5

「道を開けろ!!」


 ビビビビィィーーーーッ!!


 再度鳴らされる笛の音。重々しい靴音に擦れ合う金属音。威圧感ある口調。バレッティアの治安部隊が街の騒ぎを聞きつけてやってきたのだ。

 祭り騒ぎで華やかな盛り上がりをみせる傍ら、取り締まりを強化するために街全体の警備も厳重になっている。そこであのように派手な騒ぎを起こせば当然、部隊も動くだろう。

 耳をつんざく警笛で一気に正気に戻されると、向かい側の人の群れが続々と道を譲っていくのが見える。

 治安部の狙いは騒ぎを起こしたあの一同。このままでは間違いなく少女は連行される。

 悩んでいるひまはなかった。


「来い!」


「っ!? なっ、なにを――」


「いいから走れ!」


「えっ?!」


 突如目前に迫ってきた男に手首を掴まれた少女は驚いて目を見張りながら掴まれた手首とノワールとを交互に見比べる。だが事態を飲み込めていない少女に有無も言わせず従わせるように叫び、走り出す先はたった今彼がエルと共に歩いてきた方向。

 人混みを掻き分けるように抜け出すと、遠くから無意味な背伸びをしながらこちらの様子を窺うエルの姿が見えた。


「あ、ノアさーんっ! どうでした――って、その人だれ!?」


 尤もな反応だった。騒ぎを止めに行ったはずの保護者がなぜか若い娘を連れて走って戻ってきたのだ。驚かないはずがない。だが今は懇切丁寧に事情を説明してやる暇さえ惜しい。


「エル! 先に帰ってろ! いいな!?」


「は、はいっ! って、え? ちょっ、ノア……えええ?!」


 立ち止まることなく告げると当たり前の如く状況を飲み込めなかったエルの間抜けな声が背後で響くがもうそれどころではない。


「そこの者ーー! 止まれーー!」


 治安部を撒くのは難しい。おまけに行き交う人々が警笛に反応して振り返るたびに逃げるように走る二人を目で追うため、撒くどころか逆に注目を浴びて目立ってしまっているという本末転倒な事態。このまま大通りを走り逃げ切るのは困難だ。


「おい! もっと早く走れねぇのか!?」


「っこれでも! 走って、ますッ!」


 背後から聞こえてきた柔らかな声質に過去を懐かしむのもほんの一瞬。誤って離してしまわぬようしっかりと繋いだ手を握り締めながら少女を裏通りに引っ張り込む。宛もなく出鱈目に角を曲がり突き進んでいくと背後から自分たちに制止を命ずる声は段々と小さくなっていった。


「っ……なんとか撒けたみたいだな」


 警笛が止み、声が完全に聞こえなくなった所でようやく足を止める。ノワールはダン、と膝に手をつくと息を上げながら呼吸を整えた。

 追われていたとはいえ距離はそう走ってない。それなのにこれほどまで息が上がったのは、それだけ動揺が大きかったせいだろうと冷静に自己分析する。


「おい大丈夫か?」


 声をかけると海色の瞳と目が合う。


「っ、はい」


 壁に背中を預け浅い呼吸を繰り返していた少女は乱れた息を整えると小さく頷いた。

 改めて間近で見た少女の顔は素直に美しかった。目鼻立ちがくっきりとして左右のバランスもいい。見事な美貌だ。

 そしてやはり似ている。まるで生き写しのように。

 それでも――ノワールが知る人物ではない。


(だよな。あいつなわけがない)


 人違い。そんなことは初めからわかっていたことだ。

 わかっていたはずなのに、なぜかあのとき身体が勝手に動いた。

 脳が動けと命じたのだ。


「――なにか?」


 突如黙りこんだノワールを不審に思ったのか、首を傾げた少女が顔を覗き込んでくる。


「いや、なんでもねぇ。つかあんな所で騒ぎ起こしてんじゃねぇよ。治安部に捕まってみろ、シャレになんねぇぞ」


「ごもっともです。あの方たちの安い挑発に乗った自分が軽率でした。助けて頂きありがとうございます」


 腰を折って丁寧に頭を下げる少女の姿からは、戦闘で見せた殺気や華麗に身をこなす様など微塵も感じられない。だがこの雰囲気が余計にノワールを惑わす。容姿だけではない。この妙に馬鹿丁寧な物言いも、どこか儚いと感じさせる雰囲気も、少女を自分の知る人物と見間違えてしまった原因。

 重なってしまう。捨てたはずの過去の記憶と。


「ところで……どうして助けてくださったのですか」


「あ? ああ、気分だ気分。たまたま目が合っちまったしな」


 まさか知り合いに似てたから咄嗟に体が動いたなどと正直に話せるはずもなく適当にはぐらかせるとなぜか少女はますます興味深そうにノワールを見る。


「あの」


「なんだよ」


「どこかでお会いしたことはありましたか」


「は?」


 それは想像もしなかった問いだった。

 おもむろに距離を詰めてきた少女は手を伸ばす。その手はノワールの心臓の上に当てられた。


「あなたを見たことがあるような気がするんです」


 ノワールは驚いて少女を見下ろすが、当の本人は純粋に頭に浮かんだ疑問を解決したいとしか思っていないようでノワールの動揺など気にする様子もなく、まるで己の記憶を探っているかのように難しい顔を浮かべたまま彼から目を離さない。


「――――」


 まっすぐに自分を見つめる瞳に心臓を鷲掴みにされたような悪寒が走る。瞬間的に相手の手首を掴むと少女はハッとして距離を取ろうとするが、もう遅い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます