第39話鏡山城の戦い

SIDE 三人称


 鬨の声が上がり、鏡山城から城兵が撤退する尼子兵の追撃に出てくる。三日ほど簡単に城攻めしては撤退をしていれば、鏡山城兵も追撃の兵を出して来るようになる。

 そして同時に城内に戻る城兵に混ざって多治比の工作兵も城に入っていく。しばらくして城内に「大内は九州の鎮圧に時間がかかり援軍は当分来ない」という噂が広がり、蔵田房信の心が折れた。

 蔵田房信は「自らの命と引き換えに妻や子供の助命を嘆願をする」と家臣に伝え、尼子の本陣に向かわせようとしたのだが、これに蔵田直信が反対した。蔵田直信は既に尼子側に内応する旨を侵入していた間者に伝えていたのだ。


「行かせん!」


 城を出ようとした家臣を蔵田直信が背後から斬った。そしてそのまま直信は部下に命じて城門を開ける。たちまち城外から鬨の声が上がり、法螺貝が鳴り響く。

 吉川国経の率いる吉川軍と多治比元就の率いる毛利・多治比軍が城門に群がり、門を打ち砕き突入していく。堀に板が渡され、郭の壁面に梯子が掛けられ、土塁に立てられた木の柵に鉤爪のついたロープが投げられ柵が引き倒される。


「我ら尼子に返忠致す」


 何人かの城兵が叫びながら近くの同僚を切り捨てる。もはや混乱の極みだった。


「えいえい、おー!」


「蔵田房信討ち取ったぞ!!」


 1時間にわたる激戦の上、勝鬨の声が上がった。



「嫌じゃあ!」


 落城した鏡山城の麓にある満願寺で幼い子供の叫び声がそれ以上に大きな泣き声が上がった。


「どうした」


 戦場から戻って汚れをサッパリ落とした多治比元就が怪訝そうな顔をする。


「はっ。殿が首実検を拒んでおります」


 小姓の言葉に多治比元就は片方の眉毛を跳ね上げる。


「武家の頭領が首実検を怖がってどうする」


 多治比元就の後から入って来た鐘馗のような顔の男、坂広秀が顔を真っ赤にして大声を上げる。鬼といった風貌だ。


「性根を叩き直して差し上げねばな」


 坂広秀は笑いながら陣幕に入っていく。多治比元就は苦笑いしながら後に続く。


「殿。どうなされましたか」


 目をギョロつかせながら坂広秀はがなる。


「おお広秀」


 坂広秀を出迎えたのは坂広秀の父、坂広時と地面に寝っ転がってジタバタしているまだまだ幼い毛利幸松丸。


「親父殿が居て・・・幸松丸さま」


 坂広秀はガシッと毛利幸松丸の肩を掴む。


「武家の頭領が首実検を怖がってどうしますか!?」


 坂広秀が顔を近づけると毛利幸松丸が「ひぃ」と小さな悲鳴を上げる。


「おい。それ以上は」


 多治比元就が坂広秀の肩に手を置く。


「多治比殿は口出し無用ですぞ」


 坂広秀はネコのように毛利幸松丸の首根っこを掴むと、首実検が行われる境内へと移動する。


「遅れてしまって申し訳ござらん」


 坂広秀は毛利幸松丸を上座の床机に運んで座らせる。隣りにいた尼子経久。そして吉川国経やこの度の戦に参陣した国人当主がその様子を見て苦笑する。


「よし首を持ってこい」


 尼子経久さんが叫ぶと小姓の一人がすすと前に出る。


「ではまず吉川家家臣。馬庭五郎太が鏡山城城内で討ちし蔵田房信の首です」


 小姓の声に一人の男がやって来て、桶を持って毛利幸松丸の前に出て座る。男は桶に右手を入れて中にあった房信の髻を掴むと引き上げ、左手に板を持ち下から房信の首を受ける。首の耳に左手の親指を入れ、残る指であごをおさえ、右手は頬からあごへあてて持ち上げて、尼子経久、吉川国経、毛利幸松丸に見せる。


「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


 魂消る。まさにそういっていい悲鳴を上げ、泡を吹いて毛利幸松丸は床机からひっくり返り後頭部をしたたか打ち付けた。


「殿!」


 慌てて毛利幸松丸に駆け寄る多治比元就と家臣たち。多治比元就の頭に、畝方元近から「幸松丸おおとのはまだ子供だから嫌がるようなら無理をさせないように」という言葉がリフレインされていたが、もはや後の祭りである。その後、首実検は寝込んでしまった毛利幸松丸に代わって多治比元就が引き継ぐのであった。


SIDE 主人公


 鏡山城の戦いの結果が世木の犬面少年下忍によってもたらされた。侵略した尼子軍が鏡山城を占領。鏡山城側では327人ほどの死傷者が尼子軍側は158人ほどの死傷者が出た。尼子氏大勝利である。

 将兵で戦死したのは城将だった蔵田房信とその一族の盛信。そして返り忠した蔵田直信だが、返り忠は認められなかった。むしろ降伏する意思を固めた蔵田房信の使者を背後から斬ったことがバレて尼子経久さんの怒りを買ったのだ。自刃することすら認められず打ち首となり城門に晒されることになったそうだ。

 またこの戦いのしばらく後、友田興藤が武田光和と周辺国人の援軍を得て厳島の神領郡内から大内勢と厳島神主家の当主だった小方重康を追放。自ら桜尾城で神主であることを宣言した。

 そのせいで助命された蔵田房信の妻や幼い子供たち、その家臣たちは、蔵田房信と蔵田盛信の首と共に海路で大内領へと送り届けられることになった。


 そして厄介で毛利氏として頭が痛いのは、首実検の場で泡を吹いて倒れたという毛利幸松丸さまの評価が広く知られたことであった。

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