第202話 現在の勢力と新たな縁(ほぼ説明回)

 ここで戦況を整理してみよう。まず新たに領土に組み込んだ近江(滋賀)は小谷城に浅井氏がいるだけ。いま東の隣国を睨んで、観音寺城を改修している最中だ。半分を領土に組み込んだ越前(岐阜北西部を含む福井嶺北)は一乗谷城を最前線に北が朝倉氏で南が毛利氏。加賀(石川南部)は朝倉氏が一乗谷城に押し込められた影響で朝倉氏に従属していた国人衆が半ば独立状態になっている。

 美濃(岐阜南部)は水害から立ち直れず守護の土岐氏の勢力がかなり衰退。そして史実より二年早く美濃守護代の斎藤利良が病没し、長井規秀さんが斎藤氏の名跡を継いで斎藤利政を名乗り順調に下剋上の階段を登っている。

 毛利氏に臣従の意を表した伊勢(三重北中部から愛知、岐阜の一部)と志摩(三重東端)の北畠氏は恐らく毛利氏への従属を拒んだ一部家臣の粛清があったのでチョット荒れている。

 伊勢といえば、長島願証寺の本願寺証如が、最近三好海雲さんとの和解を求めて接触してきている。どうやら京を離れての生活に心底疲れ切ってるようで、過去に遺恨のある三好氏と和解したうえで毛利氏に降りたいらしい。まあ、三好氏との遺恨を残したままで毛利氏に降ると要らない軋轢を生むから、その辺を清算してから毛利氏に降りたいというのは歓迎すべきだろう。

 様々な特権が剥奪されることに反発している武闘派がいるらしいけど、史実通り袂を分かてばいいのだとアドバイスをしようと思っている。一向宗ではなく浄土真宗本願寺派とかどうだろう?まあ、関東には俺と同じ転生をして一向宗がどれほど厄介なのかを知っている小山田虎親がいるから、武闘派に行くとこは無いけどね。


 次に東海地方だけど、尾張(愛知西部)の斯波氏。守護代の織田信秀さんが三河(愛知東部)の岡崎城を占領したことで因縁の遠江(静岡大井川以西)攻めに意欲を見せていて、三河の松平清康の旧臣を調略し始めている。これに対抗するように、駿河(静岡中部から北東部)、遠江、伊豆(静岡伊豆半島)、相模(神奈川の大部分)を領する今川氏が三河東部の調略を開始したようだ。

 しかも、後顧の憂いを絶つべく、甲府(山梨)、武蔵(東京、埼玉、神奈川の一部)、上野(群馬)、安房(千葉南部)上総(千葉中南部)、下総(千葉北部)を領する武田氏と婚姻同盟を結ぶ動きを見せている。確か史実的にも、確か武田信虎さんの娘を今川氏輝さんに嫁がせてたはず。甲駿同盟が締結されれば、武田氏は未だ状況が混沌としている信濃(長野及び岐阜中津川の一部)に侵出してくるだろう。

 何故なら武田領から北・・・常陸(茨城)より北は伊達稙宗を中心とした伊達氏、二階堂氏、田村氏、蘆名氏、相馬氏、佐竹氏による緩い連合国家になっているからだ。(ただし、陸奥北部(青森)は南部安信が率いる南部氏、出羽(山形、北東部除く秋田)は安東氏が独立勢力として頑張っている。)

 あとは・・・越後(新潟本州部分)の長尾氏、そして能登(石川北部)の畠山氏。一向宗が暴れて勢力が混沌としている飛騨(岐阜北部)、越中(富山)といったところか。






 物凄く簡単に言うなら、関東一円は武田氏が支配。そこから北は伊達連合。東海は今川氏織田氏で一触即発。北陸は東に長尾氏西に畠山氏。中部には土岐氏と織田氏がいて、越前の朝倉氏と近江の浅井氏は毛利氏と敵対して風前の灯火。

 伊勢の北畠氏は毛利氏傘下に収まるべく奮闘中で、そこから西は朝廷と幕府のある山城(京都南部)を除いて全部が毛利氏である。うん。詳しく説明する必要あったのかな?地図があれば説明も一発じゃないか。


閑話休題それはさておき)さて本題である。山城は魑魅魍魎が跋扈する土地で、地理的には周辺を毛利領に囲まれているけど勢力としては将軍家でもある足利氏と公家が仕切る朝廷と自由奔放に振舞う宗教という勢力がある。

 山城内の宗教勢力は八方美人的に朝廷、幕府、毛利氏と付き合っている。幕府も表面上は八方美人的に朝廷、宗教、毛利氏と付き合っている。

 朝廷というか主上は俺が茶道や色々な遊戯盤の指南してる(というか実際には茶飲み友達)関係で名品珍品を献上品として受けているので毛利氏に対してはかなり友好的。

 公家は摂関家だけ挙げておくけど、前左大臣である近衛稙家さんは義兄弟である足利義晴さんを推している。

 右近衛大将である鷹司忠冬さんと関白である二条尹房さんは一応中立の立場。

 内覧(主上の関わる職上全ての文書を先に見る令外官)である一条房通さんは、毛利氏が伊予(愛媛)西園寺氏や土佐(高知)一条氏を臣従させたときに色々と尽力して貰った縁で援助しているので毛利氏寄り。

 そして前関白である九条稙通さんは朝廷の職務から引退し、山城から出ていた・・・


「欧仙・・・いや義父殿。これからよろしくお願いします」


 そういって、とても殿上人だったとは思えない質素な服を着た九条稙通さんが深々と頭を下げる。たしか今年で御年29歳。

 主上から気にかけて欲しいと言われて、史実で隠遁していたといわれる摂津(兵庫南東部から大阪北中部)や播磨(兵庫南西部)を探していたのだけれど全然見つからなかった。

 で、今年から捜索範囲を広げたところ、和泉(大阪南西部)のとある寺院で隠遁生活していたのを発見した。どうやら、播磨は毛利氏の上洛戦が、摂津は堺が完全に没落してたので比較的平和だった和泉に避難していたらしい。

 主上からのお願いと元上司で面識があることから、施薬院の門前村・・・村?の一角に屋敷を用意して施薬院欧仙の名で支援していたのだが、売れげふんげふん末の義女である花梨と意気投合(妻たちの作為的なモノを感じる)し、此度の婚姻の儀と相成ったのである。

 最初は山科言継さんと菊の結婚のように、外祖父(母方の祖父)である逍遙院さんの伝手で、どこかの公家の養女に入ってから嫁がせようとしたんだけど、九条稙通さんが三年前に関白と藤氏長者となるもののわずか一年で経済的理由で未拝賀のまま辞任したということで、話を持ち掛けた時点でどの公家からも丁重にお断りされた。そして何より九条稙通さん自身から難色を示された。


「麿には身分以外に差し出すモノがない」


 そういって九条稙通さんに頭を下げられたとき、何とも言えない罪悪感を感じた。それ以上に自分の事を「麿」と言われて腹筋が崩壊しかけたのは内緒である。結局、九条稙通さんと花梨との間に出来た子供と畝方で生まれた子供を結婚させることで話は纏まり、引き続き九条稙通さんを支援することになったのである。流石に公家の心証を悪くする訳にはいかないよね・・・

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