第292話 嵐

 エストーレとの国境地域を確認したので、アツーカ村へと戻ろうと思ったのだが……。


「ニャンゴ、そっちはエストーレじゃないの?」

「分かってる……にゃ、流される……」


 足下ばかりを気にしていたら、いつの間にか空の様子が一変していた。

 一部が黒く見える厚い雲が、引き千切られるように飛んでいく。


「嵐が近付いているみたいね」


 レイラが指差す右手前方は、雲が低く垂れこめて真っ暗になっていた。

 飛行船の機首を南西に向けて、飛んできたコースを戻ろうとするが強い風に押し戻される感じだ。


 しかも、時折東寄りの突風が吹き付けて来て、飛行船は国境を越えてエストーレ側の森の上まで流されてしまった。


「にゃにゃっ、マズい、マズい、雨も降ってきた……」

「ニャンゴ、落ち着いて」

「だって、このままじゃ帰れなく……にゃぁぁぁ!」

「きゃぁぁぁ……」


 一際強い突風に煽られて、飛行船の機体がロールしながら飛ばされた。

 空属性魔法を使って必死に機体の回転を抑え込んだが、これ以上飛び続けるのは危険だ。


「ごめん、レイラ。危ないから地上に降りる」

「分かったわ、そうしましょう」


 今や安定翼は機体を回転させてしまう存在でしかないので消してしまい、機首を風上に向けて流されつつも高度を下げていく。

 樹齢百年を超えているであろう巨木の森が、まるで草原のようにうねって見えた。


 叩きつけるような雨が降り出して、周囲の視界を奪う。

 もう着陸というよりも不時着と呼んだ方が良さそうだ。


 巨木の先端が迫ってきたところで、リュックを抱えて飛び出す準備をする。


「レイラ、飛び出すから、しっかり掴まってて!」

「いつでもいいわよ!」

「いくよ、シールド! エアバッグ!」


 俺とレイラを包み込むように球体のシールドを展開し、落下地点にはエアバッグを発動させた。

 股間がヒュっとなる浮遊感の後、落下の衝撃が襲ってきたが、エアバッグのおかげでベッドに飛び込んだ程度の衝撃で済んだが状況は思わしくない。


「にゃっ……アツーカ村はどっちだろう」

「駄目よ、ニャンゴ。慌てて動いちゃ駄目」


 球体のシールドを展開したままだが、外は滝のような土砂降りだ。

 空は真っ暗で太陽の位置も分からないし、当然方角も分からない。


 なにより、自分たちが何処にいるのかも分からない状態だ。


「天候が回復すれば、ニャンゴの魔法で飛んで帰れるわよね?」

「うん、この風と雨が止めば大丈夫」

「だったら嵐が通り過ぎるのを待って、進むべき方向を見定めてから動きましょう。大丈夫、この天候では魔物達も息を潜めて動かないわ」

「分かった……ごめん」

「謝ることなんて無いわよ。私が無理を言って一緒に連れてきてもらったんだから」

「うん、それでも……ごめん」


 人跡未踏と思われるエスレートの深い深い森の中で、透明な球体シールドの中で豪雨に打たれている……まさにファンタジーな光景なんだけど、このままだといずれ窒息する。

 球体シールドの外側に、直径5メートルほどの半球状のドームを作った。


 風下側に通風孔を開け、水没しないように地面から浮かせた所に床を作ってから球体シールドを解除した。


「ニャンゴ、ずっと魔法を使いっぱなしだけど大丈夫なの?」

「うん、魔力を回復させる魔法陣も使ってるから大丈夫」

「それにしても酷い降りね」

「こんなに酷い嵐は初めてかも……」


 たぶん、台風級の低気圧が接近しているのだろう。

 雨も風も、弱まるどころか更に激しさを増している。


「ニャンゴ、何を見ているの?」

「地形……周りよりも低いところだと、雨水が押し寄せて来るかもしれないし、土砂崩れに巻き込まれるかもしれないからね」


 見えない部分は空属性魔法の探知ビットを展開して調べたが、幸いこの辺りは平坦な地形のようだ。

 雨が酷いので探知ビットの感度も下がっているが、二百メートルほど行った所から下っていて、その先には沢があるらしい。


「大丈夫……だと思う」

「だったら、こっちに来て少し休みなさい。ずっと気を張っていたら持たないわよ」

「うん、そうだね」


 ドームの中央に空属性魔法でベッドを作った。

 別に疚しい目的ではなくて単純に体を休めるためだが、いつものごとくレイラに抱き枕にされてしまった。


 というか、正直に言うと抱き枕にされるように仕向けた。

 虚勢を張っているけれど、内心はパニックになりそうなほど不安で一杯なのだ。


「ニャンゴは、本当に凄いわね」

「ううん、そんな事ないよ……」

「凄いわよ。何の準備もしなくても、こんなに頑丈な空間を確保して、こんなに寝心地の良いベッドまで用意するなんて、他の人では出来ないわよ」


 確かに、この風雨では普通の天幕では吹き飛ばされたり、倒れなくても雨が染み込んで来て悲惨な状況に陥る可能性が高い。

 それに、急いで天幕を張ると地均しをしている余裕も無いので、酷く寝心地の悪い思いをしたりするらしい。


「でも、準備が不足していたから、こんな状況になってるんだから、自慢は出来ないよ」

「そっか、ニャンゴにとっては不満なんだね。でも、私は結構……というか凄く楽しんでるわよ」

「えっ、楽しんでるの……?」

「勿論、この雨に打たれて泥だらけになって森の中を彷徨っていたとしても、私は楽しんでいたと思うわ」

「どうして? もしかしたら死んじゃうかもしれないんだよ」


 身をよじって体の向きを変えると、レイラはニッコリと微笑んでいた。


「普通に生きていたって、人間は何時死んじゃうか分からないわよ。道を歩いているだけでも、馬車に撥ねられて死んじゃうかもしれない。十分に準備をしてから討伐に出掛けても、予想外に大きな魔物の群れに囲まれる場合だってあるわ」

「それは、そうかもしれないけど……」

「ケビンが死んだ時に、私はケビンの気持ちが分からなかったの」


 ケビンは、元チャリオットのメンバーでレイラの恋人だった冒険者だ。

 おそらく癌だったのだろうが、内臓の病気を抱えた状態で討伐依頼に参加して、オークジェネラルと差し違える形で命を落としたと聞いている。


「治療をしていれば、もっと長く生きられたはずなのに、もっと一緒にいられたと思うのに……でも、最近になって少し分かった気がするのよ。ケビンは、冒険者として死にたかったんだ……てね」

「だから、レイラも冒険者に戻ったの?」

「んー……それもあるけど、それだけじゃないわね。冒険者として生きるというよりも、私らしく生きていたいわ」

「レイラらしく……?」

「そうよ、私らしく、私の人生を楽しむの。あのまま酒場で働いているよりも、ニャンゴ達と一緒にダンジョンに挑んだ方が楽しいを思わない?」

「それは、そうかも……」

「空を飛ぶなんて経験は、ニャンゴがいなかったら私の全財産を支払っても叶えられなかったと思うわ」

「でも、その結果がこんな状況だし……」

「だからじゃない。空を飛んで、嵐に流され、エストーレの森でニャンゴと二人きり……こんなの他の人じゃ経験出来ないわよ。この先、悲惨な状況に見舞われて命を落とす事になったとしても、私は最後まで私らしく生きたって胸を張れるわ。ケビンが息を引き取る時、何て言ったと思う?」

「えっ……死にたくない……いや、ありがとう?」

「あー楽しかった……だって、恋人を残して死んでいく男のセリフじゃないでしょ。呆れちゃったわ」


 確かに、恋人との最期の瞬間に、あー楽しかったは無いと思うが、ちょっと羨ましいと思ってしまった。

 俺の前世の人生を思い出してみたら、後悔しか残っていない。


 あー楽しかったなんて、間違っても言えない最期だった。

 それに比べれば、今度の人生はスタートこそ良くなかったが、今は人並以上に充実した時間を過ごせている。


 楽しめているかと聞かれれば、今の人生は大いに楽しんでいる。


「でも、それでもレイラを無事に連れて帰らなければ、楽しかったとは言えないよ」

「ふふっ、ニャンゴは真面目ね。ケビンと足して二で割ると丁度良いくらいかも……」

「にゃにゃっ、レ、レイラ、にゃにゃんで俺を脱がそうとしてるの?」

「決まってるじゃない、人生を楽しむためよ」

「にゃっ、そういう事は将来を約束した人と……」

「あら、冒険者たるもの割り切った大人の関係も覚えておくものよ」

「ふにゃぁ、割り切ったって……」


 話をしながらもレイラは俺の服を脱がせて、自分の服もポイポイっという感じで脱ぎ捨てた。


「あぁ、気持ち良くなっても、屋根とベッドは消さないように頑張ってね」

「こ、こんにゃ状況じゃ……」

「あら、こんな状況だから誰にも見られる心配なんか要らないわよ」

「ふみゃ、レイラ……らめぇぇぇぇぇ!」


 エストーレの深い深い森の中、空属性魔法で作ったドームの外では嵐が吹き荒れる中で、俺はレイラに翻弄された。

 屋根もベッドも消さずに済ませたのだから、俺は頑張ったと思う……うにゃ。

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