第16話 三億円事件
ミーティングの翌週、舞の備品がそろったタイミングで、
舞、剛、大吉の三人が、それぞれ四打席ずつ恵一と対戦する。それが今回の勝負の内容で、ストライクとボールの判定については、唯が持ちこんだ映像分析システムを使うことで双方が合意した。
三人を迎え撃つ恵一は、初顔合わせのときこそ
単純に人数がそろうのはもちろんのこと、唯の分析力と資金力はこのチームにとって大きな武器になる。彼はそう考えていた。
さらに、これをきっかけに是川財閥の
早くに父を亡くした恵一の実家は、母が生活を支えるために働きに出ていたものの家計は常に苦しかった。
そんな環境で幼少の頃から母親の苦労を見てきた恵一は、母と二人の妹のために大金をかせぐには、将来どのような道に進めばいいのかを日頃から考えていた。
中学時代に野球を始めたのも、プロ野球選手になれば高額な
しかし高校進学の際、いくつかの地元の強豪校から誘いをうけたものの、彼はそれらすべてを断った。
野球は好きだが自分にはプロになって大金をかせげる才能はない。そう自覚していた恵一は、高校では勉学に専念することに決めていた。
そして、成績が優秀なら授業料や
高校三年間は、死ぬほど勉強して教材費をかせぎ実家に仕送りする。それと同時に、優秀な成績をのこして大学に進学するための
大学進学後は知識を身につけ人脈を築き、ゆくゆくはビジネスの世界で成功して家族を楽にさせる。
強い決意を胸に恵一は常陽学院の学生寮の門をくぐった。しかし、このときの彼は知る
入学式前の3月後半、学生寮への引っ越しを終え自室で新学期の予習に取りくんでいた恵一のスマホが、着信を知らせる。
「も、もしもし……。恵一?」
電話の相手は母だった。が、明らかに様子がおかしい。
「もしもし。ど、どうした? なんかあった?」
スマホのスピーカーから伝わる異様な気配に、恵一の心が張りつめる。
「うん。落ち着いて聞いて欲しいんだけど……。あ、あのね。た、宝くじが当たっちゃったんだよ」
「た、宝くじ?」
「そう。宝くじ」
なんだよ。おどろかすなよ……。地元にのこしてきた家族がトラブルに巻きこまれたのでは、と心配した恵一は、ほっと息をつく。
「よかったじゃんか。で、いくら当たったの?」
「さ、3億円……」
「さん、億、エンッ!」
恵一は、奇声を上げてイスから転がり落ちていた。
スマホから聞こえてきた異様な叫び声と衝撃音。それを耳にした恵一の母は、あわてて息子に問いかける。
「どうしたの恵一! 大丈夫?」
「だ、大丈夫。なんでもない。それより母さん。悪い冗談はよしてくれよ。そんなの当たるわけないだろ?」
母の言葉を、彼はまだ信じていなかった。
トリプルスリージャンボ。3月に3億円が3名に当たるこの宝くじを、母が毎年10枚ほど買っていることは恵一も知っていた。
彼はそれを見るたびに「宝くじは、ほかのギャンブルと比較しても期待値が格段に低いんだ。そんなの買うだけムダだって」と
「どうせ見まちがいだろ? もう一度番号をチェックしてみなよ」
少しおっちょこちょいなところがある母に、恵一が確認をうながす。しかし、返ってきた答えは想像をはるかに超えたものだった。
「もう確認はできないよ。だって、お昼に銀行で換金しちゃったんだから……」
「か、換金? ウソだろ?」
「ウソじゃないよ。その場で口座を作って、全額振りこんでもらったよ」
恵一は、反射的に自分の
「だからね。お金のことはもう大丈夫だから。勉強も大事だけど高校では好きなことをやりなね。いままで恵一にはガマンばかりさせてきたけど、お金が必要なときは、ちゃんと連絡してね」
「わ、わかったよ。ありがとう……。ゴールデンウイークにはそっちに帰れると思うから、そのときは通帳を見せてよ」
「きっとびっくりするよ。ゼロの数がすごいんだから」
自分に自由な高校生活を送らせるための作り話なのでは。
そんな考えも恵一の頭をよぎったが、通帳を見せてといわれたときも母の口調は変わらず、ウソをついている様子はなかった。
「本当に当たったんだな。早坂家の三億円事件だなこりゃ……」
母との電話を終えた恵一は、ベッドで大の字になった。
「好きなことをやれか……」
真っ先に思いうかんだのは野球だった。プロに入るために始めた野球だが、恵一は自分でも気づかないうちに、その魅力にとりつかれていた。
しかし、3月に野球部員が一人残らず退部したという噂を彼は耳にしていた。野球はあきらめるしかない。
ほかにもやりたいことがあったはずなのに、いざ自由になってみるとなにも思いうかばない。恵一は宙ぶらりんな気持ちを抱えたまま入学式の日を迎えていた。
そんな彼に強烈なインパクトをあたえたのが、部活紹介での雅則の演説だった。
「はじめまして。野球部のキャプテン藤堂雅則です。自分はキャプテンではありますが、みなさんと同じ新一年生です」
誰もいない野球部に入ってキャプテンになるとは、物好きな新入生がいたもんだ。それが恵一の第一印象だったが、続く言葉に彼は仰天する。
「僕たちは本気で甲子園をめざします! 困難な目標であることはわかっていますが、共に全力で挑戦する仲間を募集しています。新入生でも在校生でもかまいません。どうかよろしくお願いします!」
それが、笑いを取るためのギャグではなく本気の決意であることは、雅則の真剣な表情を見れば
なに考えてんだアイツ。そう
その後、雅則が有名な政治家一族の息子だと知った恵一は、迷うことなく野球部の門をたたいた。好きな野球もできるし将来のためにコネも作れる。趣味と実益を兼ねた一石二鳥の選択だった。
「おい恵一。そろそろ始めてもいいか?」
キャッチャーの雅則と投球練習をしていた恵一に、唯がよびかける。
「ああ、こっちはいつでもいいぜ」
彼の答えに満足したようにうなずきながら、唯はウォーミングアップを続ける三人のもとへと歩みよった。
「舞、剛、大吉。準備はいいか?」
「オッケーだよ。唯ちゃん!」
「自分も、いつでもいけます」
「ついに時が来たわけだね……。是川さん。楽しみにしていてくれ。君が見出した僕の才能を、これからとくとご覧に入れるよ」
返す言葉こそ三者三様だが、それぞれの準備は整っていた。
「じゃあ、始めようか!」
唯のよびかけと共に、野球部の主導権を賭けた勝負の幕が上がった。
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