第34話 異変

 7月17日。常陽学院と聖陵学舎の試合会場となった神泉スタジアムには、大勢の観客がつめかけ、試合開始の30分前からすでに席が埋まり始めていた。


「さすがは日曜日だ。すごい人の数だね」

 ウォーミングアップをしながら、感心した様子で観客席をながめる晴人につられ、虎徹もスタンドを見上げる。

「本当だ。でもほとんどの人が聖陵学舎を見にきてるんだろうな」

「まあ、春の甲子園の優勝校だし、松沢君っていう絶対的なヒーローもいるからね。お客さんから見たら、僕らはただの引き立て役だね」


「それはどうかな?」

 二人の間から、唯が顔をのぞかせる。


「日本人ってのは判官ほうがんびいきだからな。アタシらみたいな無名チームが聖陵学舎に奮闘ふんとうすれば、全員がこっちの応援団に変身するはずだ。相手にプレッシャーをあたえるには最高のシチュエーションじゃないか!」

 自信満々に腕組みしながら、唯はスタジアムを一望いちぼうした。そんな彼女の様子に、虎徹と晴人も勇気づけられる。


 そこに、あわてふためいて駆けつけたのが、メンバー表の交換を終えたキャプテンの雅則だった。


「是川さん! た、大変だ!」

「どうしたんだよ。そんなにドタバタして」

 あまりの動揺ぶりに唯はいぶかしげな表情をうかべたが、続く雅則の言葉はそんな彼女にも強い衝撃をあたえた。


「先発が松沢なんだ! 三日前に投げたのに今日も登板する! それに、ピッチャーの松沢だけじゃない。ほかもベストメンバーなんだ!」

「なんだと?」

 メンバー表に目をとおした唯は、急いでベンチにもどり、険しい表情をうかべながらノートパソコンでデータを確認する。


「二戦連続でコールド勝ちしたことが、相手に警戒されたのかも……」

「いや、ちがう」

 雅則の言葉を、唯はすぐさま否定する。


「丸ノ内学園戦は無名校同士の試合だし、総武大付属戦も小岩が自滅しただけだ。それに、松沢はチーム事情よりも自分の肩を優先する。仮にこの試合が甲子園の決勝だったとしても、先発で投げるはずがない」

「じゃあ、どうして……」

 雅則が問いかける。しかし、理由は唯にもわからない。


 どういうことだ……。彼女は一瞬だけ考えこんだが、すぐに頭を切りかえる。いまは考えてもムダだ。それよりも、目の前の状況に対処しなければ。

 常陽学院のベンチには不安なムードがただよい始めていた。それを一掃するために唯は立ち上がる。


「みんな。落ち着いて聞いてくれ」

 チームメイトの視線が彼女に集まる。

「松沢の登板理由はわからない。ただ、過去のデータから見ると、松沢は相手に合わせて力を加減するから、アタシら相手に最初から本気でくることはない。こっちの力を過小評価しているうちに一気に叩くぞ!」

 唯の力強い言葉に、全員の表情が引き締まる。


「剛、舞。今日は二人とも初回から全力でいってくれ! もう力を抑える必要はないから、ハデに暴れてこい!」

「わかったよ唯ちゃん! いままでずっとガマンしてたからね。たまったストレスを爆発させてくるよ!」

「自分も死力を尽くします!」

 唯から発破はっぱをかけられた鬼塚兄妹おにづかきょうだいが、気合いを前面に押しだす。


「虎徹、大吉。剛と舞が出塁したら、それを返すのが二人の仕事だ。虎徹は状況に合わせて対応してくれ。大吉はとにかくボールを遠くに飛ばせ」

「わかった。塁上の二人とうまく連携れんけいしていくよ」

「僕はいつもどおりってことだね。任せてくれよ。今日はスタンドがたくさんの観客で埋まっているからね。そこまで飛ばして彼らをおどろかせて見せるよ」

 唯からの指示をうけ、虎徹も大吉も自分の役割を確認する。


「恵一、雅則。今日は松沢がいきなり出てきたから、こっちの得点には限界がある。バッテリーへの負担は増えるが、なんとか耐えてくれ」

「任せろお嬢。もともと1点もやるつもりはねえよ」

「俺も最初からそのつもりだ。聖陵学舎の打者の特徴とくちょうはすべて頭に入ってる。なんとか乗り切って見せるよ」

 二人に大きくうなずき返した唯は、さらに歩に視線を送る。


「聖陵学舎のバッターの多くが、右打ちで積極的に引っ張ってくる。サードの歩の負担は大きいと思うが……」

「大丈夫だよ。是川重工との練習試合で強い打球には慣れてるから。外野にボールは行かせない!」

 歩もはっきりと決意を口にする。その表情には、厳しい練習試合でつちかわれたたしかな自信がうかんでいた。


「晴人、遼太郎。二人はとにかく出塁して剛と舞につないでくれ。うまくいけば、本気になった松沢からも点がうばえるはずだ」

「了解。できるだけねばってみるよ。僕と遼太郎君が足でかき回せば、相手にもスキが生まれるだろうしね」

「たしかに。本気になった松沢が点を取られたら、聖陵学舎もかなりあわてるはず。俺も全力を尽くすよ」


 最も打力の高い剛と舞にできるだけ打順を回すために、唯は二人を一番と二番に配置した。

 それに加えて、足が速く出塁率も高い晴人と遼太郎をあえて八番と九番に置くことで、彼女は二人に影の一番二番としての役割を任せていた。


 松沢恒翔が先発で登板してくる。この予想外の事態に常陽学院のメンバーは狼狽ろうばいしかけた。しかし、唯の言葉によりそれぞれが自分の役割を再確認したことで、彼らは戦う気持ちを取りもどした。


「集合!」


 審判の号令がスタジアムにひびく。それと同時に、常陽学院野球部はおくすることなくグラウンドへと駆けだした。

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