第18章 京を越えて
第154話 比叡山が何やら騒がしい
1533年(天文2年)4月
- 京 山城(京都南部) 施薬不動院 -
俺が京の施薬不動院に戻るのと歩調を合わせるかのように、今川貫蔵さんから、安芸(広島)の元就さまが兵5万を率いて、広島城から山陽道を東へ出発したという報告を聞く。これは足利将軍から、主上の即位式に参加するようにという勅命を受けての上洛軍だ。
上洛に併せて、未だ毛利に従属、臣従させてもらえなかった山陽の勢力を従えていく。このパフォーマンスために山陽の勢力からの従属や臣従の申し出は断っていたんだよね。
同時に毛利への臣従を表明した三好海雲(三好元長)さんに呼応するように伊予(愛媛)から元就さまの異母弟である相合元綱さんが兵15000を率いて讃岐(香川)へ土佐(高知)から俺の義父である尼子国久さんが兵13000を率いて阿波(徳島)へとなだれ込む。
「三好殿は?」
「三好殿は兵8000を率いて淡路に上陸。相合さまと合流すべく時期を計っているそうです」
打てば響く。さすが今川貫蔵さんだ。
「貫蔵さんに『角盤』を預けます。相合・三好連合を海上から支援してください。やらかしてもらっても構いません」
「御意」
今川貫蔵さんは僅かに微笑んで姿を消す。
「欧仙いるか?叡山を焼くぞ手伝え」
今川貫蔵さんと入れ替わるように部屋に入ってきていきなり物騒なことを言いだす司箭院興仙さん。
「いきなりどうしました?」
「うむ。あ奴ら、海雲殿が毛利に降ったことで畿内の宗教勢力が変わると思っとる。で、これに北近江(滋賀北半分)の管領殿が後ろ盾として乗っかっとる」
司箭院興仙さんは忌々しそうにつぶやく。北近江(滋賀北半分)の管領殿というのは細川晴元のことだ。
ここで最近の畿内の宗教事情をおさらいしておこう。まず大和(奈良)。古くからある宗教都市で、歴史がある分あまり勢力争いをしているという話を聞かない。
1532年(享禄5年)に、三好海雲さんを追って一向一揆軍が攻め込んできたけど、大和の国人と俺が率いた軍が撃退している。その際、摂津、和泉(大阪南西部)、河内(大阪東部)、紀伊(和歌山から三重南部)にいた一向門徒が、調子に乗ってヤンチャしていたのが祟ったのか、大半が畿内から叩き出されている。
つぎに一向宗。三好海雲さんを排除すべく蜂起するものの、逆に重要な河内(大阪東部)顕証寺、大坂本願寺、山科本願寺といった拠点と信者の多くを失う。山科本願寺にいた本願寺証如は、とあるお公卿さんの要請により俺が保護してコッソリ伊勢(三重北中部から愛知、岐阜の一部)の長島願証寺に熨斗紙を付けて送り出した。それに伴い、畿内と尾張(愛知西部)の一向門徒が伊勢長島に集結して本拠地としたようだが、勢力が長島から広がっていない。これは、尾張の織田信秀さんがイイ感じに削っている結果らしい。まあ、一向宗としても、人はいてもそれ以外がまったくないのだから当然である。
つぎに三好海雲さんによって庇護されている法華宗。摂津を中心に幅を利かせていたけど、今回の三好海雲さんの毛利氏臣従で大人しくなっている。これは毛利氏が法華宗を厚く保護していないから。「毛利領内でヤンチャをすれば、一向宗と同じ道を歩むから手綱は引き締めてね?」と、俺が三好海雲さんにお願いしたのが功を奏しているようだ。
そして今回問題になっているのが北近江の比叡山延暦寺を本拠地にしている天台宗。比叡山は日本に入って来た仏教が分化したゆりかごの地なだけあって、真面目に修行している僧もいるのだが、末端は程よく腐っている。仏教的に五戒という戒め事。いわゆる不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒というものがあるが、彼らはそれらを尽く破っていた。
聞いた話によると、厳つい僧兵が神輿を担いでお布施を寄こせと練り歩いて商家に突っ込んだとか、自称エライ僧を名乗る男が借金の必要のない男に無理やり馬鹿高い利息の金を貸し付け、取り立てと称して男の全財産を身包み剥いで、男は女房子供共々奴隷として売り飛ばしたとか。悪霊が憑りついていると脅して、馬鹿高い除霊費用をせしめたり、安い壺を売りつけたという話もある。無茶苦茶だよな。
なお、比叡山の焼き討ちは史実では織田信長の焼き討ちだけが取り上げられがちだけど、実は織田信長以前にも二度、焼き討ちされていたりする。
ひとりは籤引き将軍と渾名された足利義教。もうひとりは半将軍と渾名された細川政元だ。足利義教も細川政元も織田信長も芸術に精通していて、敵には容赦せず、ついでに家臣の謀反によって討たれているという奇妙な一致があるのも不思議なものである。もっとも、この偶然の一致 (織田信長の例は除くとして)が、比叡山の僧兵を増長させている原因でもあった。
「細川晴元と延暦寺が手を結ぶ。確かに厄介ですね。でも攻めるのは坂本だけでよいのでは?」
「半将軍殿は豪快に焼かれたぞ?唆したのは儂じゃが(※創作です)」
司箭院興仙さんケロリとして言い放つ。「え?マジで?」と聞き返したら、「あいつら調子に乗っていたからな」と返される。
「何れにせよ、これだけの案件を御屋形様に相談なしに実行する訳にはいかんよ」
司箭院興仙さん「いいじゃん殺っちまおうぜ」という言葉はとりあえず聞かないことにした。司箭院興仙さんは細川政元の片腕として活動していた時に比叡山の僧兵にかなり煮え湯を飲まされたんだろうなぁ・・・
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます