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 生き生きした狡猾な笑みはおとぎ話に出てくる悪魔の王様を彷彿とさせるほどの悪役面で、エルは思わず普段の彼は決してそのように非情な人間ではないのだと、いもしない第三者に弁解したくなった。


「ガーーッ! もっぺんだ! もういっぺん勝負しろ!」


「おいやめとけ、今日はもう勝てねーって」


 とっくに消灯された店内は窓から射し込む太陽だけが頼りなほど薄暗い。だがノワールを含めた四人ばかりが集う一角は円卓の中心で灯るランプの淡い光に照らされて、まるで真夜中のような妖しい雰囲気を漂わせている。

 ここでは酒を飲みに来た客が自分の飲み代を掛けたり小金を稼いだりとお遊び程度の賭博が酒のつまみとして日常的に行われているのだが、朝早くから入り浸ってる人間はそういない。


「でもよ~、このまま負けっぱなしじゃ悔しいだろ」


 今朝のカモとなった不運な飲み仲間は強気にも愚痴を洩らすがこれ以上やっても結果は同じだということはわかっているようで、やがてがっくりと円卓に顔を伏せ項垂れた。


「なんだよ情けねぇな、勝負はこれからだろ~?」


「ふっざけんな誰が情けねえだと!? やってやろうじゃねえか!」


「おいだからやめとけって。ノワールも挑発するなよ」


「そんじゃあ最後の一回! な?」


「ったく……」


 男の一人が呆れたようにたしなめるがノワールは悪い顔をして笑う。

 そして再び始まろうとしていた勝負は第三者の声により遮られた。


「おいテメーら、そこまでだ。ノワール、迎えがきてるぞ」


「あ? 迎えだ?」


 カウンターから放たれる強面の亭主の呼びかけに振り返ったノワールは視線の先に小柄な少年の姿を捉えるとあからさまに顔をひきつらせた。


「なんだおまえきたのか」


「『きたのか』じゃないですよ、もう! 目をはなすとすぐどこかいっちゃうんだから。ほら、お酒はそこまでです。帰りますよ!」


 潔く謝るかと思えばこれだ。ズカズカと足を踏み鳴らしノワールの座る席に近寄っていくエルが腰に手を当てて怒る様は、息子というより嫁のよう。


「ハハハッ! ったく、いい嫁さんもらったじゃねえか!」


「愛されてんな~! 羨ましいぜ!」


「うっせえよ。――オヤジ、金ここ置いてくぜ」


「おう、まいど。エル、こいつを持っていきな」


 スキンヘッドに彫られた立派な刺青が嫌でも目に入るその容姿は幼い子供なら間違いなく泣き喚くだろう強面だが顔に似合わず親しみやすさのある亭主は複数の容器が入った袋をエルに渡す。袋から漏れてくるのは空腹の身体に襲いかかる香ばしいトマトの香りとまろやかなホワイトソースの香り。


「わーピッツァ!? それにシチューも! ありがとうございます!」


 ノワールに頼まれて用意してくれたのだろうが、思わぬプレゼントにエルは大興奮。もしエルの尻に尻尾がついていればブンブンと千切れんばかりに振り乱して喜びを表していただろう光景に亭主はなんとも言い難そうな溜息を吐いた。


「本当おまえさんはいつ見てもかわいいな。――おい、間違っても手ぇだすなよ?」


「馬鹿言え。ガキなんかに手出すわけねぇだろ」


「待て待てそこはエルが男だってとこを否定するのが先だろ」


「それもそうか」


 すると途端に下品な笑いが店中から沸き起こる。


「…………」


 エルはとても失礼なことを言われていると気付いたが、相手が酔っ払いではいくら怒っても意味がない。ジト、と冷めた瞳で彼らを見据えながら、それでも愉快な笑声を聞いていると次第と心が温かくなっていくのだから憎むに憎めない。

 街の住民はとても優しくいざというときは必ず助けてくれる人情味溢れる人ばかりだ。エルは彼らの良いところも悪いところも全部含めて大好きなのだが、それを言えばこのどうしようもない大人たちはますますつけあがるから絶対に言ってやらない。


「ほらノアさん! いきますよ!」


「うおっ、引っ張るなって」


「いいからちゃんと歩いて!」


 緩みかけた顔を引き締めたエルは酔いどれ保護者を逃がさぬよう彼の服を掴むと店を出るのだった。もう片方の手には亭主から受け取った温かい料理が入った袋をしっかりと握り締めて。



  ***



 咲き誇る花に負けず劣らずの美女が街を行き交い、どこからともなく聴こえてくる楽器の陽気な演奏が住民の心を和やかにする。

 ――しかし。この男の心はどちらも満たしてくれなかった。


「ったくこれからだってときにきやがって」


 愚痴をこぼしながら握り締めた紙幣をポケットに仕舞い込んだノワールは小遣い稼ぎとしては充分な額を手に入れたというのにそれでもまだ足りないとばかりに心底残念そうに顔を曇らせていた。


「だーかーらー、お酒は身体に悪いからほどほどにしてって何回言えばわかるんですか」


「へいへい、わーってますよ。ぴーちくぱーちくうっせぇな。おまえは俺の母親か」


「なに言ってるんですか。僕はノアさんの息子です」


 ビシッと親指を突き立てて自慢気に訴えてくるエルの姿をノワールは真顔で見つめる。

 特別子供が好きというわけでもなかった。だがこうして日々コロコロと表情が変わり成長していく生物と接していると自分の心にも変化が起こるのだから人というのは不思議な生き物だとつくづく思い知らされる。

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