3

「ほえ? なんですか?」


「なんでもねぇよ」


「ああもうっ! それやめてください~!」


 無言で見つめる自分に疑問を抱いたのか、不思議そうな顔をして見上げてくるエルの髪をグシャグシャに撫で回してやると抗議の声が上がる。

 そんな変化を悪くないと思える自分がいる――ということに気付かされたことがノワールは堪らなくむず痒かった。


「おおっ! そこだ!」


「いいぜー、やっちまえ!」


 遠くから聞こえてきた賑やかな声に二人の意識が持っていかれる。


「ノアさん、あれ」


「あ?」


 エルの小さな指が指し示す方向は声の出所である前方の十字路。ちょうど十字の中心を塞ぐように群がる異様な人だかりにあった。

 何かを取り囲むようにして円上に広がる人の群れは囃し立てるようなセリフを吐き、指笛を鳴らして盛り上がっている。

 祭り騒ぎで様々な土地から人が集まるこの時期は文化や習慣の違いから些細なことがきっかけでトラブルに発展することがある。あれもその類いのものだろう。


「なんだろう?」


「どうせ喧嘩だろ」


 エルは前方を見つめながら首を傾げるが、ノワールは興味なさげに手首を振ると帰路へ足を向けた。


「めんどくせえ、ほっとけほっとけ」


「えーだめですよ! もし本当にケンカだったら止めなくちゃ!」


 エルはノワールの性格をよく知っている。兄貴肌で誰からも慕われていて面倒だと悪態をつきながらも困ってる人は放っておけない性分の彼が、まさに出番だと言わんばかりに遭遇した現場を見過ごすわけがない。と、大きな瞳がまっすぐに見つめてくる。

 自分のことを正義と信じて疑わないエルの純粋な心にノワールは参ったなと襟足を掻いた。


「あのな~、こういうのは治安部の仕事でだな……」


 ――本当に面倒くさい場面に鉢合わせてしまった。

 無造作に髪を掻き上げながら前を見据えるノワールの体内からは半分以上のアルコールが抜けてしまった。

 偶然現場を通っただけの自分の出る幕ではない。それに無駄な仲裁に入って騒ぎに巻き込まれるのは面倒である。だがこのまま素通りすると後味が悪いのも事実であり。


「……ったく。いいか、おまえはここにいろ」


「はいっ!」


 溜息混じりに告げるとエルは清々しいほど元気よく頷く。


「チッ、こんなときばっかいい返事しやがって」


 これであの輪の中に行かないという選択肢がなくなってしまった。ノワールは人混みから離れた場所にエルを残して野次馬の中を掻き分けるよう進入する。


「わりぃな、ちーっと通らせてもらうぜ」


 近くまでいくと野次馬の歓声が声援なのだということがわかった。だが飛び交う声は中心に進めば進むほど物騒なかけ声に変わっており、完全に場を囃し立てるような野次となっていた。


「ウォオオオオ!!」


 男の勇ましい叫び声が一帯に響き渡ったのは、ノワールが騒ぎの中心に辿り着いたというまさにそのときだった。


 ドォオオッン――!!


 地面が激しいうねりをあげた。鉄の鎧を身につけた熊のような大男が勢いよく放つ絶叫とともに地面へ振り下ろしたのは本来、木などを断ち切るために使われる小形の斧。それを戦闘に使用できる形状に大きく改良したもの。

 そして、その的となるはずだったのは雲一つないまっさらな空の下に浮き上がった一人の少女。目を見張るほど見事な金色の髪が、まるで踊るように艶やかに揺れる。

 寸前まで敵の攻撃を引き付けた少女は、一瞬の隙をつくように振り下ろされた斧を避けると両脚で強く地を蹴る。その反動で宙に浮いた少女の身体は、まるでその背中に羽根が生えているのかと疑うほど軽やかに空を舞う。

 空中で回転した身体は次の瞬間、俊敏な動きで地面に降り立つと腰に備えた短刀を鞘に収めたままの状態で抜き取り、固い地面にめり込んだ斧を抜くのに手間取る男の背にツゥ――と突きつけた。


「私の勝ち、ですね」


 鼓膜を揺らす鈴の音のような甘い声が小さく響く。

 シンと静まり返った周辺の静寂を表すかのように一帯に吹く温暖な風が衣を靡かせた。


「ッ――ま、まいった……!」


 沈黙を続行と受け取った少女が鞘に手を伸ばしたとき、男は背筋に感じた殺気に息を呑み、額に汗を滲ませながら声を震わせた。

 降参の辞を耳にし、短刀を腰に戻した少女の後方には既に戦闘不能となり見るも無残な姿で地面に倒れ込む複数の男がいる。全員似たような風貌をしていることから、彼らが斧男の仲間だというのがわかる。


「おいおい、嘘だろ」


「あの嬢ちゃん……本当にやりやがった……!」


 この場に居合わせた人々や、騒ぎを聞きつけてやってきた野次馬の殆どが、予想もつかなかった事態に唖然として言葉を失う。だがそれもほんの僅かな時間。


「すごいわ! 十人抜きよ!」


 一人の女性の声を皮切りに、辺りからは歓声やら口笛やらが盛大に鳴り響いた。それはまるで闘技場にでもいるかのように異様な熱気に包まれた盛り上がり方だ。

 ノワールは目の前で繰り広げられた光景に一人だけ着いていけず、取り残されたようにポツンと佇む。


「なんだこれ」

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