62話 学校では自重します

 俺はとぼとぼ朝の通学路を歩いていた。


 いつもの十字路に、今日は結乃がいないのである。


 当たり前すぎた光景がない。

 それだけでありえないほど俺のメンタルはダメージを負っていた。


 今朝、


『今日は莉緒の広報活動に協力するから一緒に車で登校する予定』


 というメッセージが来た時、俺は布団に沈み込んだ。いやまあもともと寝ていたのだが。


 しかし、星崎の車に一緒に乗せてもらうと大輔さんが怒るなんて話もあったのに、今日は同じ車で登校。


 変わったのは俺たちだけではなく、大輔さんもではないだろうか。


 校門を抜けると、立候補者と応援の生徒があちこちに並んで「よろしくお願いしまーす」と挨拶をしていた。


 広報活動に参加できる人数は決められているので、各候補者五人までである。


「あ、風雅おはよう」


 星崎のスペースで、結乃が俺を見つけて近づいてきてくれた。胸の霧がすっと晴れていく。……大げさ? しょうがないだろ。


「結乃、愛してる」

「なっ――い、いいいいきなりなに言ってるのよ!?」

「いつもの交差点に結乃がいなくてさみしかった」

「もう、この甘えんぼさんめ」

「かわいいなちくしょう」

「でも、みんな見てるから抱きしめてはあげないわよ」

「くぅ……」

「そんな死にそうな声出されても困るわよ……」


 結乃が眉を寄せた。あまり迷惑をかけてはまずいか。


「まあ、先に教室行ってるよ」

「うん、そうして」


 階段を上がって教室へ向かう。


「やあ道原君。彼女がいないと露骨に元気がないね」


 松橋がうっすら笑顔を浮かべて現れた。今日もしっかり三つ編みにしている。


「松橋か。学校は結乃に会うための場所だからな」

「勉強するための場所じゃないのかな」

「俺は教科書読めばだいたいなんとかなるし」

「そういえば道原君はテストの成績でも上位だったか。じゃあ余裕なわけだ」

「松橋は成績どうなんだ」

「中の上くらい。出題範囲の読みを外すと点数が伸びないんだ」

「苦手な教科は?」

「特にないよ。得意な教科もないけどね」

「優等生タイプか」

「ああ、君に煽られるとなんだか腹立たしいな」

「いやいや、今のはこれっぽっちも煽ったつもりないぞ」


 ふん、と松橋は鼻を鳴らした。


「ところで、わたしは風紀委員長に立候補したんだ」

「えっ」

「誰も立候補しなかったから、もうわたしで確定してる。これからは覚悟しておいてね」

「な、何を」

「校内でのいちゃいちゃは厳しく取り締まるので」

「ま、待ってくれ。どこまでならいいんだ? 頭を撫でるとかならセーフか?」

「アウト」

「厳しい!」

「ちなみにこれが適用されるのは道原君だけだよ」

「なぜ!?」

「気に入らないから」

「弾圧だ! 全力で抗議するぞ!」

「ふふふ、まあ冗談だけどね」

「……とか言って、本当に取り締まりに来るんだろ。お前、色んな人のことよく見てるもんな」

「どうかなあ」


 はぐらかされている……。


「頼む、軽めのスキンシップくらいは許してくれ」

「ふーむ、どうしようかな。ちなみに軽めってどこまで? わたしで試してみてよ」

「ああ……」


 俺は松橋の肩にぽんと手を置いた。


「このくらい」

「…………」

「おーい?」

「ど、どうしようかなあ」

「声が裏返ってるぞ」

「た、たまたまだよ」

「松橋……おまえ実は、とてつもなく男子に耐性がないんじゃないのか?」

「そ、そそそんなことないね。わたしは普通だと思うよ。別に道原君に触れられたくらいで動揺はしない」

「顔が赤いぞ」


 松橋が頬を手のひらで隠した。


「ま、まあとにかく校内で見せびらかすのはダメだからね。忠告はしたよ」

「おい、まだ話は――」

「じゃあねっ」


 自分の教室へ飛び込んでいく松橋。クールに見えるが、一回崩れると脆いところは結乃と同じなのかもしれない。


     †


 放課後、いつもの歩道橋の近くにあるコンビニに俺と結乃はいた。

 俺は温かい缶コーヒーを、結乃はカフェラテを手にしている。


「松橋に忠告されたよ」

「なんて?」

「校内で見せびらかさないようにって」

「それはあたしも風雅に言いたいわね」

「マジかよ」

「だって風雅、学校でも二人きりの時とノリが同じなんだもん。クラスのみんなに見られてるんだからやりすぎはダメよ」

「す、すまん……」


 正論を叩き込まれて返事が苦しくなった。

 結乃と一緒に登校できず、帰りには諭されている。つらい。


「一口飲む?」


 結乃がカフェラテを差し出してくれる。


「これ、ストローだぞ」

「間接キスでしょ?」


 結乃がいたずらっ子のように笑う。


「じゃ、じゃあもらう」


 俺はカフェラテを一口飲んだ。とても甘い。


「やっぱり照れてるわね」

「お、お前が意識させるからだよ」

「意識させたかったんだもん。風雅はからかい甲斐があるから」

「俺の感情をもてあそぶなっ」

「でも、風雅もあたしにやるじゃない」

「ぐっ……」

「だからこれはおあいこ。ところで風雅のコーヒー、一口もらっていい?」

「い、いいけど……」

「ありがと」


 結乃はためらうことなく俺の缶コーヒーに口をつけて飲む。そして「うっ」とうめいた。


「に、苦い……」

「結乃、ブラック飲んだことないっけ?」

「前に一回飲んでそれ以来やめたの」

「じゃあ無理しなくてよかったのに」

「おあいこにしたかったの」


 そう言って笑う結乃に、俺の心はわしづかみにされる。やっぱり今日はいい日かもしれない。


「学校ではひかえめにしてほしいけど、二人きりの時はグイグイ来てほしいかな。風雅のそういうところ、好きだから」

「い、いいんだな?」

「ええ。だから、場所を考えてやっていこうってこと」

「わかった。学校では自重する」

「お願いね」


 俺はこれまでの自分を振り返り、少し反省する。

 自分は平気でも、彼女はそうじゃない。恥ずかしさを感じてしまうということ。


 結乃のことをもっと真剣に考えないとな。


 俺は新たに決意を固めた。

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