夢と現実の境目

 アジ・ダハーカの説明はなかなかに難しいものだった。


 ステラが理解出来た部分をつなぎ合わせると、取りあえずエマが現在見ている夢に入り、彼女の精神に接触しなければならないらしい。

 夢の中に沈むエマの意識に何らかのインパクトを与え、彼女自身のエーテルを使用して魂を元通りにするというのが、最も成功率が高いとかなんとか……。


「魂への効果的な接触の仕方は対象者ごとに異なる。千差万別とも言える中から、最もふさわしい行動を選び、夢の中のエマに示さなければならない。よって、実行出来る者は限られると言っていいだろう」

「問題は、誰が夢の中に行くかですか?」

「そうなる。エマ程の実力者の場合、弱者が侵入するとその者の精神が破壊されるだろう。エマ共々一生廃人として過ごすことになる」

「廃人……うへぇ」


 ステラはベッドの足元に並んで立つカーラウニとパーヴァの顔を交互に見る。

 彼等の表情はそれぞれ暗く、パーヴァに至ってはステラから目を反らした。

 自分たちが犠牲になるくらいなら、エマが寝たきりの方が良いと思っているんだろう。

 だけど、ステラはエマを見捨てたくないと思ってしまっている。

 目を覚ました彼女と一緒に美味しい物を食べて、ノンビリ話してみたい。現在の自分を認めてほしい。


 自分の願望が実現した時のことをイメージすると、自然と口の端が持ち上がった。


「――私が行ってきますよ」

「そうか。まぁ、お主ならば、エマにひねり潰されることなく帰還出来るであろう」

「アジさんは行かないですか?」

「お主が帰って来れるように、現実世界と夢の世界の間にゲートを開き続けるつもりだ。それに、そこに居る二人が眠るお主等に何かしないとも限らぬしな。見張っておくぞ」

「ふむふむ」

「案ずるな。エマを治す為の手がかりは、恐らく分かりやすい形でお主の前に現れるだろう」

「その辺が一番心配なんですけども……」

「やばそうならさっさと引き上げて、別の日にでもチャレンジしたら良いだけだ。心の準備が出来たら、巫女の隣に寝転がるがいい」

「うん」


 促されるままにベッドの布団を捲り、いそいそと中に潜り込む。

 先に横になっているエマの同意も無しにこんなことをするのは本当は良くないことだ。

 しかし今優先すべきは人助け。多少の無礼は後で謝ろう。


「楽にして良いぞ。お主が眠りについたら術をかけよう」

「あ、私も寝なきゃなんですね。この状況で眠れるかな……」


 三対の真剣な眼差しがステラに向いていて、全くもって落ち着かない。

 仕方なしにポケットからラベンダーの精油を取り出し、蓋を開けてサイドテーブルに置く。

 これで少しは眠りやすくなるだろう。


(ええと……。眠れない時は羊を数えるんだったかな。羊が一匹、二匹、三匹……)


 想像の中でモフモフの生物をひたすらに並べていき、百匹程の大群になったあたりでモヤがかかったように全てがおぼろげになっていく……――――


◇◇◇


 ――――目線の先のモフモフは羊……ではなく、空に浮かぶ雲。

 しかも更にその上には曇天どんてんが広がり、いくら雲とはいえ、重なりすぎである。


 今自分が居るのは野外で、草むらに直接寝かされているというありえない状況だ。


 ステラは一つ瞬きをし、上半身を起こす。


「あれ……? ここって、夢の中じゃないよね? どう見ても現実世界だなぁ。どういう状況なんだろ?」


 カーラウニの家で眠りについたまでは覚えている。あの後追い出されてしまったのだろうか? 一度思い込むとそうとしか考えられなくなり、ステラは腹立ちのあまり頬をパンパンに膨らませた。


「カーラウニさん、やっぱり決闘で負けたから根に持ってたのかも。アジさん大丈夫かな?」


 怒りを足取りで表しながら、小道の方向にまで歩いて行き、急停止する。

 いくら何でもこれはおかしい。

 路面が赤土を固めただけの簡素な造りなのだ。


「だいぶ田舎っぽい」


 見覚えのある風景ではないので、自力で帰るのは不可能に思える。

 取りあえず人間を探し出し、場所を問うのがいいだろう。

 辺りを見回してみれば、少し離れた場所に煙がモウモウと立ち昇っていた。

 火を使う生き物は限られているため、そこに居るのが人間の可能性がそれなりに高い。


「あそこを目指してみようかな」


 見た目ほど歩きづらくない小道を歩き、時代錯誤な建物群に踏み入る。

 そこには確かに住民が居た。

 地味な色合いの服に身を包んだ者がフラフラと歩き、忽然と姿を消す。

 ゴーストの一種なのだろうか?

 緊張しながら実体のある人間を探し回っていると、急にクリアに怒鳴り声が聞こえてきた。


「この街から出ていけ!」

「邪教徒はまともな人間じゃない!」

「お願い。これ以上火をつけないで! 中にはまだ――――」

「煩い!」


 建物の影からそっと騒々しい集団の様子を伺ってみれば、彼等の後方で火災が起きていた。会話から判断するに、暴行を加えている側が火を放ったんだろう。

 ステラはいてもたっても居られなくなり、飛び出した。


「何やってるですか! そんなショボイ火、私の魔法でも消せちゃうんです!」


 声を張り上げて、魔法を使用しようとした。

 しかしそれよりも前に、何もかもが消失してしまう。

 加害者も、被害者も、炎ですらも一瞬で見えなくなり、その代わりに一枚の紙がヒラリと地面に落ちた。


「全部消えちゃった……。幻覚を見せられた? 違うな。やっぱりここはエマさんの夢の中なのかも」


 随分と悲しい夢だ。

 チクチクと痛む胸をおさえながら、紙を拾い上げる。

 紙面には古の文字で何やらかが書かれていた。


”ガーラヘル王の弾圧は激しくなる一方です。恐怖でもって、智恵ある神への改宗を迫り、我らの同胞は毎日のように吊るしあげられています。今日もまた家を焼かれた者がおりました。彼女は家も家族を失い、彼女自身も……いえ、これ以上の事を報告する必要はありませんでした。どうか我等に救いの手を……”


 几帳面な文字で書かれた報告書は誰に宛てたのか。

 妙に捨てづらく感じられる。


「この紙はエマさんの大事なものなのかな? 自分で書いたか、誰かからの報告書か。それとも全く別も物なのか……。今はまだ分かんないや」


 早くも滅入ってきたが、ステラは周囲の探索を再開した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る