33 魔女

「え……?」


 最初に出た言葉はこれだ。でもどうしてだかアベルの言葉はストンと私の心の中に収まった。キャッツアイが私をはめていて、彼女にとって物事が良いように進むように私が彼女の手から離れたり余計な物事を知らないようにする魔術。


 きっと弟子の契約をした時だと私は思ったが、それはアベルにあっさり否定された。


「その靴、最初から嫌な気配が、そこからすると思っていたんだ。よければ見せてもらえないだろうか」


 そう言われ断る理由もないし、とキャッツアイにもらった赤い靴を脱いで渡そうと靴に手をかけたところで体が固まった。いや、正確には固まってなどいない。靴がべったりと足に張り付いたように脱げなくなっていることに気がついて今更ながらどっと冷や汗をかいて体が硬直してしまったのだ。


「嘘、やだ、なんで……!?」


 無理やり脱ごうとかかとを掴んでぐいぐいと足を引き抜こうとするがびくともしない。それで余計に焦ってパニックになりそうになった時、アベルがそっと私の肩に手を添え首を静かに横に振った。


「無理をさせてすまなかった。キャッツアイの魔術を解く方法は、こっちの方でなんとか探ってみる。夏八木さんはもう部屋に戻るといい。俺は少し時間を開けて戻ろう」


 アベルは言葉には出していないが、キャッツアイにこのことを知られるのは悪手だと思っているらしい。私がキャッツアイについて知ってしまったことなのか、魔術のことなのか、はたまたアベルがそのことを話したことなのかはわからないが。どちらにしろ私もキャッツアイがどうして私を拘束したがるのかを本人から打ち明けられるまで知らないほうがいいような気がした。


「わかりました。それでは先にキャッツアイの部屋に戻っておきますね」


「あぁ、悟られないように、とか、難しいことは言わないが……」


「大丈夫、アベルさんが言ってくれたことを話したりなんてしませんよ。……私どんな理由だとしてもキャッツアイさんの口から説明がある日を待ちたいんです」


 その言葉にアベルは怪訝そうな顔をした。アベルがキャッツアイに好感を持てない理由がわからないわけではない。彼にとって彼女は得体の知れない上に目的もわからない恐ろしい魔女なのだから。


 でも、私にとっては違う。例え私を利用しようとしているとしてもキャッツアイは私の師匠だし、魔法だって教えてくれた。それに私はまだ彼女と知り合って間もない。彼女の気持ちを何も知らないのだ。

 人伝に聞いた話だけで彼女のことを否定したくない。わかりあえるかも知れない可能性を私は捨てたくなかった。




 キャッツアイの部屋の扉を開ける。鍵はかかっておらずふんわりとした甘いお菓子と紅茶の匂いに包まれる。


「ごめんなさい、遅くなりました」


 私がそう言うとキャッツアイは優しく微笑み、私の分の紅茶を用意する。


 部屋にはもげた首を憮然とした表情で抱えるクリスファーとそれを宥めるようにクッキーを進めるリュシアンの姿があった。レイと蒼真の姿が見当たらない。


 キョロキョロと部屋を見渡す私を見て悟ったのか、キャッツアイは優雅に紅茶とソーサーを席に用意してから座るように促してきた。


「あなた以外の小鼠ちゃんには帰ってもらったわ」


 開口一番、キャッツアイはなんでもないような顔をして言う。もしかして私とアベルが話した内容がバレてしまっているのかと一瞬不安がよぎり、冷や汗をかいた手をぎゅっと握りしめた。なるべく平静を装ってゆっくりと席に座り、緊張で味のわからない紅茶を口に含む。


「何ガチガチに緊張しちゃってるのぉ? 時計をよく見て」


 時計の針はもう5時を指していた。いつの間にそんなに時間がたっていたのだろう。確かにこの時間なら門限が厳しいであろう蒼真は帰っていてもおかしくはないし、今日の夕食当番であるレイは席を外していてもなんらおかしくはない。


 と、そこまで考えたところで強烈ともいえる違和感を覚えた。


「レイさんは夕食当番に行ったんですよね?」


「えぇ、そうよぉ? それがどうしたの?」


 だとしたらおかしいのだ。この事務所は最上階から一階まで繋がる階段は一つしかない。二階に直接行ける階段はあるが、それは外の玄関隣にあるもので決して三階にあるキャッツアイの部屋から使えるものではない。


 私は共同スペースの二階から廊下で立ち話はしたがまっすぐこの部屋まで来た。もしキャッツアイが行っていることが本当であればレイとすれ違わないとおかしいのだ。


 嘘をつかれている。でもなんの為に?私を試している?


 ぐるぐると嫌な思考が頭の中を支配する。カップを持つ手は震え、ソーサーとあたりカチャカチャと小さく音を立てた。背中を冷たい汗が伝い落ちる。


「あら、どうしたのぉ? 顔色が良くないわねぇ。まるでデュクドレーみたい」


 そこまで言うとキャッツアイは私の真後ろに立って耳元に口を寄せた。


「あの狂人に何を吹き込まれたかは知ってるわぁ。でもこれまで通り私の可愛い子ネズミちゃんでいるのなら何も責めたりしない。その上で聞くわ、桜子は私の可愛い弟子で間違いないわよねぇ?」


 言葉を出そうとしたがうまく声が出せない。私の後ろに立つのはフリルのよく似合う少女の姿をした化け物だ。ここにきてようやくUHMがどれだけ恐ろしいものなのかを実感している気がする。


 アベルには生前口に出すことの出来なかった苦しみがあった。クリストファーには歪とはいえ愛と情があった。ケイトには人間になりたいと言う苦しみと葛藤があった。


 しかし、彼女はどうだ。


 声はまるで昨日の天気を聞くようなのんびりとしたもので、それでいてじっとりとまとわりついてくる蛇のような不快感。何か気に触ることを言って仕舞えばその次の瞬間には命が無いような、圧倒的な恐怖感。


「はっ……」


 言葉を紡ごうとした喉が詰まり空気が漏れる。


 違う、私は、キャッツアイと敵対したいわけなんかじゃない。UHMも人も関係なく接していく中で多くのことを考えて、それで……。


「何も言わないってことはNOって解釈してもいいのかしらぁ?」


 思わず助けを求めて視線を彷徨わせる。しかし先程まで普通に寛いでいたはずのリュシアンとクリストファーはぐったりと目を閉じたまま動かない。わずかに上下する胸を見るからに恐らく気絶か眠っているだけなのだろうが、誰にも助けを求められないこの状況は非常にまずい。


 そっと嫌に優しい手つきでキャッツアイが私の首元に触れた時だった。


「何をしている」


 澄み渡るように響く声にキャッツアイは私から何事もなかったかのように離れた。知らず知らずのうちに息が浅くなっていたらしく突然訪れた開放感に呼吸が乱れる。

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