第293話 台風一過
嵐は夜中のうちに通り過ぎていった。
時折、折れた太い枝が飛んで来たりしたが、固さと弾性を兼ね備えたドームはビクともしなかった。
嵐が通り過ぎて朝日が昇った後、ドームを解除して代りに湯舟を作った。
雨上がりで強く香る森の匂いに包まれながら、露天風呂に浸かるのは何とも贅沢な気分だ。
勿論、湯舟にはレイラも一緒に浸かっている。
魔物がたくさん生息しているであろう森の中で、素っ裸で風呂に浸かるなんて無防備にもほどがあるが、襲ってきたら返り討ちにしてやるだけだ。
それよりも、昨夜いっぱいうにゃうにゃして汗だくになってしまったから、風呂に入らないという選択肢は無いのだ。
「んー……気持ちいい、楽しいね、ニャンゴ」
「うん、でも色々大変だった……」
「そこは男としての力量が問われるところよ。大変なんて言ってるようでは、ニャンゴもまだまだね」
「はぁ……いい男への道程は遠いにゃ」
風呂から出たら、ドライヤーで自分の毛並みとレイラの髪と尻尾を乾かして、洗濯済みの下着を身に着ける。
未開の森の中で見るレイラの裸身は、まるで絵画のように美しいけれど、やっぱり色々と目の毒だ。
朝食は、リュックに入れておいた携帯食をレイラと分け合った。
パッサパサなのでお茶かカルフェが欲しくなるけど、今は水だけで我慢するしかない。
「さて、ニャンゴ、どうやって帰る? それとも、ここで暮らしちゃう?」
「いやいや、ふかふかの布団も美味しいご飯も無いから帰るよ」
「あら、ここなら私を食べ放題よ……」
「それは、そうかもしれないけど帰る」
「そうね、ここで暮らすって言われたら私も困っちゃうわ」
レイラは昨日と変わらない様子だけれど、俺は何だか意識してしまう。
割り切った大人の関係というのがどんな物なのか、まだお子ちゃまな俺には難しい。
夜明け前に雨は上がったが、相変わらず強い南風が吹いていた。
森の中にいてもこれだけ風を感じるのだから、空の上では更に強い風が吹いていそうだ。
飛行船を飛ばしても、たぶん昨日の二の舞になるだろう。
かと言って、オフロードバイクで走るには道が悪すぎる。
「ニャンゴ、お客さんよ」
「うん、どうしよう、倒した方が良いのかな?」
シュレンドル王国へと戻る方法を考えていたら、コボルトの群れが近づいて来ていた。
昨日、国境の岩だらけの谷で追い払ったのとは別の群れだと思うが、全部で二十頭ぐらいいるようだ。
「ニャンゴが倒さないなら、私が倒しちゃおうかなぁ……」
「いやいや、折角お風呂に入ったばかりなのに、返り血まみれになっちゃうよ」
レイラが使うナックルブレードは、斧の刃を拳で握り込んで使うような武器だ。
当然、戦いは接近戦になるし、返り血を浴びずに戦うなんて不可能だ。
「じゃあ、ニャンゴがやってくれる?」
「仕方ないなぁ……」
人里近くに出没して、被害を出しそうな群れについては迷いなく討伐出来るけど、森の奥にいるような群れを倒すのは抵抗がある。
コボルトは、ゴブリン同様にたくさんいる魔物だが、無闇に殺していると生態系に悪影響を及ぼすのではないかと考えてしまうのだ。
こちらの世界の人達にとっては、コボルトは魔物であり討伐する対象でしかないが、前世の知識を持っているおかげで生じる迷いだ。
「下手に倒すと、血の匂いで別の魔物が寄ってきそうだから……雷」
「ギャゥン!」
強めに設定した雷の魔法陣に触れたコボルトは、悲鳴を上げ、体を硬直させてぶっ倒れる。
俺達が何かしたようには見えないのに、何もないところで次々に仲間が倒れ、コボルト達の接近が止まった。
止まったけれど、逃げて行く気配が無い。
「だいぶ飢えてるみたいよ」
「ホントだ、ガリガリに痩せてるのもいる」
良く見ると、コボルトの群れは獲物に恵まれていないのか、痩せ細っているように感じる。
これは、もう少々脅さないと追い払えなさそうだ。
「粉砕!」
「ギャン!」
爆破の威力よりも、風圧重視で粉砕の魔法陣を発動させ、群れの先頭にいる二三頭を吹き飛ばした。
爆風に煽られて、仲間が宙を舞う姿を見せられて、ようやくコボルト達は逃亡を選択したようだ。
「今の時期のコボルトが、あんなに痩せているのは変よね?」
「やっぱりエスレート側で何かが起こっている気がする」
「もっと奥まで見に行ってみる?」
「ううん、今日はそのための準備をしていないから帰る」
「賢明な判断ね。でも、どうやって帰るの? まだ風は止みそうもないわよ」
「うーん……高ーく上ってから、滑って帰ろうかと……」
「えっ、滑って帰る……?」
まぁ、レイラが首を傾げるのも当然だろう。
飛行船では風の影響を受けるし、オフロードバイクじゃ走破が困難。
だったら、長ーい滑り台を作って、シュレンドル王国まで滑って帰ろうと思ったのだ。
そう、人生は楽しまなければいけないからね。
「じゃあ、レイラ。ここに昨日と同じ座席を作ったから座って」
「昨日と同じじゃ風に流されちゃうんじゃないの?」
「うん、昨日とは違って、まずは上へ参りまーす」
エレベーターシャフトのように、縦に延びる筒を継ぎ足しながら、空属性魔法で作った熱気球で上空を目指した。
空は台風一過の快晴で、シャフトの中を通っているから風の影響も無し。
グングンと高度が上がると、昨日飛んできた国境の荒れ谷や山並みが良く見えた。
「イブーロは……あっちかしら?」
「うん、たぶんそうだと思う」
「エストーレは、どんな感じ……あれを見て、ニャンゴ」
「えっ、あれ全部伐採された森なのかな?」
昨日の高度では見えなかったが、更に高度を上げてみると遠く離れた森の一部が伐採されて山肌が剥き出しになっているように見える。
ここから見ただけでは狭い範囲のように見えるが、距離を考えたら伐採されているのはかなりの面積になりそうだ。
「あれが原因じゃないの?」
「かもしれない……でも、何のために森を切り開いているんだろう」
「見て、ニャンゴ。あっちにも、あっちにもあるわよ」
「ホントだ……どこまで伐採するつもりなんだろう」
一か所だけでもかなりの面積になりそうな伐採箇所が、見えている限りでも四か所ある。
伐採こそされていないが、伐採箇所の間に挟まれた森も環境は変わってしまっているだろう。
人が頻繁に足を踏み入れて、冒険者達が討伐を行うようになれば、当然今まで住んでいた魔物や獣は森の奥へと追いやられる。
伐採を行う人達の安全確保を目的に、そうした討伐は当然行われているはずだから、相当な数の魔物や獣が住み家を失ったことになる。
「帰って、コルドバスに知らせた方がいいわ。このまま更に伐採の面積が広がるようなら、シュレンドル側への魔物の流入も続くでしょう」
「そうだね、騎士団にも知らせて、森に近い集落や村を警戒させた方がいい」
シュレンドル王国とエストーレを遥か眼下に見下ろす高さまで上ったら、方向を見定めてコースを設定する。
「えーと……イブーロは、あれかなぁ……」
「ねぇ、ニャンゴ。滑って帰るって言ってたけど……」
「うん、しっかり掴まっていてね。スタート!」
「えっ、わっ……きゃぁぁぁぁ!」
座席の下は、抵抗が無くなるようにツルツルに仕上げてある。
同じくツルツルに仕上げたコースをイブーロ目掛けて一気に滑り降りる。
「すっごい、楽しぃぃぃぃぃ!」
「にゃはははは、速い、速い!」
スタートはジェットコースター並みの角度にして、あとは速度が落ちない程度の傾斜でコースを継ぎ足しながらひたすら滑り続ける。
向かい風の影響を受けないように、コースアウトしないようにコースはチューブ状にしてあるけど、座席に屋根は付けていないから風を切って進む快感を味わえる。
「ニャンゴ、これ楽しい! これから移動は全部これにしようよ」
「これは、コースの継ぎ足しが大変だし、大勢や荷物載せて運ぶのには向いてないんだ」
「ざーんねーん……でも、また乗せてね」
「うん、またね……」
アツーカ村を眼下に見下ろし、キダイ村の上空を通過して、イブーロを目指して滑り続ける。
前世の日本と違って、高圧電線に引っ掛かる心配も要らないし、コースの設定だけを間違わなければ大丈夫だ。
体感的には二時間近く滑り続けて、ようやくイブーロの北門前へと戻って来られた。
空を滑り降りて来た俺達を見て、門を守る衛士の一人が驚いていたけど、もう一人はいつもの事だ……みたいな顔で呆れているようだ。
「おかえりなさい、エルメール卿。こいつが腰を抜かしそうなんで、あまり驚かさないで下さい」
「申し訳ない。ちょっとエストーレから急いで戻ってきたもので、許して下さい」
「えっ、エストーレ……?」
「はい、詳しい話は騎士団にも報告しておきますから、そちらから聞いて下さい」
「えっ、えぇぇぇ……」
まさか本当にエストーレまで行ってたとは思わなかったのだろう、今度は二人とも驚いていた。
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