第360話 海水浴
ツバサザメを討伐した翌日、俺達は宿泊先をネッセルのホテルへ変更した。
討伐を成功させたお礼として、三日間無料で宿泊させてもらえる事になったのだ。
高級ホテルに無料で三日間も宿泊とは、謝礼にしても豪勢だと思ったのだが、セルージョが言うには理由があるらしい。
「元々、客の入りは良くなかったのさ」
「それって、ツバサザメのせい?」
「そうだ、いくら一旦姿を消したと言っても、いつ戻って来るか分からない状況で海水浴なんて楽しんでいられないだろう」
「まぁ、そうだよね。命懸けでやるものじゃないよね」
マハターテの砂浜は、遠浅の静かな海に面しているが、ツバサザメは水深の浅い所まで勢いを付けて突っ込んで来て、海水浴客を攫っていったそうだ。
あんな巨大な鮫だから、監視していれば接近してくるのは分かるだろうが、遊びに夢中になっていてバクっとやられたら一巻の終わりだ。
「昨日、ニャンゴがツバサザメを討伐したからと言って、はい今日から客が戻ってきます……なんて事にはならねぇ。客の多くは王都から来てるからな」
「そうか、知らせが届くのは、早くて今日の夕方ぐらい。それから宣伝して客がマハターテを目指しても、二日ぐらいは掛かるから……その間、ホテルの部屋は空いたままってことか」
前世日本のように、ネット経由でニュースが即伝わり、移動は電車やバスなどで、その日のうちに目的地……という感じにはいかない。
ツバサザメが討伐されたというニュースが伝わるのも、お客がマハターテまで辿り着くにも時間が掛かるのだ。
「それに、チャリオットを全員泊めるって事は、討伐の功労者であるニャンゴを招待するって事だ。あの巨大な鮫を討伐した、あのエルメール卿が宿泊したホテルとなれば、客の入りも違うだろう」
「つまり、タダで泊めてやるから宣伝の材料になれ……って事なんだね?」
「そういう事だが、良い部屋に泊まって、美味い魚が食えるんだ、文句は無いだろう」
「まぁ、昨晩みたいな食事が毎食出るなら、文句なんて言うつもりは無いよ」
昨晩のツバサザメ討伐祝賀パーティーで出された料理は、どれもこれも絶品だった。
港近くの食堂や宿で出されたメニューも美味しかったが、ホテルの料理は鮮度抜群の素材を更に一手間掛けて仕上げてあった。
切り身の厚さ、焼き加減、スパイスの使い方などプロの腕前に、うみゃいを連発するしかなかった。
今日も豪華なディナーに備えて、昼は軽めにしておいた方が良いだろう。
マハターテの岩場ではウニも捕れると聞いたから、ウニを使ったパスタなんか頼んじゃおうかにゃ。
部屋割りは四人部屋が二部屋で、男性用と女性用に分かれることにした。
荷物を置くと、兄貴がソワソワし始めていた。
「兄貴、トイレは入り口を入った左手の……」
「分かってる。そんな事より、泳ぎに行かないのか?」
兄貴がソワソワしていたのは、早く海に遊びに行きたかったからだった。
昨日、粉砕の魔法陣によって引き起こされた高波に攫われた時には、死ぬかと思ったんだぞ……と、散々文句を言われたから、てっきり海には行かないものだと思い込んでいた。
「兄貴、海は嫌いじゃないの?」
「こっちは、昨日の岩場と違って浅いんだろ? なぁ、まだ行かないのか?」
ライオスやガドは、バルコニーの庇の下に置かれたサマーベッドでノンビリするつもりらしく、そうなると俺が一緒に行くしかなさそうだ。
「わかったよ、じゃあ行くか」
「行こう、早く、早く……」
「そんなに慌てなくても、海は逃げたりしないよ」
水着なんて用意していないから、普段履いてるハーフパンツを直に穿いて海へと向かった。
ホテルの部屋からは、バルコニーの階段を使って砂浜に下りられるようになっている。
ライオス達が留守番を務めてくれるそうなので、兄貴と一緒に手ぶらで砂浜に下りた。
兄貴に手を引っ張られて、一緒に波打ち際を目指して走る。
考えてみれば、海水浴は猫人になってからは初めてだ。
まったく兄貴は子供なんだから……なんて思っていたけど、波打ち際が近付くほどにワクワクしてきた。
マハターテは、大きな湾の中の街なので、打ち寄せる波は小さい。
それでも猫人は、体のサイズが小さいから相応の迫力を感じる。
「おぉぉ……ぬ、濡れる、濡れる……」
波が引くのに合わせて沖に向かって走った兄貴が、慌てて駆け戻って来る。
海に足を浸していると、引き波で足下の砂が攫われてくすぐったい。
「おぉぉ……足が沈むぞ、ニャンゴ」
「楽しいな、兄貴」
「おぉ、これが海か……」
ツバサザメの影響で、海水浴を楽しむ人の姿は少なく、まるでプライベートビーチにでも来たようだ。
童心に帰って、兄貴と一緒に砂山を作ったり、空属性魔法で箱眼鏡を作って海の中を覗いたりして遊んでいたら、見知らぬ女性に声を掛けられた。
二十代前半ぐらいの牛人と羊人の女性で、かなり露出度の高い水着姿だ。
「あのぉ……ニャンゴ・エルメール卿でいらっしゃいますか?」
「はい、そうですけど」
「もしよろしければ、私達と食事でも……」
どこの世界でもアピール方法は一緒なのだろうか、少し前かがみになって寄せて、上げて誘ってくる。
「ごめんなさい、今日は兄貴と一緒に遊ぶので……」
「そうですか。では、また夜にでも……」
最後にもう一寄せした後、二人はプリンプリンと尻尾を振りながら遠ざかっていった。
「いいのか? ニャンゴ」
「あの手の女性は、セルージョに任せておくよ」
「そっか、それもそうだな」
「あっ……兄貴、魚!」
「にゃにゃっ! 待てっ……うわっ、しょっぱー……」
「にゃははは……」
足元に寄って来た魚を捕まえようとして、兄貴は頭から波をかぶった。
その後も、空属性魔法でエアマットを作って兄貴と波乗りして遊んでいると、同じように女性から声を掛けられたけど、丁重にお断りしておいた。
今日は兄貴に付き合ってあげなきゃいけないから、俺は忙しいのだ。
「ニャンゴ・エルメール卿でいらっしゃいますか?」
「ごめんね、今日は兄貴と……って、レイラ」
もう逆ナンパにはウンザリだと思いながら振り返ったら、そこに居たのは水着姿のレイラだった。
黒のワンピースタイプの水着は、胸の間や脇が大胆にカットされていて、一言で現すならエロい。
これ、波の荒い海岸では、ポロリしちゃうやつでしょう。
「ざーんねん、私も振られちゃったわ」
「いや、どこかの知らない人かと思って……」
「ホント、次から次にモテモテね」
「うーん……正直ちょっと迷惑。あれって、どんな人達なんだろう?」
「さぁ? 行き遅れの貴族の令嬢か……火遊びしたいお金持ちのマダムか……いずれにしても、ニャンゴとお近づきになりたい人達ね」
「また夜に……なんて言ってた人もいたし、なんだか気が休まらないにゃ……」
「あら、大丈夫よ。私やシューレやミリアムを周りにはべらせておけば近付いて来ないわよ」
確かに、元ギルドの酒場のマドンナだったレイラと一緒にいれば近付いて来ないかもしれない。
ミリアムは……まぁ、オマケってことで。
「そう言えば、シューレ達は? 来る前に泳ぎの特訓がどうのとか言ってなかったっけ?」
「シューレがミリアムにあれこれ水着を着せて遊んでたけど、もう来るんじゃない?」
そういえば、王都でもドレスを買いに行ってとか話してたな。
シューレは、弟子のミリアムにあれこれ世話を焼くのが楽しみなようだ。
ホテルで水着を売っていたなら、俺も兄貴に買ってやれば良かったかな。
兄貴は白黒ブチだから……いっそ真っ赤なブーメランパンツでも穿かせてみようか。
なんて馬鹿な事を考えていたら、水着に着替えたシューレとミリアムがやって来た。
シューレは白の三角ビキニ、ミリアムは腰の周りに短いフリルが付いた、いわゆるお子ちゃま水着だ。
そしてミリアムは、シューレに抱えられて諦めの表情をしている。
俺達のところで足を止めると思いきや、シューレはザバザバと沖に向かって歩いていく。
「ちょ、ちょっと、そんなに行ったら足が届かなくなるんじゃないの?」
「大丈夫、心配は要らない……」
「心配よ、めちゃくちゃ心配よ!」
そのままシューレは歩き続けて、胸の辺りまでの深さになるまで歩き続けた。
一体どんな特訓が始まるのか興味が湧いたので、俺達も行ってみることにしたのだが、その深さだと俺と兄貴も足が届かない。
なので、空属性魔法でボートを作って、兄貴と一緒に乗っていった。
シューレは、上に向けた両手の平にミリアムを立たせている。
「ど、ど、どうすればいいの?」
「落ち着いて、ミリアム。海は普通の水に比べると浮きやすいの」
「えっ、そうなの……?」
「そう、だから、そこに風属性の魔法を組み合わせれば、体を浮かせて海面を歩いていける……はず」
いやいや、海面歩いたら塩水の浮力は全く関係無くなっちゃうでしょ。
「そ、そんな事、ホントに出来るの?」
「出来る……はず」
はずの部分が凄い小声なんだけど……。
「さぁ、ミリアム。体を浮き上がらせるように、風をまとってみなさい」
「風をまとうって言われても……」
「つむじ風が枯葉を舞い上げるイメージよ」
「つむじ風……枯れ葉……風よ!」
ミリアムが目を閉じて集中を高め、両手を翼のように広げて風属性の魔法を発動させるとシューレの髪が激しく煽られた。
「さぁ、踏み出すのよ!」
「はい!」
ミリアムは両手をピンと広げて、覚悟を決めて一歩を踏み出し、ポチャっと小さな水音を残して海中に沈んだ。
「ごぼっ……無理ぃ! がはっ、がはっ!」
「いやん……」
水中でジタバタと暴れたミリアムは、シューレの体をよじ登ろうとして、シューレのビキニのブラをむしり取ってしまった。
でも、ミリアムにしてみれば、いやんどころじゃないと思うぞ。
海面を歩けなんて、無茶振りにも程がある。
「ミリアムなら軽いからいけるかと思ったのに……やっぱり無理だったか……」
「酷い! やっぱりって……酷すぎる!」
「じゃあ、次は普通に泳ぐ練習するわよ……」
「えぇぇぇ……」
シューレは、何事も無かったように水泳の訓練を開始する。
うん、今日はさすがにミリアムに同情した。
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