第443話 不意の来訪 前編(オラシオ)

※今回はオラシオ目線の話です。


「全力!」


 トーレの掛け声と同時に、僕らは全力疾走を始めた。

 騎士訓練所の外周に設置されている照明から次の照明までの間をどんなペースで走るのか、四人で順番に決めながら走っているのだ。


 次の照明が近付いたところで、ルベーロが叫ぶ。


「全力!」

「ふざっ……」


 罵声を飲み込んでザカリアスも歯を食いしばって走るが、トーレの背中が遠ざかる。

 トーレが次の照明に辿り着く直前、ザカリアスが叫んだ。


「並脚! 並脚だ!」


 走る速さは三段階で、ゆっくり走る並脚、少し速めの速脚、そして全力。

 全員が照明を通り過ぎたところで速度を落として並んだが、僕とザカリアスは息も絶え絶えで、ルベーロも苦しそうだが、トーレはまだ余裕がありそうだ。


「ルベーロ……俺を殺す気か……」

「ここで鍛えておかないと……本番で死ぬぞ……」


 今日は訓練は休みで、他の訓練生たちは殆どがまだ夢の中だが、僕らは朝食前に走っているのだ。

 日頃の訓練も十分厳しいと思うけど、僕らは圧倒的な実力差を見せつけられてしまったから、遥か先を進んでいるニャンゴに少しでも追い付きたいから走るんだ。


 次の照明までの間に、並脚で走りながら必死に息を整える。

 次は、僕が指示する番だ。


「オラシオ……頼む……」


 拝むようなザカリアスの言葉に、僕は満面の笑みを返した。


「全力!」

「裏切者め!」


 ごめんよ、ザカリアス。

 でも僕は、一歩でも二歩でもニャンゴに追い付きたいんだ。


 歯を食いしばり、必死に腕を振ってトーレの背中を追い掛ける。

 その遥か先に、ニャンゴが待っているはずだから。


 予定の周回を終えた所で、僕とザカリアスは地面に倒れ込んで空を見上げた。

 さすがに息を切らしているけど、まだまだ余裕がありそうなトーレには恨み言の一つも言いたいところだけれど、呼吸が苦しくて言葉が出てこない。


「お前ら……飯の後は……覚悟しとけよ……」


 朝食と休憩の後は、格闘場で武道の手合わせをする予定だ。

 そこでは形勢逆転、ザカリアスの独壇場になる。


 はぁ……どっちでもコテンパンにされる僕は、どこで発散すれば良いのだろう。

 もう冬だというのに汗だくになったので、汗を流して着替えてから食堂へと向かった。


 分厚く切ったベーコンの塊を炙ったもの、目玉焼きを五つ、カボチャのポタージュスープに、山盛りのパン。

 アツーカ村の実家なら、家族全員で食べる量を僕らは一人で食べる。


 訓練所に入った当時は、トーレやルベーロはザカリアスの三分の一も食べなかったけど、今では同じ量を無理やりにでも詰め込んでいる。

 これまで僕らは、自分の得意な分野を伸ばして上に行こうと考えていたけれど、騎士団の応援として実戦に出てみて、それだけでは足りないと思い知らされたのだ。


 得意分野を伸ばすのは当然で、苦手分野も克服して伸ばさなければ、一流にはなれないのだ。

 朝食を終えたら、部屋に戻ってベッドで横になる。


 食べた物を消化するにも体力を使うから、可能であれば何もせず体を休めるのは、ザカリアスが師事していた剣術師範の教えだそうだ。

 当然だけど、猛烈な眠気が襲ってくる。


 抗う術も無く、そもそも抗う気も無く眠りに落ちる。

 次の瞬間、ザカリアスに肩を揺さぶられて起こされた。


「オラシオ、起きろ」

「うそっ、今眠ったばかりなのに……」

「諦めろ、時間だ」


 普段は寝起きが良くないザカリアスだが、手合わせの前だけは真っ先に目を覚まして皆を起こして回るのだ。

 格闘場に向かう前に顔を洗って眠気を覚まし、防具を身につけた。


 最初は、防具を付けるだけでも一苦労だったけど、今では素早く、確実に装着できるように練習も重ねたので、だいぶ体に馴染んできている。

 正式な騎士になると金属製の鎧が支給されるが、訓練生に支給されるのは革鎧だ。


 見た目も防御力にも違いがあるが、革鎧を着込むと騎士になったような気になってしまう。

 革鎧といえども、胴の部分には王家の紋章が入っているのだ。


「よし、始めるぞ。準備体操から気を抜くなよ」


 僕とトーレ、ルベーロは訓練所に来る前は武術を習った経験がないので、自主練習の時には経験者であるザカリアスの指示に従って準備運動から始める。

 木剣を使って素振りから始め、型を使った後で、防具を付けて手合せを行う。


 最初は、トーレとルベーロが手合わせした。

 頭一つ以上の身長差がある二人だが、手合せの勝敗は拮抗している。


 じっくりと構えて、相手の動きに合わせて反撃するトーレと、自ら動いて相手の隙を引き出すルベーロという構図だが、最近は少し様子が変わってきている。

 今回も、先に仕掛けたのはトーレだった。


 自慢の脚力を活かして一気に距離を詰めたトーレだったが、ルベーロも漫然と待っている訳ではない。

 持ち前の素早さで、トーレの右側へと回り込み、肩口を狙って木剣を振り下ろした。


 カツーンと乾いた音が格闘場に響き渡り、トーレに力強く木剣を弾かれて、ルベーロの右腕が撥ね上げられる。

 トーレはその隙を逃さず、盾を使って体当たりを食らわせた。


「うわっ……まいった!」


 尻もちをついたルベーロの首筋に木剣を突き付け、トーレが最初の手合せを制した。


「くそぉ、オラシオ戦術を取り入れたのか……」

「良いものは参考にして取り入れる。その方が戦術の幅が広がるからな」

「よし、次は俺とオラシオ……ん? なんだ?」


 僕とザカリアスが手合わせを始めようとしたら、何やら格闘場外が騒がしくなった。

 何事だろう思っていたら、格闘場の扉が開かれ、見覚えのある人物が一礼してから踏み込んで来た。


 今日は騎士服姿ではないけど、艶々な毛並みの猫人を僕が見間違うはずがない。


「ニャンゴ!」

「よぅ、オラシオ。元気にしてたか?」


 僕がちょっと泣きそうなのに、ニャンゴは笑みを浮かべながら歩み寄って来た。


「どうしたの? ダンジョンで活躍してるって聞いてたけど……」

「おぉ、その件で王家から呼び出されて、昨日はお城に行ってきたんだ」

「えぇぇぇ……まさか、王族の皆様とも会ったの?」

「おぅ、陛下と差し向かいで説明してきたぞ」

「えぇぇぇ……」


 国王陛下と差し向かいで話をするなんて、僕らでは一生も掛かっても経験できそうもない。

 それを事も無げに語るニャンゴは、また遠くへ行ってしまったようだ。


「オラシオ、休みなのに訓練してるのか」

「だって、頑張らないとニャンゴがドンドン遠い存在になっちゃって……」

「馬鹿だなぁ、周りが何を言おうと俺は俺だって、前に会った時も同じような話をしたよな」

「だって、ニャンゴの活躍を耳にしない日なんて無いんだよ」

「そうなのか……あぁ、ごめん。これから手合せとかする予定だった?」

「うん、僕とザカリアスがやるところ」

「じゃあ、オラシオの格好良いところを見せてくれよ」


 ニャンゴに頼まれたら仕方ない、格好良くはないと思うけど、頑張るしかないじゃないか。


「よし、俺が審判を務めるぞ」


 いつものようにルベーロが審判役を務め、僕はザカリアスと向かい合った。

 お互いに左手に盾、右手に片手剣を持っているけど、僕の盾はザカリアスのものよりも大きい。


「始め!」


 ルベーロの号令と同時に、ザカリアスが猛然と踏み込んで来た。

 ここから変幻自在な打ち込みを盾で凌いで、体当たりを食らわす隙を……と思っていたら、ザカリアスは更に踏み込んで来た。


「うもぉ……」


 予想外の体当たりを受けて尻餅をついてしまったところで、ザカリアスの木剣が僕の首筋に押し当てられた。


「勝者ザカリアス!」

「うもっ、待って……もう一回!」

「いいぜ、立てよオラシオ」


 ニャンゴが来ていることが伝わったのか、いつの間にか格闘場には大勢の訓練生が押し掛けていた。

 その大勢の前で……いや、ニャンゴの前で無様に負けたままでは終われない。


 気合いを入れ直して、再度ザカリアスと向かい合う。


「始め!」


 ルベーロの号令と同時にザカリアスが踏み込んで来た。

 今度は、さっきのような失敗はしない。


 いつもよりも更に踏み込んでくるザカリアスに向かって、僕も盾を構えて突進する。


「うも……?」


 盾と盾がぶつかる直前、すっとザカリアスが体を開いた。

 目標を失って、つんのめった僕の背中をザカリアスの木剣が叩いた。


 慌てて振り返ろうとして、足がもつれて倒れ込んでしまった。


「勝者ザカリアス!」


 ルベーロの声を僕は床に突っ伏した状態で聞かされた。


「なんだ、あれ……だっさ」

「はははは、全然手合わせになってねぇじゃん」


 僕は器用じゃないから、普段からよく失敗をしては笑われている。

 いくら笑われたって、僕には目標があるから普段は気にしない。


 でも、今日はいつもとは違う。

 せっかくニャンゴが見に来ているのに、全然良いところを見せられずに笑われているのは辛い。


「オラシオ、今日のお前は格好つけようとしすぎだ。そんなんじゃ百回手合わせしたって負ける気がしないぞ」


 ザカリアスの言う通りだけど、頭が混乱して、どうすれば良いのか分からない。

 ノロノロと立ち上がった僕に、ザカリアスは渋い表情を浮かべてみせた。


「少し頭を冷やせ」

「うん……」


 その通りだと思って壁際へ下がろうとしたら、ザカリアスが意外なことを口にした。


「エルメール卿、どうです一手やりませんか?」

「えっ?」


 驚いて足下に落としていた視線を上げると、ニャンゴはニヤっと不敵に笑ってみせた。


「いいよ、やろうか……」


 ニャンゴは背負っていた鞄をトーレに預けると、壁に掛けてある棒を手に取った。

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