2章 junkie

5 三輪廃ビル

「おはようございます」


 結局昨日はあまり眠れなかった。寝癖を撫で付けながら席に着くと、並べられ始めた朝食に目を移す。今日の朝食当番は確か雷呀蕾だったはずだが、トーストとスクランブルエッグは彼の作るとは思えないメニューだ。


「みんな、食べたらすぐに今日の仕事の話をするわ。それなりに面倒な仕事だから覚悟しておいてね」


 亜美のりんとした声にげっと身をすくます。それなりに面倒な仕事ってなんだか嫌な予感しかしない。席にパラパラと着き始めたメンバーはいつもより明らかに少ない。居ないのはルキウスと蕾、それからケイト。それに気づいて朝食メニューに納得した。緊張からか味はあまりしないトロトロのスクランブルエッグを流し込むように食べた。


「さて、今回の仕事の話をする前にこれを見て欲しいわ」


 亜美がそう言って机の上に出したそれは、青く光る粉だった。魔法系の物だろうか、と考えかけたが何か見覚えがある。


「これ、ニュースでやっていた新型ドラッグですか?」


 朝、日課のように見るニュースチャンネルでやっていた新型のドラッグ。確か依存性と幻覚症状が強いものだとかなんだとか。


「そうそう、ニュースを毎日確認することはいい事ね。昨日の仕事で朝いなかった3人にこれを売ってる本拠地で顧客データを盗んでくるように頼んだんだけどね」


 そう言った後、茶封筒が出される。その瞬間隣にぼんやりとした顔で立っていたカイトが仰け反った。


「うげぇ!!」


 少し遅れてその原因である強烈な刺激臭が私の鼻にも届いた。焦げ腐ったような、髪を燃やした時のような独特な匂いだ。ほかのメンバーも顔を顰めて後ろへ下がる。


「これ、今朝ポストに入っていたの」


 亜美は匂いに慣れているのか平然とした態度でその封筒の中身を取り出す。中に入っていたのは人の親指くらいの大きさの黒々としたコアだった。そのコアからおぞましい匂いがしているのだ。よく見ると何かでベタついた黒い髪の毛のようなものが巻きついている。


「これはケイトのコアか?」


 将が少し震える声で亜美に問いかけた。そういえばコアが削れたらUHMは一体どうなるのだろう。将の顔色からして全く持って問題ないとは思えなかった。


「そうね、形からして左足の親指かしら。このくらいの量ならまだ大丈夫とは思うけど。それと一緒に入っていた手紙を読み上げるわね『政府に情報を売り尻尾を振る負け犬共、お前達のお仲間2人の命は預かった。証拠は同封している。返して欲しければタンクの女を引き渡せ。場所はDエリア三輪廃ビル二階エントランスエリア。人数はタンクの女を含めて2人で来るように』」


 タンクの女。それってもしかして私の事なのだろうか。人質と引換。最悪のシナリオだ。こんな物騒なことを持ちかけてくるような奴だ、人質が無事という保証もない。と、考えたところで手紙の一文が引っかかった。


「お仲間2人?仕事に行ったのはケイトさん、ルキウスさん、蕾さんの3人ですよね?」


「えぇ、恐らく誰か一人が……父以外のどちらかは上手く難から逃れてるようね。帰って来ないってことは隠れているのかしら」


 コアにベッタリと巻きついている髪の毛の色は黒。ルキウスも蕾も髪色は黒だからこれでは判別がつかない。切られた髪の長さは短く、これもヒントにはならなそうだ。


「レイ君、わかるかしら」


 亜美は特に焦る様子もなく、淡々とした声で聞いた。一方声をかけられたレイはというと、びくりと肩をはねさせじっと押し黙ったままだ。視線は机の上に置かれたコアと髪の毛に向けられているが、見ただけではわかることは少ない。わざわざ亜美がレイに声をかけた理由がわからないでいると、レイはぽつりぽつりと話し始めた。


「このコアが……ケイトの左足親指ってのは間違いない。髪とベタベタ……血……蕾のものだ。間違いなく、確実に、100パーセント捕まっていないのは父さんだ……。ごめん、これ以上は、それ以上は俺には見えない。情報が少し古いんだ……多分、おそらく昨晩の情報だから」


「そう、やっぱりルキウスほどは見えないのね」


 情報が見える、というのは確かルキウスの能力だ。しかしレイは変身しているわけでもない。つまり本人の元から持っている能力のうちの一つなのだろう。父さん、とレイは言った。あまり2人が話しているところを見たことがないが、なるほど確かによく似ている。能力も遺伝するのだろうか。


「さて、人数が指定されているし誰に桜子の付き添いをしてもらうかを考えないとね」


「えっ、まさか馬鹿正直に2人で行くんですか!?」


「あら、当然よ。約束を反故して危険にさらされるのは人質のほうよ?真正面から行って真正面からぶん殴ってきなさいよ」


 さらりと言っているが、つまりはヤクザとたった2人で殺りあえということだろう。それはあまりにも無茶苦茶が過ぎるのではないか。いや、素直に取引に応じて引き渡されてこいと言われるよりはマシなのかもしれないけれど。冷静に考えて欲しい。つい最近までごくごく一般的な高校生だった私に裏社会の人間と真正面から戦えって無理な話にも程があるのではないのだろうか。


「僕が一緒に行くよ」


 名乗りを上げたのはカテリシカ・マールブランシュだった。身長が高いわりにどこかあどけない顔をした彼は、確か蕾と仲が良かったはずだ。友人のピンチにじっとしていられないのは別に悪いことではない。ただ、この場合は私の命もかかっているようなものだ。出来ることならもっと頼りがいのある人の方がいいのだが……。


「お願いするわ。桜子、あなたは確か魔道防壁の作り方くらいはマスターしているわよね」


「あ、はい。でもまだ陣がないと出来なくて……」


「オズの魔法使いだって魔法の靴がないとどこにも行けないわ。魔法に必要なのは知識と経験、それから魔法のアイテム」


 亜美は後ろにある戸棚から赤い靴を取り出すと、その靴底をこちらに見せてきた。そこにはどこか見覚えのある魔法陣が刻まれている。もしかしてこれは……。


「キャッツアイからのプレゼントよ。踵を鳴らして力を使えば魔道防壁が張れる仕組みになってるみたいね」


 思わず私はキャッツアイの方を見た。冷たくて鬼畜な恐ろしい魔女だと思っていた彼女が急に厳しくも優しい師に思えたのだ。しかしキャッツアイはこちらをちらりとも見ない。

「さ、準備が出来たらさっさと行ってさっさと連れ返してきなさい」


 有無を言わさぬ亜美の声は場違いなくらいよく響いた。




 Dエリアは事務所のあるBエリアから少し離れた所にある。その上、ほぼ隔離地区と言っても過言でないくらい交通の便も悪いため直通のバスや電車はない。カテリシカが車を運転出来ると言うので、彼の車の助手席に乗り込んだ。最新式の車なのか見たことないような配線やコードが目を引く。


「気になる?」


 運転席側に乗り込んできたカテリシカが配線を弄りながら聞いてきた。


「最新モデルの車ですか?見たことない内装……」


「いや、僕専用に改造してるんだ」


 そう言うとカテリシカはおもむろに腕まくりをして配線をその腕に繋ぎ出す。ぎょっとしてしまったがよく見ると彼の腕は機械義手のようだ。車のエンジンがかかり、重い空気を乗せたまま街中に走り出す。


「亜美は僕らだけに行かすふうに言っていたけど、ああ見えて心配性だから誰かにこっそりついて行くように言ってると思うよ」


 ポツリと私の不安を感じ取ったのかカテリシカはこちらを見ずに呟くように言った。本当にそう思っているのか、それとも私の為に言っているのか。判別はつかないが彼の優しい気遣いは少し心の曇を晴らした。


「私のこと、どうして相手は知っているんでしょう……」


 ずっと疑問に思っていたのだ。私が事務所に所属してからまだ大した仕事はしていない。少なくともヤクザの耳に入るようなことはしてないはずだ。だけど、相手は私の能力まで把握していた。相手の方にもルキウスのような能力を持った人が、UHMがいるのだろうか。


「あー……、なんとなく予想はついてるけど話を聞かないことにはなんとも」


 妙に歯切れの悪い返答。窓の外の景色はどんどん変わっていき、落書きの多い建物が目立ってきた。気がついたらもうDエリアに入っていたらしい。緊張で強ばる指を解しながら景色を見つめることで気を紛らわす。訓練は昨日充分すぎるほどした自信はあるが、実践は今日が初めてだ。上手く防壁を張れるだろうか、失敗したら?嫌な想像だけが膨らんでいく。


「桜子ちゃん」


「はい」


「ごめんね、不安だし怖いよね?僕じゃ頼りないかもしれないけど、出来る限りのことはしようと思うから。そばから離れないようにしてね」


「頼りないなんてそんなこと……」


「三輪廃ビル、ここみたいだね」


 否定の言葉が出るのを遮るようにカテリシカは到着を知らせた。ビルの窓ガラスは所々割れており、廃ビルの名に恥じないような見た目をしている。幽霊が出そうな見た目だが、ここで出てくるのは人間のヤクザだ。それにしても、ヤクザとはいえ人間がどうやってUHMである2人を捕まえたのだろうか。いや、そもそもよく考えたら事務所の人は誰も犯人を人間とは言っていない。


 今更気がついたことに血の気が引きそうになりながら、よろよろと車を降りる。ビル前の駐車場には人っ子一人いない。取引場所は2階エントランスエリアだ。そこに2人はいるのだろうか。


「先に言っておくね。僕の魔法は戦闘向きじゃない」


「えっ、なんで不安にさせるようなこと言うんですか」


「でも戦う手立てが無いわけじゃない。ライに触れれたら絶対勝てる。だからなにがなんでも2人を取引の場所に連れてきてもらわなくちゃ」


 ライ、というのは確かカテリシカだけが使っている蕾のあだ名だ。触れたら勝てるとはどういうことだろうか。階段をのぼる音が嫌に響く。かび臭くボロボロの階段をやっとのぼりきった辺りで黒いスーツを来たがっしりとした体格の男に呼び止められた。


「そこでとまれ」


 色つきのサングラス越しに鋭い眼光を向けられ、身がすくむ。手に持っているのは銃だ。多分マシンガンとかいう種類の。しかしUHMと対峙した時の独特な嫌な空気は感じられない。


「確かに2人できたようだな。どっちがタンクの女だ?」


「彼女の方だよ。まさか男と女の見分けもつかないの?」


「ははは!変装なんて小賢しい真似されたらたまらねえからな。まあ、その声で女ってのは無理があるか」


 人を嘲る笑いが癪に障る。あとカテリシカは普通に挑発しないでほしい。


「よし、来い。おっと、女の方だけだぜ」


「まさか階段で取引しようっていうの?早漏野郎、人質の無事が確認できてない」


「ははは!イイね、お上品な顔してやがるからそこの嬢ちゃんと同じで震え上がってると思ってたぜ。人質と会わせてやるよ、ついてきな」


 男が背を向けて歩きだしたので震えそうな足を動かす。カテリシカはこちらをちらりと向いてウインクをしてきた。予定通り、ということだろうか。その余裕をわけてほしい。エントランスエリアはほとんど物が残っておらず、ただただ広い空間になっていた。見える範囲に10人ほど銃を持った男が立っている。突然蜂の巣にされるのではないかという嫌な想像ばかりしてしまう。


「おっと、そこで止まれ」


 ちょうど真ん中くらいで男に止められる。素直に待つ私たちを置いて、男は奥の扉の方へ大股で歩いていく。人質の2人を連れてくる、ということだろう。


 嫌な緊張感だ。カテリシカは蕾に会えれば、触れれば勝機があるようなことを言っていたが、そもそも蕾が戦える状態だという保証がない。というか無事なわけがない。ケイトのコアに巻きついていた黒髪は血でべったりと汚れていたのだ。


 扉から半場引きずられるように連れてこられた2人は酷い有様だった。ケイトは一応意識がはっきりしているらしく、私たちの方を見てバツの悪そうな顔をした。一方蕾は顔を上げることもできないのかほとんど男に担がれている状態だ。これは思っていた以上に悪い状況だ。


「ほら、さっさとその女をよこしな」


 男は目の前にケイトを蹴り飛ばし、蕾を投げ捨てた。それでも蕾はピクリとも動かない。地面にじわりと血が滲むのが見えて、途端に恐ろしくなる。もう死んでしまっているのではないか。嫌な考えが頭に浮かぶ。


「カテリシカさん……!」


 これは駄目だ。圧倒的に分が悪すぎる。逃げてしまいたいけどそれも不可能だ。


「大丈夫、落ち着いて。僕が合図したら防壁を張るんだ」


 カテリシカはこちらに目を向けて、声を抑えて言う。それからすぐにサングラスの男に鋭い視線を向けた。


「彼女を引き渡す前に人質が生きているかどうかだけ確認させてもらう」


「イイぜ、好きにしな。ただ妙な動きをしたら脳天ぶち抜くぜ。ははは!」


 周りの男達もいっせいに笑い出す。建物に響く笑い声が耳に障る。カテリシカがしゃがみこみ蕾に触れようとした時だった。サングラスの男がタバコをふかしながらボソリとこちらにだけ聞こえる声で呟く。


「でもよ、嬢ちゃんの情報を持ってきたのそいつだぜ?お仲間の弱点もコアの位置もぜぇーんぶそいつがヤク欲しさに話したんだ。そんなやつ生きてようが死んでようが関係ないだろ」




「え?」


「よくある話だ。イカれたヤク中ってのはまともな判断が出来ねぇ。平気で仲間を売る」


 理解が追いつかない。ヤク中?情報を売ったのは蕾?ケイトが満身創痍になっているのも、人質として捕まっているのも、私の能力が狙われているのも、蕾のせい?


「そんな……」


「そうだと思ってた。だからこのツケは本人に払わせる」


 カテリシカが自分の額を蕾の頭にくっつけた瞬間、辺りに生き物が腐ったような臭いが立ち込める。それと同時に蕾の体がまるで溶けるように消えていった。


「何をしやがった……!」


「桜子!防壁だ!」


「は、はい!」


 混乱する頭でものを考えるより早く、踵を鳴らし体に力を巡らせる。ビリっとした感覚。両の手を前方に突き出しさらに集中すると練習通り魔道防壁が展開される。黒服の男達は一斉に銃口をカテリシカに向ける。


「おい……聞け、あいつらの銃弾は普通の弾じゃない。コアエネルギーを抑える薬を撃ち込むつもりだ……」


 ケイトがカテリシカのズボンの裾を掴み、声を振り絞って言った。


「か、か関係ない。俺はゆUHMなんていう化け物じゃない……」


 独特の吃音、伏した目は眼光鋭く明らかに様子がおかしい。というよりこれは……。


「動くな!下手なことしたら撃つぞ!!」


「お、お前ら、約束を反故しただろ。素直にドラッグを渡しておけば……おかげで最低な気分だ!!!」


 瞬間、サングラスの男が発砲したと同時にカテリシカ……いや、カテリシカの体をした蕾は顎を下から蹴り上げた。そして無駄のない動きで素早くケイトの襟首を掴み私の方に放り投げる。


「そ、そこでじっとしとけ!わしが全部潰してやるけの!!」


 飛び交う銃弾の間を縫うようにして接近し、出入口を固めていた二人の男の顔面を機械義手の側面で殴りつける。伸された男が地面に倒れ込むより早く壁を蹴りつけ方向転換し、勢いを殺すことなくまた別の男にラリアット。囲うようにして立っていた男達は流れ弾を恐れているのかまともな位置に撃てないため、銃弾が彼の体をかすることすらない。


「これは一体……」


「ゲホッ……カテリシカの体に蕾が入っているんだ。どういう仕組みかは知らねえけど」


 時々魔道防壁に銃弾は当たっているが、訓練の時に比べたら大したことではない。それより骨の折れる音や男達の悲鳴や怒号が精神的に良くない気がする。応援を呼ぼうと携帯を手に取った男の腕を折る。銃口を向けた男の肩を折る。逃げ出そうとした男の足を折る。圧倒的に、一方的な猛攻はエントランスエリアにいた男達が全員のびてしまうまで続いた。

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