第202話 王都の学院

 王都の学院と上級学院の敷地は、第二街区から第一街区へと入る西門の南側に広がっていた。

 先日、ナバックと行った花見の穴場から、フューレィの並木越しに見えていた趣のある石造りの建物が学院だ。


 学院には王族、貴族、そして富裕層の子供が入学し、いわゆる一般市民向けの学校は第三街区にあるらしい。

 学院の制服は、深いグリーンの上着とブラウンのスラックス、またはスカートとなっている。


 スカートの丈は、日本の女子高生のように短くなくて、膝下丈の落ち着いたスタイルで、ハイソックスを履いているので生足の露出は無い。

 ラガート子爵の娘アイーダも、学院の制服に身を包んで玄関に現れた。


 貴族らしいドレス姿とは違って、制服姿となると年相応の幼さが感じられる。


「何か仰りたい事でもございますか? エルメール卿」

「いいえ、良くお似合いですよ」

「そ、そう…… ありがとう……」


 ラガート家では、アイーダが学院に入学、長男のジョシュアは上級学院の二年生、次男のカーティスは学院の最上級生となる。

 学院に向かう魔導車では、俺は御者台のナバックの隣りに座り、入学式では子爵と一緒に会場に入って警備を行う予定だ。


『巣立ちの儀』以後、第三街区から第二街区への移動は勿論、第三街区への荷物の持ち込みも検査が厳重になっていて、魔銃や粉砕の魔法陣は持ち込まれていないはずだ。

 それでも事前に持ち込まれた可能性は否定できないので、念のために警備を行う。


 今日の警備でも、万が一襲撃があった場合は、姫殿下を始めとする王族の警備を優先し、ラガート家の関係者は後回しで良いと言われている。

 上級学院には、俺に薬を盛ったエデュアール殿下も在籍しているが、もし襲撃があった場合でも守ってやるつもりはない。


 子供達三人が教室へ向かい、ラガート子爵夫妻と共に控室で入学式を待っていると、国王陛下とエルメリーヌ姫の母親、フロレンティア王妃が姿を見せた。

 ラガート子爵夫妻と共に挨拶に出向くと、国王陛下から謝罪された。


「エルメール卿、先日はエデュアールが失礼した。体調は問題ないか?」

「はい、もう何の心配もございません」

「まったく、いつまでも子供のような振る舞いをして情けない、私からも強く窘めておいたから、今回のところは許されよ」

「はい……」


 国王陛下からも謝罪されてしまっては、許さない訳にはいかない。

 この国王から、どうしてあんな王子が生まれてくるのかと不思議に感じてしまった。


 国王陛下の許へは、狼人の学院長も挨拶に訪れていた。

 年齢は60代も後半ぐらいだろうか、仙人のような髭を蓄え、豪奢なローブを羽織り太い自然木の杖を携えている。


 絵に描いたような魔法使い姿の学院長は、国王陛下夫妻に挨拶した後、他の貴族にも挨拶をして回り、ラガート子爵夫妻に挨拶した後で俺にも声を掛けてきた。


「エルメール卿でいらっしゃいますな、学院長のゲッフェルトと申します」

「初めまして、ニャンゴ・エルメールです」

「エルメール卿は、とてもユニークな魔法を使われると伺いましたが、お時間が許せば式典の後で話をお聞かせいただきたいのですが……」


 一応、ラガート家の騎士も同行しているが、護衛という立場上許可が必要だと思って子爵に視線を向けると頷き返された。

 まさか、学院長が一服盛ることは無いだろうから、会談を承諾した。


 入学式は、在校生の代表としてエデュアール殿下が挨拶を行い、新入生の代表としてエルメリーヌ姫が挨拶を行うという王族ショーが繰り広げられた以外は、いたって普通の入学式だった。


 ただし、在校生の数に比べて、新入生の数が極端に少ない。

 言うまでもなく、先日の襲撃が原因だ。


 エルメリーヌ姫やアイーダは守れたが、その他の子供を守るだけの余裕は俺には無かった。

 他の者達にも救いの手を差し伸べていれば、あるいは何人かの命を救えたかもしれないし、そのためにエルメリーヌ姫達を危険に晒していたかもしれない。


 一人の人間に出来ることには限界があるし、そもそも会場の警備は王国騎士団の責任だ。

 新入生の少なさに責任を感じるよりも、無事にエルメリーヌ姫とアイーダを入学させられたことを誇ろう。


 そう言えば、デリックは騎士団見習いの訓練所へ入るから、この場には姿は無い。

 肩の負傷はエルメリーヌ姫に癒してもらっていたみたいだが、オラシオをあんなゴリマッチョに変身させるような厳しい訓練についていけるのだろうか。


 訓練場での先輩後輩の関りとかは聞かなかったが、もし関わることがあるならば、遠慮なく扱くんだぞ、オラシオ。

 式典が終わり、子爵夫妻と別れた後、職員の案内で学院長室を訪れた。


 四階建ての学院の最上階にある学院長室には、ゲッフェルトの他に20代ぐらいの犬人の女性が待っていた。


「わざわざお運びいただきありがとうございます。エルメール卿」

「いえ、それで何をお話すればよろしいのでしょうか? 一応、冒険者という仕事柄、全ての手の内をお見せする訳にはまいりません」

「それは勿論心得ております。あぁ、先に紹介しておきましょう。こちらは刻印魔法を教えているリンネ教授です」

「初めまして、エルメール卿。リンネと申します。早速ですが、エルメール卿は空属性魔法を用いて魔法陣を作り……んきゃ!」


 マシンガンのように喋り始めたリンネは、学院長に自然木の杖で突っ込みを食らった。

 ゴスっとか音がしてたから、けっこう痛いんじゃないか。


「椅子も勧めず、茶も出さずに話を始めるな、馬鹿者が……いや、申し訳ない、御覧の通りの研究馬鹿でお恥ずかしい限りです」

「はぁ……」


 確かに、このリンネという教授からは、レンボルト先生と同じオーラを感じる。

 学院は、色々な所に伝手があるらしく、襲撃の様子もかなり詳しく把握しているようで、俺が空属性魔法を使って魔銃の魔法陣を発動させていた事も把握していた。


「魔素を含んだ空気を固めるだけで、魔法陣が発動するとは思ってもみませんでした。ただ、空気を魔法陣の形に固定するだけで発動するのであれば、そこら中で魔法が発動してしまうと思うのですが……」

「魔法陣の形に固める際に、空気を圧縮していますので、普通の空気中と較べると魔素の密度が上がるから刻印魔法が発動するのでしょう」

「なるほど、なるほど……一定の密度以上になれば魔法陣が発動する。確かに、それならば分かります。すると、その圧縮する度合いを高めれば、刻印魔法の威力も増すのですね」

「はい、その通りです。あとは、魔法陣自体の大きさによっても強さが増すのは、通常の魔道具と一緒です」


 応接ソファーに場所を移し、お茶を一服した後で学院長の許可が下りると、リンネ教授は矢継ぎ早に質問をぶつけて来た。

 俺の答えをメモしながら、尻尾が千切れんばかりに振られている。


 まるでボール遊びに夢中になっている犬みたいだ。

 そのブンブンと振られている尻尾が、イブーロでレンボルト先生の研究に協力していると言うとピタリと止まった。


 新しい魔法陣を教わる代わりに、その魔法陣の使い道などを試して報告していると話すと、心底羨ましそうな表情をしてみせた。

 前世の頃、研究に没頭しすぎて一般常識が欠落した人の話を聞いた事があったが、こちらの世界でも研究者は同じなのかもしれない。


「リンネ、せっかくエルメール卿が時間を割いて下さったのだ、お礼として世間では知られていない魔法陣を教えてさしあげたらどうだ?」

「はっ……そうですね。少々お待ち下さい、ちょっと研究室まで行って参ります、すぐ、すぐに戻りますから……」


 ドタバタとリンネ教授が研究室へ向かうと、学院長は大きな溜息を洩らした。


「リンネは亡き友人の娘なのだが、あの通り落ち着きがなくて困っております。実の娘のように思っておるのですが、研究一筋で色恋沙汰にはまるで興味が無いらしく、いつになったら孫の顔が見られるやら……」


 いや、それを俺に愚痴られても、嫁に貰ったりはしませんからね。

 バタバタと足音を立てて戻って来たリンネは、紙の束を抱えていた。


「エルメール卿は、いくつぐらいの魔法陣を使えますか?」

「そうですねぇ……火、明かり、水、風、温度調節……十個ぐらいですかね」

「そんなに……まるで複数の属性を操っているみたいじゃないですか」

「見方によってはそう見えなくもないですけど、あくまでも刻印魔法ですよ」

「ご存知の通り、刻印魔法は属性魔法よりも沢山の種類が知られていますが、実際には使い道の分からない魔法陣の方が多いとされています」

「えっ、そうなんですか?」


 魔法陣は、先史文明の遺物である魔導具を解析して実用化されているらしいが、古代の遺跡からは何に使われたのか分からない魔法陣の記述が見つかっているそうだ。


「現在の研究では、魔法陣を記録として残したもの、あるいは魔道具工房の見本だったと思われていますが、魔道具の形にして魔力を流しても何の変化も現れないものもあります」

「それは、記述が間違って発動していない……とかではないのですか?」

「はい、魔石ではなく人が魔力を流しているので、魔法陣に魔力が流れて発動しているのは確認されています」

「でも、何も起こらない……」

「そうです。そうした使い道の分からない魔法陣がいくつも発見されています」


 話を聞いているだけで、とても興味を惹かれた。

 それは何も起こらないのではなくて、起こっているのだけど、人には効果が目に見えないのではなかろうか。


 おそらくだが、滅亡した先史文明は、今の世界よりも遥かに高い文明を誇っていたと思われる。

 それは、もしかすると前世日本よりも進んだ文明だったのかもしれない。


「その何も起こらない魔法陣を教えていただくことは可能でしょうか?」

「はい、ここに十種類の魔法陣をお持ちしましたが、いずれも発動が目に見えない物ばかりです。お持ちいただいて、試していただけますか?」

「持って帰っても良いのですか?」

「はい、研究者には開示されている情報なので問題ございません」

「分かりました、それではイブーロに持ち帰って試してみます。何か分かれば、リンネ教授宛に手紙を書かせていただきます」


 差し出された紙束を受け取ると、リンネ教授は思いつめた表情で切り出した。


「あの、エルメール卿。その結果は、イブーロの教授には内密にしていただけませんか?」

「研究成果を独占したいのですか?」

「いえ、そうではないのですが……なんとなく、私よりも先に知られるのは悔しいと言いましょうか……」

「なるほど、ではリンネ教授に手紙を出した一月後にレンボルト先生に知らせるというのはどうでしょう? やはり専門家の意見を聞いた方が、より解明が進めやすくなると思うのですが……」

「はい、それで結構です。ぜひ、良い結果を知らせて下さい」


 この後、学院の食堂に場所を移して、更に魔道具関連の質問攻めに遭ったのだが、ローストオークがうみゃかったから良しとしよう。

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