第96話 将軍足利義晴は逃げ出した 管領細川高国は逃げ出した

 1527年(大永7年)3月。


 - 石見(島根西部) 矢滝城  -


 ずそ


 緑茶を飲みながら百地正蔵さんが送ってきた報告書を読む。

 報告書には、細川晴元くんの指示で三好勝時が兵2000を率いて堺に上陸して摂津(兵庫南東部から大阪北中部)の堀城を占拠。

 これに呼応するかのように、波多野軍は山城に侵入し山崎城を落とし、そこから京には上らず南下し、摂津にある芥川山城、太田城、茨木城、安威城、福井城、三宅城を攻略すると、山﨑城で三好勝時軍と合流したそうだ。


「六角、赤松、斯波の諸大名のうち細川高国さんの上洛要請に色よい返事をしたのは近江(滋賀)守護の六角定頼のみか」


 将軍である足利義晴の「逆賊討つべし」との上洛要請の檄文にに対し、史実の六角は再三の上洛にようやく腰を上げたハズだけど素直に上洛してくるらしい。

 百地正蔵さんの報告書を経過観察と書かれた箱に投げ入れ、つぎの書類に目を通す。


 つぎの書類には長門(山口北西部)と周防(山口南東部)の復興状況が記されている。非常に順調だ。減っていた住民も安芸(広島)や出雲(島根東部)、石見からの移住。大内義興さんに従って筑前(福岡北西部)に逃れていた公卿や一部の住民が戻ってきている。

 その中には大内義興さんの名前もある。大友氏の上原館の乱で利き腕を負傷して不自由になった義興さんの心は思った以上に壊れてしまったらしい。

 体調を崩し、しきりに周防に帰りたいと家臣に零すようになったという。そんな主を思いやってか、この度、大内義隆くんとの立場を交代することになった。

 なぜそんなことが出来たのか?大内義隆くんの嫁である貞子ちゃんが、先日めでたく嫡男の亀童丸くんを出産し、引き続き人質として石見に残ることになったからだ。


「必ず帰ってくる」


「いや、そこは迎えに来るだろ!」


 というのが、温泉津港から筑前に向かう船の前での大内義隆くんと貞子ちゃんの間であったボケとツッコミらしい。

 あと、大内義興さんの療養先として、史実で萩城のあった場所に城とまでは言わないけど、そこそこ堅牢な館を建てることにした。

 この地で産出される陶器や磁器の輸送のための港を整備する計画があったので、乗っかった形である。


 農地については、検地と今年の収獲の結果から周防は34万石。長門は20万石まで拡張することが可能であることが判明した。

 これに、現在領有する安芸(広島)22万石と石見の13万石を併せると、将来的に毛利氏は90万石近くを治める大大名になるわけだ。

 生産する農作物として目新しいのは、明(中国)から輸入した先日の茶会で主上に振舞った紅茶の茶葉が取れるチャノキ。5人の明の農民を指導員として招聘している。

 産業については陶磁器と、日本最大のカルスト台地か露天掘りでも採掘が可能な石灰石をセメントの材料として産出していく予定だ。


 軍に関しては、長門の西端にある甲山城の大改修が完了。相合元綱さんが守将として入った。

 また安芸武田氏で水軍の将だった福井元信さんと山県就相さんをスカウト。残存していた周防、長門の大内水軍と山陰毛利水軍を吸収して西海毛利水軍を編成した。

 大内水軍と山陽毛利水軍の再編で不要になった関船と小早を譲り受けることで、宇夜弁うやつべ級2隻、市杵島いちきしま級4隻、関船6隻小早15艘という陣容だ。

 なお、新造された宇夜弁うやつべ級1隻と市杵島いちきしま級3隻だが、これ以上、神の名を付けるのは不敬だという声が上がって来たので、西海毛利水軍では宇夜弁うやつべ級に赤城。市杵島いちきしま級には古鷹、加古、青葉という旧日本海軍の航空母艦と重巡洋艦の名前を付けた。(戦艦は国名だから避けた)そして関船と小早には名前を付けなかった。

 え?なぜ俺が名前を付けたのかって?一応、西海毛利水軍の総責任者なのよ。


 周防と長門の次は石見と安芸の現状・・・は山陽毛利水軍が再編を機に呉に本拠地を構えたことぐらいだろうか?

 安芸や石見も道路整備や検地による区画整備を進めているが、尼子派の国人との利害関係の調整が難航していてあまり進んでいない。

 軍については安芸武田氏の水軍が解体されたのを受けて、瀬戸内毛利水軍として再編された。ちなみに、白井水軍、来島、因島、能島の村上水軍、呉海賊衆、小早川水軍の連合である。

 総責任者は能島村上氏の次期頭領である村上義雅さん。陣容は宇夜弁うやつべ級2隻、市杵島いちきしま級4隻、関船6隻小早15艘だ。


 産業で目新しいのは、安芸で牡蠣と魚の養殖を始めたこと。こちらもそれなりに順調らしい。


 カタンという音が鳴り、床の間の掛け軸を掛けている壁が回転し、世鬼煙蔵さんが姿を現す。


「首領。報告があります。三日前、山城(京都府南部)桂川原で幕府軍と波多野、三好軍が激突。わずか半日で幕府軍は敗北し将軍と管領殿は六角を頼って近江(滋賀)に落ち延びました」


 八上・神尾山城の戦いが起きたのは3カ月ほど遅かったけど、結果はほぼ史実通りのオチとなったようだ。

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