第172話 陽だまりにて……(フォークス)

「ちょっと、ジロジロ見ないでよ。いやらしい……」

「うるさい、別に見ていない。片側だけ乾きが甘いとシューレに怒られるんだ。寝返りぐらい打たせろ」

「どうだか……ふん」


 刺々しい言葉をぶつけると、ミリアムは俺に背中を向けるように寝返りを打った。

 真っ白い尻尾が、苛立たしげに振られている。


 弟のニャンゴが、領主様一行に加わり王都に出掛けで三日程経った頃から、俺とミリアムはシューレに大切な仕事を言いつけられるようになった。

 今も拠点の屋根の上に敷物を広げて、ミリアムと一緒に仕事の真っ最中だ。


 仕事の内容は、毛並みをフワフワに仕上げること。

 弟のニャンゴがいる時には、風呂上りにも魔法ですぐに乾かしてくれていた。


 弟は空属性なのだが、魔法陣の形に空気を固めると刻印魔法が発動すると気付いて、色々な魔法を使いこなしている。

 毛を乾かすのは温度調節の魔法陣と風の魔法陣を組み合わせたものだそうで、温風で水気を飛ばすので毛並みがフワフワに仕上がる。


 その弟が王都に出掛けてしまったから、風呂上がりの俺達の毛並みがシューレのお気に召さないようだ。

 そう言われても、暖炉に近付き過ぎると毛が焦げるし、煙臭くなってしまう。


 それならタオルを何枚も使えば良いかと言えば、いくら乾いたタオルを使っても乾かすのには限界がある。

 俺達に抱き枕としての性能を求められても困るのだが、稼ぎが少ない身としては文句も言い辛いのだ。


 それで、俺とミリアムが何をしているのかと言えば、日光浴だ。

 午前中に俺は素振り、ミリアムは走り込み、その後それぞれの魔法の練習をしたら、昼食後は風呂に入って入念に身体を洗い、屋根の上で日光浴をしている。


 風呂から出て、すぐに乾かないならば、予め乾かしておけば良い。

 それがシューレの出した結論で、すぐさま実践に移されたという訳だ。


 ミリアムとは、ほぼ毎日のように一緒に風呂に入っている。

 シューレも一緒の時もあれば、シューレから一緒に入るように言いつけられることもある。


 理由の一つは、ミリアムの風呂嫌いにある。

 俺は弟の影響や、シューレに半ば強制的に入らされ続けて来たおかげで慣れたし、風呂の楽しみも覚えつつあるが、ミリアムはまだ馴染めていないらしい。


 だからこそ、ちゃんと風呂に入って、ちゃんと洗っているか点検するようにシューレに命じられているのだ。

 今日も、先程まで一緒に風呂に入っていた。


 お互いに手が届かない背中は洗いっこしたし、シューレと一緒に寝る時だってパンツ一枚穿くだけだ。

 だから、別にジロジロなんて見てはいないけど、チラっとは見てしまう。


 いくら見慣れているからといって、同世代の女の子が無防備な姿で寝転んでいれば、目が行ってしまうのは仕方ないことだろう。

 真っ白な背中とか、スラっとした尻尾の付け根とか……べ、別にジロジロは見てないぞ。


 ミリアムは田舎の村からイブーロに出て来たが仕事にありつけず、無一文になって貧民街に落ちる寸前のところをシューレに拾われてきた。

 シューレやセルージョから、貧民街に落ちていたら大変なことになっていたと聞かされて震え上がっていたが、現実の貧民街を体験した訳ではない。


 人間が人間として扱われず、金持ちの所有物、一時的な娯楽の道具、欲望の捌け口として使われる悲惨さは、実際に味わった者でなければ理解出来ないだろう。

 ミリアムは、本当に、本当に、本当に幸運だったのだ。


 もし貧民街に落ちていたなら、ジロジロ見られる程度では済まない。

 羞恥の極みに晒され、凌辱の限りを尽くされる。


 その真っ白い毛並みも、男達の欲望に塗れ、汚されていたはずだ。

 それならば、いっそ俺の手で……なんてことをすれば、折角弟が作ってくれた居場所を無くす羽目になるだろう。


 それに、ミリアムが穢れ無き乙女だと決まった訳ではない。

 俺は、イブーロに出て来る前のミリアムについて何も知らない。


 トローザ村で、どんな暮らしをしてきたのか、どんな境遇だったのか、アツーカ村での暮らしを思い出して推測するだけで、実際には俺よりも悲惨な生活を送ってきたのかもしれない。


「考えても無駄か……」


 ミリアムに背中を向けるように寝返りを打って、これまでと反対側も日に当てる。

 下側になった毛並みは、日の温もりを含んでポカポカだ。


「ちょっと、いい加減……」


 俺が寝返りを打った気配を誤解したのだろうが、ミリアムが棘のある言葉を口にしかけて止める。

 濡れ衣だ、知らん……と尻尾でアピールしておく。


 まぁ、ミリアムの気持ちも分からないではない。

 一つ違いの男と、下着も付けずに日光浴をしろと言われれば、警戒するのも当然だ。


 と言うか、シューレが羞恥心が無さすぎるのだ。

 俺や弟を風呂場や寝床に引き込んで、肌を晒すのに全く抵抗感が無いようだ。


 クロヒョウ人のシューレから見れば、俺達なんかペットレベルの存在なのだろうし、仮に邪な気持ちを抱いたとしても、実行に移そうとすれば返り討ちにされるのは目に見えている。

 だから、大人しく洗われて、大人しく抱き枕を務めるしかない。


 弟のニャンゴは、ギルドの酒場のマドンナ、獅子人の女性とも夜を共にしているが、周囲の冒険者が羨むようなことは何も無く、色々とお世話が大変らしい。

 まぁ、弟が言う色々大変は、他の者からすれば羨ましい限りのことばかりのようだが……。


「ねぇ、あんたの弟って……何なの?」

「ふふっ……気持ちは分かるが、何なのと言われても返事に困るな」


 後ろから聞こえてきたミリアムの問い掛けに、思わず笑ってしまった。

 何なのと聞かれても、こちらが教えてもらいたいぐらいだ。


「ロックタートルを倒した時、シューレの魔法は凄いと思ったのに、あんたの弟のあれは何なのよ。なんで猫人なのに、あんな強力な魔法が使えるのよ」

「あー……詳しいことは分からないが、あれは空気中の魔素を使って発動させているから、本人が使っている魔力は一部分だけらしい……」

「あんたも結構魔力強いわよね」

「あぁ、弟が厳しいからな……」

「訓練すれば、強くなるの?」

「それは……シューレに聞いてくれ」

「ふーん……」


 俺の魔力が強くなったのは、弟の誘いに乗ってゴブリンの心臓を生で食べたからだ。

 一瞬にして膨大な魔力が身体の中に溢れ、何でも出来ると思えるほどの万能感に包まれた。


 すぐに弟に言われた通りに全力で魔法を続けたが、それでも翌日は酷いだるさに襲われて一日寝込んだほどだった。

 その日は酷い目に遭ったと思ったものだが、魔力は格段に強くなっていた。


 土属性魔法の手ほどきをしてくれるガドの話では、土属性魔法を使う普通の冒険者並みの魔力はあるらしい。

 たぶん、ミリアムもゴブリンの心臓を食べれば魔力は上がるだろうが、それを判断するのは俺の役目ではないと思う。


 ガドが言うには、魔物の心臓を食べた直後に大きな魔法を使い続けなければならないし、元々の魔力が高い者は小型の魔物の心臓では効果が薄いそうだ。

 かと言って、大型の魔物の心臓の場合、下手をすると魔脈や血脈が裂けて、重篤な後遺症を負ったり悪くすると死亡するらしい。


 パーティーのみんなと行ったワイバーンの討伐でも、倒したワイバーンの心臓を口にした冒険者が死亡している。

 ミリアムの場合、風属性魔法を使い始めたばかりのようだし、もう少し魔法を使うことに慣れてからの方が良い気がする。


 たぶん、俺よりもシューレが考えているはずだ。


「ねぇ、あたしたち、このままで良いのかな?」

「ふふっ……」

「なによ、何がおかしいのよ」

「みんな同じようなことを考えているんだな……このままでは駄目だと思ってるんだろう?」

「そりゃあ、チャリオットのみんなや、そこに肩を並べて活動しているあんたの弟を見れば、このままでは駄目だって思うのが当然でしょ」

「でも、今の俺達じゃ力不足なのも分かってるんだろう? だったら何とか出来るようになるように、己を鍛えるしか無いんじゃないか?」

「そうなんだけど……あんたの弟とは違いすぎて……」


 ミリアムの気持ちは良く分かる。

 弟のニャンゴは、猫人としては色々と規格外すぎるのだ。


「ニャンゴは、5歳の頃から薬屋の婆さんの所に入り浸って、薬草の知識とかを覚えてたんだ。同年代の子供とかは遊び呆けてるのに、変な奴だと思っていたけど、1人で山に入るようになり『巣立ちの儀』の後は魔法でモリネズミとか魚とか捕まえて来るようになった。今になって思えば、あいつはその頃から冒険者になるための努力をしてたんだ。なんとなく生きて来た俺とは違う。あいつと較べるなら、5年以上地道な努力を続けないと駄目じゃないかな」

「そうなんだ……ねぇ、あたしもあんな風になれるかな?」

「さぁね……それは自分次第じゃない?」

「ちょっと、こっち向かない……分かったわよ、私が向こう向けば良いんでしょ」


 そうそう、素直に両面フカフカになるように、あっちを向いてくれ。

 裸のままで正面から見詰め合うなんて、さすがに気恥ずかしいからな。


 うんうん、なかなかフカフカに仕上がってるみたいじゃないか。

 シューレがギューってしたがるのも、仕方ないような気がしてきたぞ。

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