25 堕ろされた神

 お役所の長い手続きを終えて無事に借りれた本は、博物館にでも寄贈されてそうな年代物だった。少しだけ中を見させてもらったが残念なことに全てが外国語で書かれており、私の頭では理解することが出来なかった。


 蕾は特に何か聞いたりすることもなく、事務所に着くなりさっさと自分の部屋へ帰っていってしまった。これだけ協力してもらったのだからなにか理由くらい話すべきだと私は思ったのだが、蒼真は声をかけようとする私を緩やかに止めた。


「お疲れ様ぁ」


 キャッツアイの部屋に戻ると、リュシアンとアベルとレイとキャッツアイは優雅にお茶会をしていた。こちらは色々あって疲れたのにとげっそりしてしまう。しかし、レイがリュシアンと話していておまけにその表情が柔らかいものだったから毒気が抜かれてしまった。今回ばかりは文句も言うまいと本をリュシアンに差し出す。見つけたのは蒼真なのだから彼に渡すように言ったのだが面倒だと押し付けられてしまった。これでは私が本を見つけた人みたいだ。


「坂田蒼真が見つけたんだな?ご苦労ご苦労」


 なんでもないような顔で消毒液の匂いをまとわせながらリュシアンはしれっと言い当てた。そしてそのまま視線をチラリとこちらに向ける。少しドキリとしたが特に何も言わずに本の方へ視線を戻されほっと一息つく。どうやらトートの魔法はリュシアンの目にも有効なようだ。


「既に三体の《神》は堕ろされている。ただこれらの《神》を喰わせ合うまでには少し猶予があるようだな」


 本を読むというより風を通す程度に素早く捲りながら歯を鳴らしてリュシアンは言った。


「猶予?それはどのくらいかしら?」


「そう長くない。というか猶予という言い方はあまり正しくないな。……育成期間。3人の術士は力の優れているものから順に《神》を堕ろす。そして他の術士の時を止めて自ら堕ろした《神》を育て上げる……うーん、いや育て上げるって言うと語弊があるか……?適切な言葉が浮かばない。育ててもいいし、放置してもいい。とにかく他の術士を行動不能にしている間に己の堕ろした《神》が勝てるように工夫するという感じだな」


「ヴェザードにしては歯切れが悪いな」


 アベルは紅茶を1口、それからビスケットに手を伸ばしながら珍しそうなものを見る目をする。私はキャッツアイとレイのあいだに腰をおろして話を聞くことに専念する。難しい内容だが、しっかり覚えて後でトートに教えてもらうことと擦り合わせる必要があるからだ。


「現在進行形でおまけに前例がない儀式なんだ。おまけに本来の術式通りには事が進んでない、進まない、進むわけがぁない」


「進むわけがないって?」


 思わずリュシアンの言葉尻を拾い問いかける。するとリュシアンは首をガクンと横に傾けて歯をガチガチ鳴らす。同時にムッとするほどの消毒液の匂い。どうやら首を極端に傾けたり、歯を鳴らすのは能力を使う時にでる癖のようだ。


「やってはならない事をしているからだ。これをしては儀がまともに機能しなくなる事をしている。それを話すにはまず……儀の正確な手順をお前達に説明する必要があるな」


 そう言うとリュシアンはおもむろにクッキーを3枚テーブルの上に並べた。そして歯を鳴らすとクッキーはみるみるうちに小さな人形になる。この不可思議な現象に魔法の使用を疑ったが、魔法陣もなければ呪文も唱えていない。むしろ歯を鳴らしたということは能力の方だろう。どうやら目で情報を見るだけが能力ではないらしい。


「よしよしよし、これが術士だとしよう。で、《神堕ろしの儀》は術士3人が揃い名を捨てるところから始まる。名を捨てたら最も優れた術士が他の2人に時止めの魔法をかける」


 クッキー2つを後ろに下げ、その代わりに新しいクッキーを1枚出してそれも人形に変える。


「それで人間の体を1つ用意する。これは大人でも赤子でも胎児でも構わない。それに仮の名を与える。これはその儀を行う者が詳しく知っている《神》の名でなくてはならない。同時にこの時に自分にその《神》の別名を付ける。そして……」


 リュシアンは指を鳴らすとどこからともなく現れた針が新しい方のクッキーに突き刺さった。


「人間の魂をパスにこの世界の外側にいる存在を《堕ろす》。この時、必ず元の人間の魂は消失する」


 つまり術士はこの時点で既に人を殺しているのだ。ろくでもない儀式だとは思っていたが、手順まで残酷なものとは思っていなかった。それのせいで不安になる。トート、彼女を本当に信用してよかったのだろうか。


「人間の魂を対価に堕ろされた《神》は微小なコアを得る。ただ、本当に微小なものだからこのコアが出来ることは肉体の維持のみだ。それも使った人間の魂によって差が生まれる。堕ろされた《神》には仮の名とは別に人間としての名が与えられる。これはこの世界に《神》を縛り付ける物だ。そして術士が時止めの魔法を切らした時、2人目の術士が同じ手順を踏む。その後に3人目。今はこの3人目が時止めの魔法をかけている状態だな」


「なるほどねぇ、優秀な術士から順にってことは今時止めをしている術士は1番不出来なのよね?どのくらい持つか検討はつくかしら」


 キャッツアイは後ろに下げられた方のクッキーを1枚頬張る。笑顔だが隠し事は許さないと言わんばかりの圧だ。しかしそれにリュシアンは動じることもなく平然とした顔で答える。


「もって1年かな。まっ、根性があればだが。つまり、つまりは、つまるところ、それまでの間に儀を無茶苦茶にしてしまえばいい。そう……例えば堕ろされた《神》のうちの1つを討ち滅ぼすとか」


「出来るのか?《神》を自称する様なのは、厄介なのが、多い。実力次第では、こちらの方が、不利だ」


 アベルはリュシアンを指さしながら不機嫌そうに言う。しかし《神》の持つコアは肉体の維持しかしないのなら勝ち目はあるようにも思える。でも、何故か妙な胸騒ぎがしている。リュシアンはきっとまだ言っていないとんでもない爆弾を抱えている、そんな気がする。


「勘が鋭いというのも考えものかもな。なに、気にするな。思考がダダ漏れだから嫌でも目に入るんだ。そうだな、俺は今話してない爆弾を抱えている。それは《神》のみ持つ特異な性質だ」


 意地の悪い笑みを浮かべてリュシアンは針の刺さったクッキーを摘み取る。


「他のコアを己の物にする。取り込むことが出来る。それも無限にだ。本来人間だろうとUHMだろうと持てるコアは1つだ。その法則が外から来た《神》には通用しない。複数のコアを持ち、複数の能力を使える」


 それはちょっと勝ち目がどうのとか言っているレベルじゃないのではないか。際限なくコアを取り込めるのならガス欠にならないだろうし、能力を絞れないとなると戦いもかなり不利になるだろう。リュシアンの説明を聞けば聞くほど不可能という文字が浮かび上がってくる。


「ま、そんな悲観するなよ。ここの事務所にいる奴ら全員と政府を巻き込めば勝ち目がないわけじゃない……計算上はな。それに堕ろされた《神》全てがデタラメに力を持っていたら厳しかったが、どうやらコア喰いをしている《神》は1人だけでな。そいつの特定も俺はもう既に済んでいる」


 さあ褒めろと言わんばかりに胸を張りながら、リュシアンは針の刺さったクッキーを口にほおりこむ。そして針だけを器用に爪楊枝のように咥えてみせた。ギラギラとした目が質問を待っている。それを見てアベルは呆れたように少しため息をついてから咥えられている針をつまみとる。


「で、それはどこにいるんだ?ヴェザード」


「よくぞ、聞いてくれたな!ズバリ、ここ!この事務所!だ!」


「え?」


 高らかに宣言したリュシアンとは裏腹に部屋が静寂に包まれる。何度もリュシアンの言葉を咀嚼した。この事務所にいるのだ、その《神》は。コア喰いをして今か今かと世界を滅ぼさんとする《神》が。なんでもないような顔で私達と飯を食べ、仕事をし、時につまらない冗談で笑っている中にそれがいる。


 背筋に怖気が走った。それはきっと事務所に来て浅い私より、キャッツアイやレイの方がダメージが大きいだろう。そう思って2人の顔を見ると何故か妙に腑に落ちたような表情だった。


「ハウライトラピス、かしら?」


 キャッツアイが問いかけというより分かりきった答えを確認するように呟く。それに対してリュシアンは静かに頷いた。


 ハウライトラピス……ハウライトラピスと言った?事務所の主戦力で優しいあのハウライトラピスが世界を滅ぼす《神》?コア喰いをしている?


 しかし大きな疑問とともに妙に私も納得してしまうところがあった。アベルのコアを喰う光景を目撃していたからだ。あれは、確かに異様な光景だった。


「ほ……ほかの《神》はわかりますか?」


 そうだとしても私は彼と戦いたくない。言葉を交わし、好感すら持てる相手なのだ。


 それに彼は好んで人を痛めつけるようなタイプにはどうしても思えない。それに戦うならなるべく力を持ってない勝ち目のある《神》と戦うべきなのではないのだろうか。わざわざハウライトラピスと戦う必要を感じない。


「悪いが、コア喰いをしていない《神》は人ともUHMとも同化して非常にわかりにくいんだ。俺としても歯痒いがな!それに絶対勝てない相手じゃない。チャレンジ精神は必要なものだろ?」


「戦う以外に方法は、ないんですか?」


「じゃあなんだ?奴に喰ったコアを全て吐き出してくださいってお願いするのか?《神堕ろしの儀》をやめてくださいって言うのか?いいか?儀式の決定権は堕ろされた《神》にあらず。《神》は契約で結ばれている限り己の意思で儀式の途中棄権は出来ない。外野である俺達が《神》が最初から持っていたコア以外全て打ち砕き、消耗させればいいだけの話だ。好都合なことにハウライトラピス以外の《神》はコア喰いを行っていない。それがどういうことを指すかわかるか?」


 リュシアンは早口でまくしたてながらアベルの手から奪った針の先を私に向かって突きつける。思わず首を縮こますが、懸命に頭の中で彼の言わんとする答えを探した。


 まず《神堕ろしの儀》は《神》同士を喰わせあう。それの目的は堕ろされただけの《神》は不完全で力を持っていないから。そして《神》のみ持つ特別な能力コア喰い。《神》同士を喰わせ合うことだけが《神堕ろしの儀》で必要な手順だとすれば、わざわざコア喰いなんて悪目立ちする能力を与えるのか?もし全ての《神》がコア喰いをし、より多くの力を得ることが儀式に必要な要素だとしたら?《神》同士の喰いあいで1つの《神》に力を集中させるためだとしたら?


 リュシアンはハウライトラピス以外の《神》はコア喰いをしていないと言った。それが《神堕ろしの儀》をする者達にとって予想外の事だったら?今、《神》同士の喰いあいが起きても願いを叶える力はハウライトラピスの持つコア頼りになるはずだ。


 たとえどの《神》が勝負を制したとしても、願いを叶えるだけのコアを持っていなかったら儀式が上手く回らないとしたら?


「……ハウライトラピスさんのコアを必要最低限残して破壊することが《神堕ろしの儀》を止めることが出来る。そういうことですか?」


 精一杯振り絞った結論を述べるとリュシアンは突きつけていた針を引っ込めて満足そうな表情をした。


「止めることが出来るわけじゃない。あくまで世界滅亡という最悪の願いを叶えることができない状況に持っていくだけだ。ま、上手く行けばたとえ《神堕ろしの儀》が完成されたところで明日の東京の天気を晴れにする程度しか出来ないようになる。それも成功と失敗が半々くらいのおまじない程度にな」


「その、ハウライトラピスに、事情を説明して、コアを破棄してもらう、というのは、不可能なのか?」


 アベルの質問にリュシアンは少しだけ呆れたように鼻を鳴らす。


「そりゃお前、信用問題だろ。大して仲良くもない奴からいきなり全ての武器を捨ててくださいなんて言われたって無理な話だ」


 確かにリュシアンの言うことは一理ある。何をされるかわからない、何をしてくるかわからない相手に無防備な姿は誰だって晒せないだろう。


 しかしこの言葉は逆にすれば仲良くなってハウライトラピスの信用を勝ち取れば戦わなくて良い可能性も充分にあるということなのではないのだろうか。それにまだ私たちはリュシアンの言っていた儀がまともに機能しなくなるやってはならない事を聞いていない。戦うだけが唯一の道というわけじゃないはずだ。


「リュシアンさん、《神堕ろしの儀》については分かりました。それじゃあ、術士がしたやってはならない事ってなんですか?」


 私は目の前に置かれたすっかり冷めきった紅茶を1口含んでから言葉を絞り出した。リュシアンはルキウスとは違う独特の圧を持っている。それが自然と口を重くさせる時があるのだ。


 勘だが、きっとそれはリュシアンも聞かれたくないことなのかもしれない。そうじゃなかったらハウライトラピスの話の前にしてくれているはずだ。


 彼の名前を出すことで衝撃を与え、そもそもどうして《神堕ろしの儀》の正式な手順を話す事になったのかを有耶無耶にしているような。そんな気がしたのだ。


 案の定と言っていいのか、リュシアンは明らかに不機嫌そうに眉をひそめると歯を何度か鳴らす。やがて非常に面倒くさそうにため息をつくとリュシアンは先ほどとは打って変わってゆっくりと語りだした。


「ハウライトラピス以外の《神》がコア喰いをしていないのは何故か、それは簡単だ。1人の術士は《神》の記憶を奪い、もう1人の術士が《神》に呪いをかけようとして失敗したからだ。ハウライトラピス以外の《神》は儀式をまともに遂行出来るか怪しい」


「つまり……どういうことですか?」


「記憶を失った《神》は儀式で使われる《神》を縛る術が効かない。つまりこの《神》は他の《神》に捕食されない限り放置していても問題がない。捕食欲が無いんだ。然るべき時が来ようと来なかろうとこの《神》は儀式に関わる行動をとることは無いと言っても過言ではないだろう。そして、もう一方の《神》は呪いをかけられかけたのを酷く根に持っている。おまけにこの《神》はどうやら魔術に明るいらしい。儀式の穴をくぐり抜け、意地でも儀式の完成を妨害する」


 くるくると中で回す人差し指を目で追いながら、リュシアンの言ったことを反芻する。


 つまり、儀式に協力的なのはハウライトラピスだけらしい。いや、協力的にさせられていると言った方が正しいのかもしれないが。しかしなんだ、聞いた話を考えまとめるとあまり悲観的にならなくてもいいような気がしてきた。ハウライトラピスは初めて会った時から優しく接してくれていたし、話せばわかってくれるような気がするのだ。


 彼は人が嫌いじゃない。それならこの世界を壊し、人類を滅亡させるのもあまり乗り気じゃないかもしれない。少しの希望が胸の内に湧いてきた時、唐突にポケットに入れていた液晶型携帯がけたたましくコール音を鳴らした。


「あっ、ごめんなさい。外に行きますね」


 発信相手は亜美だ。なんだかろくな予感がしない。というのも前に突然電話があった時はアベル討伐戦の時だったし。キャッツアイの部屋を出て、少しため息をついてから電話に出る。


「もしもし?桜子です」


『すぐに降りてきて!面倒なことに……あぁもう!貴方達一体誰を連れ込んだのよ!』


 一方的に怒鳴られるとぶつりと電話が切られる。どうやら只事ではなさそうだ。駆け足で事務所のある2階まで降りる。念の為靴の裏の魔法陣が擦り切れてないか確認してからドアノブを捻る。

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