第180話 おだやかな朝が……
『巣立ちの儀』の当日は、
ラガート家の紋章が入った革鎧を身に着けて、出発の準備を整えていると子爵から呼び出しを受けた。
「準備は良いか、ニャンゴ。今日はよろしく頼むぞ」
「はい、昨夜は早めに寝たので体調も万全です」
「そうか……だが念のために、こいつを渡しておこう」
子爵が差し出したのは、小ぶりの薬瓶に入った青い液体だった。
「これは……?」
「魔力ポーションだ。もし襲撃があって、途中で魔力切れになる恐れがある場合には使ってくれ」
ポーションには、傷の治療用、内服用、体力回復用、魔力回復用など、いくつかの種類が存在しているが、まともな効果が期待できる品物はどれも高価だ。
第五王女の警護を担当する俺に手渡すのだから、かなり高価な品物だろう。
「飲むだけで効果があるのですか?」
「そうだ、ニャンゴの体格ならば、まずは半分程度を飲んで様子をみてくれ。あまり大量に服用すると魔力に酔う場合があるらしい」
「分かりました。いざという時の切り札にさせてもらいます」
子爵の説明からすると、ちょうど魔物の心臓を食べた時のような感じなのだろう。
確かに大量に摂取してしまうと、気分がハイになりすぎて、やらかしてしまう恐れがある。
大聖堂の塔の天辺からハンググライダーで、あいきゃんふらぁぁぁい! なんてやらかしたら警備の騎士に蜂の巣にされかねない。
てか、医薬品なら用法用量を詳しく書いた説明書を付けておいてくれ。
ラガート子爵家は、アイーダの晴れの日だから一家全員で出掛けると思っていたが、長男のジョシュアは家に残るそうだ。
万が一、警備の想定を超える襲撃が行われた場合でも、全滅を防ぐための措置らしい。
「ニャンゴ、今日はよろしく頼むわよ」
「はい、お任せ下さいアイーダ様、今日は一段とお美しいですよ」
『巣立ちの儀』に臨むアイーダは、ヒューレィの花を思わせる黄色いドレスに身を包み、髪も薄化粧も入念に施され、普段のエルメリーヌ姫から一段落ちぐらいに磨き上げられている。
「あ、あんたに褒められたって、別に嬉しくないんだからね」
「これは失礼いたしました」
アイーダには昨日のうちに、襲撃があった場合にはエルメリーヌ姫の側にいるように念を押した。
盾を展開する範囲が小さければ小さいほど、強固な盾を形成できる。
逆に、守る範囲が広くなってしまうと、どうしても盾の強度も落とさざるを得ない。
空属性の盾は、魔法による攻撃に対しては高い防御性能を持つが、物理攻撃に対しては耐性強化の刻印を使っても限界が生じる。
襲撃の種類によっては、盾の性能も変えて対応したいので、姫様と離れ離れになるのだけは何としてでも避けてもらいたい。
あとは、俺自身がどれだけ早く二人の元へ駆けつけられるかだろう。
ラガート家の魔導車に同乗して会場へ入り、今日は子爵とアイーダと共にエルメリーヌ姫の元へと出向いた。
エルメリーヌ姫の居場所は、遠くからでも一目で分かった。
真っ赤なドレスに身を包んだエルメリーヌ姫は、比喩でも何でもなく光り輝いて見えた。
一般人が袖を通したらハンガーかマネキンのように見えてしまうであろう豪華絢爛なドレスも、エルメリーヌ姫を引き立てる脇役でしかない。
一緒に儀式に臨むエスカランテ侯爵家のデリックも、魂を抜かれたような表情でエルメリーヌ姫に目を奪われていた。
護衛を担当する俺としては、見失う心配が無いので大いに助かる。
あまりの神々しさに貴族の子息たちが話し掛けられずにいるエルメリーヌ姫に、子爵が挨拶に出向いた。
「エルメリーヌ姫殿下、本日はおめでとうございます」
「ありがとうございます、ラガート子爵」
「本日の儀式の間、娘のアイーダと当家が雇い入れたニャンゴが護衛を務めさせていただきます」
「はい、頼りにしています」
スカートを摘まんで優雅に挨拶するアイーダの傍らに跪き、頭を垂れて挨拶をした。
そのまま持ち場に移動しようとしたら、エルメリーヌ姫に呼び止められた。
「ニャンゴさん、これを……」
「これは……?」
差し出されたのは、細い鎖で首から下げられるようになっているメダルだった。
表面には、ヒューレィの花の文様が刻まれている。
「これは女性王族が用いる紋章です。私に縁のある者である証明となりますので、警備に役立てて下さい」
「ありがとうございます。お借りいたします」
恐らく、昨日の騎士団での様子を見て、俺が警備の現場で動きやすいように気を配ってくれたのだろう。
エルメリーヌ姫自ら俺の首に掛けるのを見て、周りにいた貴族の子息たちが驚きの表情を浮かべていた。
姫様と別れて監視用の櫓へ向かうと、さっそくメダルが威力を発揮した。
昨日、あれほど確認をしたのに、俺が姫様の警護をするなんて聞いていないと、門前払いされそうになったのだが、メダルを提示するとアッサリと櫓に上がらせてくれた。
櫓は騎士達のサイズに合わせて作られていて、俺の背丈では外の様子は粗隠しの布に遮られて全く見えない。
仕方がないので、手摺に上って会場を見下ろした。
会場には、多くの王都民が詰めかけていた。
今日の儀式は王族や貴族だけでなく、富裕層の子供や一般の子供も参加する。
一般庶民にとっては、王族と同じ場所に立つなど一生に一度あるかないかという貴重な機会だ。
自分の子供や孫の晴れ舞台を一目みようと、多くの親族が詰めかけているらしい。
まだ、儀式の開始までは時間がありそうなので、櫓の上で会場に目を光らせている騎士に尋ねてみた。
「あのぉ……例年と同じぐらいの人出ですか?」
「まぁ、そうだな……」
「例年は櫓ではなく、地面の上から見下ろしていたんですよね?」
「そうだ、ファビアン様のご提案だと聞いているが、確かにこれならば良く見通せる」
監視用の櫓は、会場の傾斜のすぐ上に作られているので、見下ろすとかなりの高さを感じるが、地面の高さからでは見通せない所まで目が届く。
不審者の捜索には、効果が期待できそうだ。
今日の『巣立ちの儀』は、まず一般の子供達が入場し、次に貴族の子供、最後にエルメリーヌ姫が会場に入ったタイミングで始められるそうだ。
まず、大聖堂の鐘が10回、儀式の開始を告げるために鳴らされ、続いて大司教が宣言を行う。
一番最初に儀式を受けるのはエルメリーヌ姫で、封印が解かれたら通路を進んで魔法を披露する。
その後、後方の階段を上り、石舞台の国王の許へと向かう。
俺の役目は、エルメリーヌ姫が石舞台に上がるまでで、そこから先は騎士団によって厳重な警備が行われるそうだ。
儀式が行われている間は、エルメリーヌ姫とアイーダが離れ離れになる時間が存在する。
そのタイミングでは襲撃を行わないで欲しいと切実に思うのだが、覚悟はしておいた方が良いのだろう。
国王陛下の臨席が伝えられると、会場に詰め掛けた者達が一斉に立ち上がり、石舞台に向かって頭を垂れた。
会場が、掘り下げられる形で作られているのは、こうして王族が庶民を見下ろすためなのかもしれない。
国王に続いて貴族が席についたところで、会場の一般人も着席した。
続いて、儀式を受ける子供たちが入場してくる。
どの子供達も、期待と不安に胸を躍らせている。
イブーロの教会前で儀式を受けた時は、俺もあんな感じで緊張していたのだろう。
貴族の子供達に続いてエルメリーヌ姫が姿を現すと、会場は大きくどよめいた。
横にいる騎士さえも、感嘆の溜息を洩らしたほどだ。
俺の位置から見ると、観覧席の下に儀式を受ける一般の子供達がいて、中央の通路を挟んで貴族の子供とエルメリーヌ姫が座っている。
エルメリーヌ姫は、貴族の子供達とも少し距離をおいた席に座っていて、その後にはアイーダだけが控えている形だ。
俺のいる櫓からは、距離にして30メートル程度なので、今すぐにでもシールドを展開して守りを固められる。
イブーロの司教が使っていたものよりも、更に大きな宝珠が嵌められた煌びやかな杖を右手に持ち、左手に聖書を携えて大司教が姿を現した。
儀式場の中央に大司教が歩み出て、一つ頷いてみせると大聖堂の鐘が打ち鳴らされた。
カ──ン……カ──ン……。
甲高く澄んだ鐘の音は、余韻を楽しむかのように、ゆっくりと打ち鳴らされる。
鐘の音が繰り返される度にざわめきが消え、会場は厳かな空気に包まれていった。
貴族の子供の中にも、緊張で顔を蒼褪めさせている者もいるし、デリックは儀式が待ちきれずにソワソワしているように見える。
アイーダも少し緊張気味に見えるが、エルメリーヌ姫は落ち着き払っていた。
カ──ン……カ──ン……。
10回目の鐘の音が響き、聖書を押し頂くように目を伏せていた大司教が顔を上げた時だった。
ズドドドドドド──ン……。
地響きを伴う連続した爆発音が響いたが、会場からは離れているように感じる。
爆発音が聞こえた前方左手に目を転じると、何かが打ち上げられたのが見えた。
「敵襲ぅ! 北西の方角、上から来るぞ!」
大声で叫びながら、ステップを使って観覧席の上を駆け抜ける。
もしかすると、俺が襲撃犯だと思われてしまったかもしれないが、そんな事を気にしている余裕は無い。
俺が全力で駆けつけた時には、既にアイーダも席を立ってエルメリーヌ姫に寄り添っていた。
「シールド! ラバーシールド! エアバッグ!」
ズダダダダダダダ……。
俺が三重の防御を終えた直後、拳よりも大きな石礫が雨のように降り注いだ。
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