第19話

「あーあ、やられちゃったぁ、あのキモいの」


 ビル屋上の貯水タンクの上に腰掛け、白い少女は愉快そうに呟いた。


 足をぶらぶらさせて、両膝の上に両肘を乗せて頬杖をついている。


 彼女のはるか眼下には駐車場があり、そこでは先ほどまで異形同士の戦いが繰り広げられていた。


 決着を見届けて、彼女はふふ、と笑みをこぼす。


「嬉しそうだな」


 少女の後ろから、別の声がした。


 男、と言うのは声で分かる。だが、その姿は人間のものではない。


 虎の頭蓋と、首筋から全身に這うように広がっている黄と黒の毛皮。


 後頭部からは頭髪のように白い毛が伸びており、風に吹かれてかすかに背中をなでていた。


 人間離れした異形ではあったが、まっすぐに伸びた背筋は、それだけでその怪物が相当な知性を持っている事を感じさせる。


「もちろん。バーミッシュが減るのは惜しいけど、これでもうあいつの相手をしなくて済むもの」


 愉快そうに独り言を呟く少女。


 今しがた散った知己を悼む様子は微塵もない。


「そうか。……しかし、あれがハウルか。聞いた姿と違うな」


「それよ、それ。あたしも気になった」


 思慮にふけるタイガーバーミッシュに少女が食いついた。


 よほど気になっていたのか、声のトーンも少々上がっていた。


「まんま狼男のはずなのに、なんであんな姿なの?まるで別モノじゃない」


「混血の影響だろうか。……まぁいい」


 タイガーバーミッシュが跳びあがり、少女の頭上を越えて屋上の床に降りた。


 手すりに手をかけ、下を見下ろす。


 はるか下にいるハウルは、左腕に手をかけるとそこからなにかを取り外す。


 すると、異様な風体は一気にひずむように形を変え、普通の人間へと変わった。


「やはりこの世の者に紛れているか。面白い」


 バーミッシュの視力は悪い。


 ぼやけた視界の中ではものの細部、特に遠方にあるものを見て取る事は出来ない。


 現にこうして駐車場を見下ろすタイガーバーミッシュもハウルを青色のぼやけた棒にしか見えていない。


 しかし、視力の代わりに発達した嗅覚が、ハウルから人間への変化を正確に嗅ぎとっていた。


 目も鼻もないのにおかしな話だが、彼らはそれを感じ取る事が出来るのだ。


 人間の臭いが二つ、ハウルだったものに集まるのが分かる。


 虎の耳が、彼らの会話を拾った。


「あれ、どういう事なの!?」


「お爺さんと全く違う姿でしたよ!?なぜですか?」


「え、えぇと、その、僕にもよく……」


 途端に話が騒がしくなり、タイガーバーミッシュはきびすを返した。


 貯水タンクからはしごで降りた少女の前に来ると、彼はこう言った。


「退くぞ。奴等も今の状況が分かってないようだ」


「あら、優しいのね」


 少女が手を出し、扉を開ける。


 タイガーバーミッシュは空間を切り抜かれて現れた暗い荒野に足を踏み出すと、少女に釘を刺すようにこう言った。


「勘違いするな。……不意打ちが好かんだけだ」


 それだけ言うと、タイガーは荒野の向こうへと進んでいく。


 少女は彼を追う事なく、その後姿を見送る。


 ふと気になって、声をかけた。


「ねえ。お仲間がやられて、悔しくないの?」


 これにタイガーは足を止めた。


「……私は聖人ではない。守る相手は選ぶ」


 タイガーは再び歩き出すと、やがて砂にけぶる荒野の中へと姿を消した。


 タイガーの姿が見えなくなった頃、少女は彼を追わず、扉を閉めた。


 乾いた風が止み、少女はなびいていた髪を直すように手櫛を入れる。


 と、そこで彼女のそばで声が上がった。


「ちょいちょい、ちょーい。ミッチーやられてんじゃーん」


 底抜けに明るい、軽薄な声。


 その声は少女はおろか、地表にいる直達の視線をも集めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る