、はーーいっ」


 不満げに唸るものの二人の邪魔をする気はないのか大人しく奥の部屋に消える。その部屋は寝室で小さな机もあるため、少年はいつものように勉強モードに入るだろう。

 扉が閉まるのを横目で追っていたリアは姿が見えなくなるのを確認すると視線を前にやる。

 探るような表情が鬱陶しく、無視してカップに手をかけるとリアはやっと口を開いた。


「お子さん、ですか」


「それが“ノヴァ”を探してたことと何か関係があるのか」


 遠回しに関係ない話をするなと牽制される。確かにリアが聞きたいのはそんな話ではない。


「ミュータント討伐でベアーを一人で倒したというのは本当ですか?」


 リアの話には覚えがあった。

 つい十数日前、魔石と呼ばれる物の力によって人間の体長を遥かに超える特殊な変異を遂げた獰猛な獣・ミュータントが、ある村付近の森に生息しているのがわかり、懸賞金目当てのハンターが複数集まった。その中の一人としてノワールもいた。そのとき倒したのは熊のミュータントだった。


「あーそういやそんなこともあったな」


「そのとき使っていた剣を見せて頂くことは可能でしょうか」


 そのセリフにノワールは即答する。


「無理」


「なぜ?」


「あれは今メイビスで修理中」


 メイビスはジフォース各地に店を構える武器屋。店主の名前は男女問わず全員レノンで統一されていて左肩には店のマークの刺青が彫られている。独自のルートで仕入れた武器を売買はもちろん強化や修理など武器に関することならなんでも請け負ってくれるので様々な人から重宝されている。武器を扱う店は様々だがメイビスほど信頼性があり全国に展開されてる武器屋は他にない。


「……そうですか。では他に剣はお持ちですか」


「いや、それだけだ」


「でもフリーのハンター業をされているんですよね。武器がなければ仕事もできないのでは?」


「あ? 誰がそんなこと言った」


「あなたがミュータント討伐をした際に滞在されたイアリーという村で。バレッティアに住んでいるフリーのハンターで名はノヴァだとお聞きしました」


「別にハンターを仕事にしてるわけじゃない。そのときはたまたま持ってこられた依頼がミュータント退治だったってだけだ」


 つまりは何でも屋というわけだ。

 リアは値踏みするようにノワールを見る。


「ハンターを職とする人でも倒すのが困難といわれるミュータントを一人で、それも複数も倒すなんて随分とお強いんですね」


「まぐれだろ。賞金が出来高だったからな。必死になって剣振ってたらたまたま立て続けに急所を突けてラッキーだったってだけだ」


「――ご冗談を」


 ミュータントは適当に剣で突いたくらいで倒せるような獣ではない。そんなことは非戦闘民でさえ知っている。


「生まれはどちらですか」


「さあ」

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