第166話 淡海乃海に舞う雪

1533年(天文2年)12月


- 京 施薬不動院 -


 細川晴元軍による坂本侵攻とそれに伴う坂本の略奪と焼き討ち、延暦寺の破壊と焼き討ちは世間を大いに驚かせた。坂本の半分が焼失し、住んでいた強硬派、中立派の2,000人近い僧侶が死傷したそうだ。

 そして比叡山に逃げ込んだ穏健派の僧侶にも少なくない犠牲が出たそうだ、事前に避難するように警告したし、それを無視して逃げなかったのだから仕方ないよね。あと寺での略奪を止めようとして殺された僧侶も何人かいたそうなので、名前を調べるように指示を出しておく。寺を復興したときに利用しよう。


「仏敵細川晴元を討て」


 延暦寺が焼き討ちされたことを知った第百六十二代天台座主、覚胤法親王さんが激怒し、各地の信者に檄を飛ばした。やってることが一向一揆とまるで変わらないのは歴史の必然なのだろうか?惜しむべきは、比叡山の兵力が先の坂本の焼き討ちでほぼ全滅したことだ。

 なので、元就さまのところにも覚胤さんの檄に応えて欲しいという要請が来たのだけれど、元就さまは「我が毛利は特定の宗派に便宜をはからない決まりになっております」ときっぱりと断った。

 俺が覚胤さんの救出に手を貸したって?手を貸したのは俺個人で、主上のお願いを断れ無かったのが理由だ。そして毛利にお願いしてくるほど主上は図々しくはない。史実でも、一条房冬さんがコッソリと官位と引き換えに献金したのを知って、その献金を突っ返したエピソードがあったりするからね。毛利も同じじゃないかって?俺が献金したのは主上の即位礼が特等席で見たかっただけです。本当です。その甲斐あって即位の礼は間近で見られてよかったです。


 さて、覚胤さんの発した檄だけど、これに呼応した人たちがいた。北近江(滋賀北半分)の京極高延さんと浅井亮政さん主従だ。どうやら京極高延さんと浅井亮政さん。先の坂本攻めで細川晴元が差配した報酬分配のことで大いに不満を持ったらしい。あと以前から細川晴元の愚痴を延々と聞かされたとか、六角定頼さんとのいざこざを解決するのに六角定頼さん寄りの裁定しかされなかったとか、Gを見るような眼で見下されたとか、積もり積もった鬱積も原因らしい。とくに最後のヤツは俺も気をつけないとな。どこで相手の地雷を踏み抜くか判ったものじゃない。


「で、六角は京極と浅井の挙兵をどう見ておる」


 服部半蔵くんの報告を一緒に聞いていた司箭院興仙さんが尋ねる。


「静観しています」


「晴元は?」


 司箭院興仙さんは堂々と細川晴元を諱で呼ぶ。主上が細川晴元の管領職を解任するように足利義晴さんに働きかけ足利義晴さんがこれに応じたためだ。


「朝倉、六角に援軍要請をしたようですが、六角には先の坂本攻めで約束を違えたことを理由に援軍を断られ、朝倉は雪を理由に返事を保留しています」


 六角にしてみれば、細川の坂本出兵はあくまでも僧兵への恫喝だった。それが蓋をあければ坂本と延暦寺の焼き討ちの片棒を担がされ、皇族の一人を激怒させた挙句に仏敵認定である。これ以上付き合うことはできないということらしい。その辺の事情を元就さまを通じて覚胤さんに取りなして欲しいというのが六角の思惑らしい。


「法親王さまや六角氏との交渉は御屋形様に丸投げしましょう」


「そうじゃな。タヌキの相手は文官に任せよう。こちらはキツネ狩りに忙しいからな」


 司箭院興仙さんは嗤う。


「京の周辺で抵抗活動か、北の若狭(福井南部)か南の尾張(愛知西部)を経由して海路で讃岐に潜伏し再起を図るか」


「晴元がいまいるのは確か湖北の衣川城だったの」


 司箭院興仙さんが零すように、細川晴元は坂本と比叡山を攻めた後、淡海乃海湖北の衣川城に入って動いていない。最初は覚胤さんの身柄確保と比叡山の落ち武者、落ち僧兵?狩りのための衣川城入りだったけど、管領職を解かれ進退が極まっている状態だ。

 あと何の準備もせず衣川城に入ったためほとんど兵糧が備蓄されていない。坂本で手に入れた財で堅田からそれなりの兵糧を買い付けたようだけど搬入はこれからだ。京極高延さんと浅井亮政さんは、そんな状況にある細川晴元を討つ好機と捉えたのだろう。


「京極・浅井連合は勝てるかの?」


「衣川城に兵糧が搬入される前に京極・浅井連合が城を囲めるかどうか。あとは雪ですね」


この時期の日本は小氷河期に突入している関係で冬の寒さが厳しく、雪でも積もれば軍事行動はほぼ取れなくなるといって良い。

衣川城は近くに天神川が流れているので雪が降り始めても食料の搬入はそう難しくないだろう。

一方で京極・浅井連合は、雪が降り始めたらそこから拠点へとUターンだ。そのまま進撃も選択肢としてない訳ではないが、陣地の構築や補給線の確保を考えると分の悪い賭けになるだろう。


「ああ、戦の女神は晴元に微笑んだか・・・」


 「あとは雪」といって視線を外に向けたとき、俺は空からチラチラと舞い降りはじめた白いもの見つけて呟く。厄介なことになりそうだ。

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