第66話建仁寺の恵心さん

1524年(大永4年)9月下旬

- 京 -


 天然痘の原始的なワクチンは、天然痘に罹った患者の膿である。患者の膿を健康な人に接種させて軽度の天然痘を発症させ免疫を得るという人痘法といわれる方法だ。

 後に天然痘に罹った人間の膿疱(膿の水膨れ)にできるカサブタを乾燥させて鼻の粘膜に付着させるという方法も開発されるが、安全性については低かったという。

 この予防法が劇的に改善されたのは1796年にイギリスの医師によって発見された牛痘法である。これは、牛痘が流行した地域の牛飼いの女房が天然痘に罹らなかったことを不思議に思った医師が調査の末に突き止めたことだ。

 ワクチンの接種方法は、膿を二股の針状のもの付け、人間の皮下に刺して牛痘に感染させる。こうして牛痘に罹った人間は、軽い発熱と発疹を発症するだけで天然痘に対する免疫を獲得できるのだ。

 最近になって馬痘に罹った牛の膿がワクチンになったということが解ったということで、ワクチン製造は最初からこの手順を踏んで作ってある。この辺はネット様様である。


「これが疱瘡のわくちんというやつか」


 司箭院興仙さんが、馬痘に罹った牛の膿疱から採取した膿を乾燥させたものが入った陶器の容器を感慨深く眺め、それから自分の右肩にある8つの痣を見る。

 疱瘡が恐ろしいのは、患者から剥がれ落ちたカサブタでも1年以上感染力を保持していること。逆にいうとワクチンの効能もそれに準じているって事なんだよね。おかげでワクチン開発とともに急速に駆逐されていく病気でもある。


「接種方法は炊き出しの際に飯と引き換えが一番怪しまれないでしょう」


 そのとき病気に罹らないための天狗のお呪いだとか何とかいえばいいのだ。


「どれだけ効いて封じ込めるか、まさに神のみぞ知るかのぉ・・・」


 俺と興仙さんは、机の上に置かれた100個の陶器の瓶をみて笑った。



1524年(大永4年)11月


 元就さまに上京の・・・表向きは元就さまの甥である毛利幸松丸さんにご挨拶の許可を得て、諸々の準備を整え、俺たちは京に向かった。

 同行者は、興仙さんに尼子三郎四郎くん、萩屋文左衛門そして粟屋元秀さん。無論、全員ワクチン接種を完了させている。

 旅路は温泉津港から、市杵島いちきしま号に乗って小浜港まで行き、若狭街道を通って京に入るルートだ。


「ようこそ」


 そう言って出迎えてくれたのは、安芸武田氏から別れた若狭武田氏の頭領である武田元光さんの家臣で粟屋勝春さん。同行している粟屋元秀さんとはそれほど遠くない親戚である。


「この度はお世話になります」


 俺はこっそりと革袋を渡す。付け届けの意味もあるけど、急な訪問に対する交通費の意味もある。


「これはかたじけなく」


 元秀さん革袋の重さに若干引いたような顔をしたが、懐に収める。


「手前はこれにて」


 文左衛門が小さく頭を下げてこの場を離れる。明との密貿易で得た織物や領内で生産された唐芋サツマイモや米に塩を売り捌いてもらうためだ。

 あと彼はまだ知らないけど、彼には天然痘が流行したときに備えて、いろいろ動いてもらう必要がある。とりあえず表向き材木の集積地となる場所を探すようにお願いしている。安芸と石見では未曾有の造船ラッシュが起きていているからだ。

 それから半月ほどかけて、俺たちは京に到着した。


 - 建仁寺 -


「ご無沙汰しております恵心さま」


 10歳ぐらいの小坊主に元秀さんが頭を下げるのに合わせて俺たちも頭を下げる。


「うんひさしいね」


 毛利幸松丸改め恵心さんが僅かに笑う。鏡山城の戦いで心を壊され療養のために出家。安芸を離れてから2年。出家させたことは間違いなかったようだ。それから数時間歓談した後、恵心さんに天然痘のワクチンはしっかり接種してお暇する。

 続いて建仁寺の住職と歓談。銅銭5貫文の寄進と毛利氏主催での炊き出しと東福寺の住職の紹介を依頼。翌日、東福寺に赴き同じように銅銭5貫文の寄進と毛利氏主催での炊き出しを依頼する。


 - 京 とある屋敷 -


「お久しゅうございます父上」


 興仙さんに向かって平伏したのは宍戸源次郎さん。


「うむ暫く世話になるぞ」


 興仙さんは大仰に頷くと、続いて源次郎さんに俺を紹介する。ただ、名前は畝方元近でも畝方三四郎でもなく欧仙。

 俺は「毛利家家臣の畝方三四郎元近」と名乗ったけど、源次郎さんは「判ってるよ」みたいな顔をして欧仙殿と呼ぶようになった。

 俺たちは、天然痘の脅威に備えつつ元就さまの官位を授けて貰うよう、源次郎さんの屋敷を拠点に京での活動を開始した。

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