その2 一緒の生活が始まる
「風雅、テレビはこっちの角に置きましょ!」
「はいよー」
俺は言われた場所までテレビを運んで置く。
「うん、カーテンもこれでオッケーかな」
「ライトグリーンにして正解だったな。部屋の雰囲気に合ってる」
「そうね。あたしの感覚は正しかったわ」
ふふふ、とジャージ姿の結乃が得意げに笑う。かわいい。
専門学校に入って二ヶ月が経ち、六月上旬。
俺と結乃は、今日から同じ部屋で暮らし始める。
築二十五年のアパート。二階建ての上階。四戸しかないので、気にするのは右と真下の部屋だけでいい。リビングと和室が一つ、風呂とトイレはちゃんと別だし、脱衣場もある。
初期費用だけは両親に頼ったが、そのうち返していくつもりだ。毎月の家賃も、俺と結乃のアルバイト代で充分払える範囲だ。
場所はやや結乃の家寄りの地域にある静かな住宅街。結乃は大輔さんの食生活を心配しているし、気楽に帰れる位置でちょうどいい。
「結乃、風雅君、私はこれで帰らせてもらうよ」
「大輔さん、ありがとうございました」
「ありがとねお父さん。レトルト食品に頼っちゃダメだからね」
「ああ、頑張って料理してみるさ」
引っ越しを手伝ってくれた大輔さんが帰った。業者もすでに撤収済み。なので、俺と結乃だけの空間になった。
「はあ、いよいよ同居生活かぁ」
「緊張するか?」
「そんなことない。だって風雅だもん」
「信頼されてて嬉しいよ」
「ねえ、もうお昼過ぎよ。引っ越し祝いに何か食べない?」
「そうだな。出かける……よりは自分たちで作るか」
「じゃあ、やっぱりあれかな」
「あれね」
「何かわかってる?」
「たぶん同じものを想像してると思うぞ。せーので言ってみよう」
「いいわよ。せーの」
『ビーフシチュー』
声が重なった。
やっぱり、俺たちの息は完璧に合っている。
†
「あたしたちはカレーよりこっちが向いてるみたいね」
「そうだな。前も作ったし」
カーペットを敷き、ローテーブルを置いたリビングで、俺たちはビーフシチューを食べていた。今日は少し甘みのある味を意識して作った。たぶんうまくいったはずだ。
「おいしい……。味付けは風雅に任せた方がよさそうね。あたしはお野菜を切るだけ」
「結乃は綺麗に切ってくれるから、出来上がった時の見栄えがいいよ。特にジャガイモ。大きさにばらつきがない」
「まあ、そういうところは気にするから。風雅も意識してたのね」
「バイト始めてから、料理の見栄えは気にするようになったな。前は味がよけりゃいいだろとか思ってたけど」
「見た目が悪くて味がよかったらそれはそれで意外性があるけど」
「いやいや、外見で引かれたらその時点できついんだよ」
「そうよね……」
結乃の声が急に小さくなった。
「どうした?」
「昔の自分を思い出しちゃって……ほら、前はもっと目つきとかきつかったでしょ、あたし。見た目で引かれてたのかなぁって」
「俺はそのきつさで好きになったんだけどな」
「あらためて聞くと、風雅ってちょっと変態っぽい?」
「おい。さすがにそれはひどいぞ」
「だって、いきなり睨んでくるような相手を好きになったのよ? 普通は引くと思うけどな」
「結乃にはそうさせない魅力があったんだよ」
「わかんないなぁ……」
「誰にもわからなくても、俺にだけわかるものがあったってこと。おかげで今があるんだぞ」
結乃が微笑んだ。
そう、その笑顔。
すっかり出会った頃の険しさは消えている。それでも、俺の目にはいつだって結乃が魅力的に映っている。
「結局のところ、俺はあらゆる面で結乃を愛しているんだな」
「な、なに急に恥ずかしいこと言ってんのよ!? ジャガイモ詰まるかと思ったじゃない!」
「素朴な思いを述べただけだぞ」
「うぅ……あなたって不意打ちでストレートを投げてくるからびっくりするわ。初めて話した日も急に告白されたし」
「あ、この話やめよう」
「なんで?……もしかして、思い出して恥ずかしくなってきた?」
「さ、さあな」
「やっぱりそうなんだ。あれはホントに驚いたわねー。「連絡先教えて。惚れたから」みたいな感じだったっけ?」
「や、やめろおおおおっ」
「ふふっ、顔赤くなっちゃってる。相変わらず反撃されると弱いわね。かわいいなぁ」
「くそぅ……」
一気に体温が上がってしまった。
あの頃の俺は本当にどうかしていた。風来坊気取るってなんだよ? 痛すぎるだろう……。
慌てている俺に、結乃が肩を寄せてきた。
「でも、こうやって「愛してる」って言ってもらえるのはすごく幸せ。一緒の生活、楽しみね」
俺は心を鎮めて、自分の肩を結乃に合わせた。
「そうだな。楽しくやっていこう」
†
「えいっ」
ずざーっと、パジャマ姿の結乃が布団に頭から滑り込む。
深夜なので、下の人に迷惑をかけない程度に軽く。
「やっぱり和室よね。今からオールフローリングには変えられないわ」
「だよな。和室ある部屋にして大正解だ」
俺も結乃も、ほぼ和室だけの家で育った。物件を探す時も、フローリングしかない部屋はさっさと除外する程度には和室を求めていた。
「畳の匂い……これがないとダメなのよ……」
「畳は最強だよな……」
結乃の隣に座る。
布団は二つ。
まだ、一つの布団で一緒に寝ることはしないと決めた。俺たちらしく、段階を踏んで、ちょっとずつ環境を変えていくのだ。
「電気消すぞ」
「お願い」
部屋が暗くなる。
住宅街の中なので、街灯の明かりがかすかにカーテンの影を浮き上がらせている。
薄めの布団をかけて、ぼんやりと何もない空間を見つめる。
本当に結乃と一緒の生活が始まったんだな。隣に彼女がいるというのに、なぜだか実感が薄い。
「あんまり実感がわかないな」
結乃がつぶやいた。
「一緒に暮らすことか?」
「うん。今だって風雅が隣にいるのに……」
思わず笑ってしまった。どこまで俺たちの呼吸はぴったりなのだろう。考えていることも同じとは。
「これから毎日こうやってれば、だんだんわかってくるんじゃないか」
「そうかもね。風雅、あたしが寝てる間にちょっかいかけないでよ?」
「俺を信用しろ。この圧倒的に臆病な彼氏を」
「何それ。自慢なの?」
結乃が面白そうに言う。
「自虐かもしれない……。まあ、心配するようなことは起きないって話だ」
「実はわかってるんだけどね」
「こら。また俺をからかったな」
「でも、そういう風雅だから安心して隣で眠れるのよ。期待を裏切らない返事で嬉しいな」
「早く寝なさい」
「はーい」
結乃が布団を動かす音がした。
「おやすみ、風雅」
「ああ。おやすみ、結乃」
†
翌朝、目が覚めていくと同時に、思うように体が動かないことに気づいた。
……なんだ?
左腕を見る。
結乃が抱きついて寝息を立てていた。
俺の手首のあたりで腕を交差させ、掛け布団なしにすうすうと眠っている。
六月とはいえ、油断すると風邪をひく。
……そういうところも好きだぞ。
俺は笑って、自分の掛け布団を結乃の方にずらした。
彼女が目覚めるまで、俺もこのままでいようと思う。
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