第159話 グロブラス伯爵領

 エスカランテ侯爵領との領地境である林を抜けると、風景は一変した。

 街道の両脇は見渡す限りの畑で、青々とした作物が地平線にまで茂っている。


「うわぁぁぁ……凄いですねぇ、これみんな畑なんですよね?」

「そうだぜ、ここら辺りは冬撒きの麦畑だな。あと2ヶ月もすれば穂を出して刈り入れ時を迎えて、一面が金色の海みたいになるんだぞ」


 ラガート子爵家の御者を務めるナバックは、まるで自分の手柄であるように自慢気だ。


「凄い……見てみたいにゃぁ」

「ハハハハ……初めて見た連中は、みんなニャンゴと同じ反応をするんだが、すぐに飽きるぞ」

「飽きる……?」

「そらそうだろう、これと同じような風景が延々と続くんだからな」


 そんな事は無いだろう、これほど雄大な景色なんだから……と思っていたが、さすがに1時間以上も同じ景色しか見えないと飽きてしまった。

 グロブラス伯爵領は、シュレンドル王国の胃袋を支える穀倉地帯として知られている。


 なだらかな平地を長い年月をかけて切り開き、街道の両側は農地、その奥は酪農や畜産のための土地、その奥が果樹の林という感じで徹底的に整えられている。

 麦藁は家畜の飼料となり、家畜の糞は堆肥として使われる、いわゆる循環型の農業が行われているそうだ。


「うわっ、今度は一面の花畑だ」

「あぁ、この辺は油を搾るための菜花が栽培されている所だな」

「うーん、いい香りにゃ……」


 麦畑の強い草の香りから一変し、甘い花の香りに包まれる。

 街道の脇のあちらこちらには、大きな箱をいくつも積んだ馬車が停まっていた。


 何か企んでいる連中なのかと警戒を強めたが、魔導車の周囲を固める騎士達には緊張した様子は見えない。


「ナバックさん、あの馬車は?」

「あぁ、あれは養蜂業者だな。蜂を放して蜜を集めさせているんだろう。グロブラス領は蜂蜜でも有名なんだぞ」

「蜂蜜! 食べたいにゃぁ……」

「昼食に期待するんだな。まぁ、夜は無理だからな……」

「にゃ……?」


 何か言葉を濁したようなナバックの話しぶりが気になったが、すぐに別の話題に切り替わったので、それきり忘れてしまった。

 その昼食は、照り焼きチキンのサンドイッチだった。


「うみゃ! 照り焼き、うみゃ! お肉がシットリで、それにこの甘味……」

「そいつは蜂蜜の甘味だな。たぶん、こっちのスコーンにも入ってるぜ」


 俺達や騎士に配られた昼食にも、デザートとしてスコーンが添えられていた。

 スコーンには切れ目が入れてあり、中には蜂蜜が染みこませてあった。


「うみゃ! あみゃ! 外サクサクで、中はホロホロに蜂蜜が染みこんで、あみゃ、うみゃ!」

「ハハハハ……ほらニャンゴ、気を付けないと口の周りがベタベタになってるぞ」

「あ、後で拭くからいいんです。今はスコーンが……うんみゃ!」


 昼食に立ち寄ったカーヤ村はグロブラス領の中でも比較的大きな村だそうで、アツーカ村とイブーロを足して二で割ったような感じだ。

 ただ、村の規模としては大きいけれど、イブーロのような栄えた感じではなく、穀物の集積輸送の拠点としての役割が大きいようだ。


 なので村を歩いている人の殆どが作業を行うための服装をしていて、イブーロのような着飾った人は見掛けない。


「午前中に通ってきた辺りで作られた穀物は全部このカーヤに集められ、ここから各地に出荷されていくそうだ」

「へぇ……でも、エスカランテ領に出荷するなら、来た道を戻ることになりません?」

「まぁ、そうなんだが、グロブラスにはグロブラスのやり方ってものがあるんだろうよ」

「なるほど……」


 蜂蜜をふんだんに使った昼食を堪能し、午後も代わり映えのしない景色が延々と続くと、必然的に眠気に襲われる。

 所々で背の高い作物が作られていて、そうした場所を通る時には騎士達も気を引き締めているようだが、植え付けを行ったばかりで土が見えている場所では気が緩むらしい。


 馬首を並べた騎士同士で会話を楽しむ余裕もあるようで、こちらは益々眠たくなってくる。

 それでも、ラガート子爵に猫人の待遇改善を直訴して、猫人の性質の欠点を指摘されたばかりだから居眠りをする訳にはいかない。


 落ちそうになる右目の瞼を必死に持ち上げているのだが、時折カクンと首が落ちそうになる。

 こんな時には、魔導車内の話を盗み聞き……と思ったら、聞こえて来たのは健やかな寝息だった。


「何かあったら起こしてやるから、眠っててもいいぞ」

「うにゃ……これでも護衛のリクエスト中ですから、眠ったりしにゃいのだ……」

「そうかい、じゃあ頑張れ……」


 ナバックの激励には笑いが含まれているのが少々気に入らないが、それよりもこの猫人の体質をなんとかしてほしい。

 魔導車の御者台で眠気との悪戦苦闘を続けていると、日が少し傾き始めた頃に街道を東へと逸れる道に入った。


 これまでの馬車が悠々と擦れ違える広い街道から、路肩を含めてやっと馬車が擦れ違える程度の細い道に変わる。

 道幅は狭くなったが、路面は綺麗に整えられているらしく、魔導車の揺れはこれまでよりも小さくなった。


 綺麗に舗装された道を進んで行くと石積みの塀が見えて来た。

 道の所には鉄格子の門が設けられ、固く閉ざされている。


 門の前には先触れの騎士が待っていて、中にいる衛兵に声掛けるとようやく門が開かれた。

 門の先は緩やかな上り坂となっていて、先に進むと同じような石垣と更に頑丈そうな門が設えてあった。


 更に緩やかな坂を上ると、今度は高さ5メートルはありそうな城壁がそびえていた。

 城壁の周囲には空堀が掘られていて、ラガート子爵家の一行が近付くと門へと続く跳ね橋が下ろされていくのが見えた。


「なんか、すごい厳重な警備ですね」

「驚くのは、まだ早いぜ」

「そうなんですか?」


 ナバックの言葉の意味が分からず、首を傾げていたのだが、城門を潜った所で意味を理解出来た。


「うわぁ! これは……」

「どうだ、凄いだろう」

「凄いのは凄いですけど……何と言うか……」

「悪趣味だろう?」

「はい……」


 城門の内側には、金ぴかの屋敷が建っていた。

 文字通り、金の壁、金の柱、金の屋根……日本の金閣寺のような風情は欠片も感じられず、押し寄せて来るのは圧倒的な成金オーラだ。


 魔導車が屋敷の前へと寄せられ、執事さんやメイドさんが荷物を下ろし始めたが、子爵家の皆さんは下りてこない。

 俺も荷物を下ろすのを手伝って、魔導車の横に執事さん達と整列を終えたのだが、まだ子爵家の皆さんは降りて来ない。


 何かトラブルでもあったのかと少し心配になりかけた頃、ようやく動きがあった。

 屋敷を回り込むようにして、大きなロールを抱えた使用人が姿を現した。


 使用人は屋敷の玄関前にロールを置くと、魔導車に向かって転がし始めた。

 ロールは真っ青な絨毯で、レッドカーペットならぬブルーカーペットの道が出来上がる。


 ここで執事さんが魔導車のドアを開くと、ようやく子爵家の皆さんとデリックが降りてきた。

 それをどこからか確かめていたのか、玄関の扉が開かれ、太った中年男が姿を現した。


 アンドレアスはグロブラス伯爵家の現当主で、年齢はまだ30代らしいが、外見は50近いと言われても信じてしまいそうに老けて見える。

 豚人特有の少し上を向いた低い鼻、鍛錬とは全く縁が無さそうな緩い体型、服を着たオークに間違われそうだ。


 如才の無い笑みを浮かべてはいるものの、魔導車を今や遅しとばかりに屋敷の外で出迎えたアルバロス・エスカランテとは大違いだ。


「ラガート子爵、遠路遥々ようこそいらした」

「お出迎え、痛み入ります伯爵。今宵一晩御厄介になります」

「一晩などと言わず、何日でも心ゆくまで逗留なされ」

「ありがとうございます」


 言葉のやり取りだけならば、再会を喜び合う貴族同士に聞こえるだろうが、アンドレアスの視線や表情の端々には、子爵家一行を侮るような色が見られる。

 確かに単純な爵位で見れば、グロブラス伯爵の方が上になるのだろうが、ラガート家は王族に意見をする代わりに子爵の地位に留まっている。


 貴族同士であるならば、そうした経緯は知っていると思うが、何か他の事情があるのだろうか。

 とにかく、ラガート子爵が歓迎されていないのは確かなようだ。


「子爵殿……あの猫人は?」


 ラガート子爵家の皆さんを出迎えていたアンドレアスは、俺の姿を見つけると、ギロリと不快げな視線を向けて来た。


「彼は、イブーロの冒険者で、若手のホープですよ」

「若手のホープ? 猫人がですか?」

「はい、先日もワイバーン討伐において大きな功績を残しました」

「ほぉ、ワイバーンねぇ……」


 アンドレアスは、ワイバーン討伐には全く興味が無いようで、蔑むような視線を俺に向けると、鼻で笑いながら屋敷へと入っていった。

 何を考えているのか良く分からない人物だが、ここが俺にとってアウェーである事だけは間違いないようだ。

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