34 外面と本心

 部屋に入ってきた人物はキャッツアイの想定内だったのだろう。特に慌てることもなく、ただ私との会話を邪魔された程度にしか思っていないのかも知れない。そう思わせる余裕さが彼女にはあった。


「アベル・クレンバロ・デュクドレー。あなた、私の子ネズミちゃんに変なこと吹き込んだでしょう?」


「変なことではない、事実だ」


アベルの毅然としたその態度に苛立ちを覚えたのか、キャッツアイの声はわずかに怒気を覚える。


「レディの昔話を許可なく掘り起こしてその態度は何? 何がしたいの? 場をかき乱したいだけなんてふざけたことはしないでしょう?」


キャッツアイの問いかけは尋問のような圧があった。嘘を許さない、言い逃れも許さないと言う無言の圧だ。


しかしアベルは圧が怖くないのか首をわずかに傾けてため息をついた。


「その、人を見下して、全て思い通りにしようとする癖、やめたほうがいい。他者の意思尊厳を虐げるべからず、だ」


「説教? それともあんたのイカれた宗教の布教活動? やめて頂戴、興味ないの」


「他者の言葉に耳を傾けるべし」


「ねぇ、聞いてた? 興味ないんだって、やめてって言ってるでしょう?」


「他者を抑圧するべからず」


「だから……」


「教えを聞く際は言葉を遮るべからず」


そこまで言うと唐突にアベルは閉めたばかりの扉に後頭部を強く打ち付けた。一切迷いもない、手加減も躊躇もない自傷行為に私は思わず「あっ」と小さく悲鳴をもらした。


キャッツアイはと言うと驚きはしなかったが、苦虫を噛みつぶしたようなとにかく嫌なものを見る目でその行為を見つめる。


ゴッ……という鈍い音と平坦なアベルの声がしんとした部屋に響く。


「他者を畏怖させることなかれ」


ゴッ……。


「他者を敬うべし」


ゴッ……。


「他者を……」


「もうやめてください!」


私は思わず声を張り上げてアベルの言葉を遮った。アベルが頭を強く打ち付けるたびになぜか私の心に彼の悲鳴が聞こえたような気がしたのだ。


短く息を吐き、突然上げた大声に集まった2人の視線を流し見る。アベルは……悪くない。彼は私がキャッツアイに使い捨てのコマのようにされていると思って忠告をしてくれたのだ。そしてキャッツアイ、彼女は……。


「キャッツアイさん、アベルさんと話していたのを聞いていたんですね?」


恐れはあった。アベルが部屋に来るのがもう少し遅かったらどうなっていたのかもわからなかったのもあるが。一番は彼女が自分の過去の話をこっそりとされているのを聞いて傷ついてしまったのではないかという恐れだった。


私はキャッツアイが何をしてきたのか、事務所に来る前はどう生きてきたのかよりもこれから何をしていくのか、それに一番重きを置いて彼女がどういう考えを持っているのかを判断したい。過去のことを全く気にしないなんて綺麗事は言えないが、それでも私は人から聞いた話だけでキャッツアイという存在を測りたくなかったのだ。


「……えぇ、そうねぇ。私が過去に関わった事件にその、靴の話まで。全て聞いていたわ」


悪びれる様子もなく、かといって嫌味な言い方もせずキャッツアイはただ自分の感情を悟らせないような声色で淡々と言った。


じっと私が次に何をいうのか観察するような目つきはきっと多くの人を萎縮させることができるだろう。私だってこの場でなかったら縮こまって何も言えなくなっていたかも知れない。


でも、不思議と怖くなかった。それよりも私が今思って感じていることを伝えなくてはという気持ちの方が大きかった。


「私は、師匠を信じます。過去を全く知らないようには振る舞えないと思いますが ……世界を守ろうとする理由がなんだとしても、師匠が私の力を頼りにしてくれて、それで、いつか話をしてくれたら私はそれで充分なんです。この靴だって、私を何度も守ってくれた……。全てが悪意で出来ているなんて私は思わない……思いたくないんです。だから、師匠。時間がかかってもいいから……いつか私と気を使ったりしない普通の話をしましょう!それで皆でお茶会をしましょう!」


私の言葉にキャッツアイもアベルもぽかんとした表情で固まっていた。甘ったれた言葉に聞こえるかも知れない。綺麗事でふざけた話に聞こえるかも知れない。でもこれが私の本心だ。嘘も偽りもない私の精一杯の言葉だ。


この言葉がキャッツアイの心にどこまで届くかはわからない。それでもここで伝えなかったらいつ伝えるのだ。馬鹿な子供だと思われたっていい。呆れられたって仕方ないと思っている。だけど、キャッツアイの本当の気持ちを何一つ知らないまま彼女のことを否定したりなんてしたくない。


ルキウスだって踏ん反り返って人を見下したように話す男だったが、心の内は1人の友人にかけてしまった誤解を解きたいという純なものだった。それはきっとリュシアンも同じだったのだろう。クリストファーに向けられた感情を逃げることなく真っ直ぐに受け入れ、そして柔らかに心を溶かしたのを私は見ていたからそう思える。


アベルの時だって最初はなんて恐ろしいUHMなんだと思ったが、彼の心の内は少し歪であれど親友であるクリストファーを労りその死を悼む悲しいものだった。


ケイトも人間らしい心を持ちたいと悩み、自分の持つ性質に苦しんで、それでも変えようと。人のように生きようとしていた。


UHMなんて名称で縛っているが、その実彼らは私となんら変わりなく笑ったり怒ったり泣いたり時には悩んだりすることをこの事務所で働いて知ることが出来た。彼らは心無き恐ろしい化け物なんかじゃない。


だから私はキャッツアイの外面だけじゃなく心の内を知りたい。


もし彼女がただの恐ろしい魔女で、人の命なんて何も思ってなくて、心も無いのならこんな悲しそうな顔をしない。


私の精一杯の言葉からどれほど空白の時間があっただろうか。


キャッツアイはその大きな瞳に少しだけ悲しみと罪悪感の色を称えてゆっくりと瞬きをしてから口を開いた。


「そうねぇ、作戦会議なんかじゃないお茶会が出来るようになった時はお菓子を各自持参するってことでいいかしらぁ?」

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