第158話 直訴
暫しの沈黙の後、ラガート子爵はほろ苦い笑みを浮かべながら話し始めた。
「ニャンゴの言いたいことは分かる。当事者だから、何とかしたいと思うのは当然だろう。だが、この問題は長きに渡る懸案でもあり、簡単には解決出来ない」
ラガート子爵はティーカップに口をつけ、喉を湿らせてから話を続けた。
「まず、イブーロと周辺の村の格差だが、余程の特産品や新しい産業が生まれでもしない限りは縮まらないだろう。例えば、ニャンゴの故郷のアツーカに、多くの人を惹きつけるような魅力があるかい?」
「それは……無いです」
ぶっちゃけアツーカ村は、ど田舎の小さな村で、風光明媚な場所でも無いし、他の街や村に誇れるような特産品も無い。
強いて言うなら、周囲を山に囲まれているから木は豊富だが、使い道となると限られてしまう。
日本の山林のように手を掛けて真っ直ぐに伸びた木ではなく、曲がっているし、枝打ちもされていない。
切り出したとしても、材木として使える部分は多くないだろう。
周りが山だから、畑として使える平地は使い尽くしているし、新たな産業が起こせる要素を思いつけない。
「無論アツーカも我が家の領地だから栄えて欲しいとは思っているが、なかなか難しい……」
「では、せめて猫人の待遇改善だけでも……」
前のめりに言いかけて、ラガート子爵の浮かべた苦笑いに言葉が途切れる。
「猫人の待遇についても、簡単ではないな……」
「そうだと思いますが、せめて教育や働く場を与えてもらえるようには出来ませんか?」
「ニャンゴは知らないだろうが、猫人を保護する取り組みを行ったのだが……」
「上手くいかなかったのですか?」
「猫人特有の問題が足を引っ張ってしまった」
それは、子爵本人ではなく先代の頃の話らしい。
イブーロの商店や工房に、猫人を雇わせる決まりを作ったそうだ。
「まず、食べ物を扱う商売では、抜け毛が問題になった。猫人が作ったものには毛が入っていたと噂が流れ、現場では働けなくなったらしい。実際の頻度は目くじらを立てるほどではなかったのだろうが、保護されない連中が仕事を奪われると思い込んで噂を流したらしい」
「そんな……」
「食べ物商売の他では服や布地などを扱う店も、同様の苦情や噂によって雇い入れに難色を示すようになった」
「その頃のイブーロの景気はどうだったんですか? 景気が良くて仕事がたくさんあるならば、他の人種から妬まれるようなことも無かったのでは?」
「ふむ、そうかもしれんが、景気が良く仕事が豊富にあるならば、仕組みを作らなくても猫人は雇われるのではないか?」
「そうですけど……猫人は頭も悪いと思われていますし……」
「そうだな、それに関しては偏見だと思うが、猫人の性質に問題があるのも確かだろう」
「怠け癖……ですか?」
ラガート子爵は、無言で頷いてみせた。
猫人は、良くも悪くも猫の気質を色濃く残している。
お腹が一杯になれば……ポカポカの陽だまりを見つければ……涼しい風の吹く木陰に入れば……耐えがたいほどの眠気に襲われてしまうのだ。
勿論、意思の力で克服出来ない訳ではないのだが、多くの猫人は眠気に屈してしまう。
うちの親父や一番上の兄貴も、畑仕事に出掛けたのに作業を放り出して、畑の周りにある草地で寝ていたりする。
おふくろと姉貴が内職で作っている織物も、他の人よりも出来上がりが遅いという話も耳にした。
そのおかげで家は貧乏なのだが、まぁ貧乏でも暮らしていけるから良いか……という感じで向上心が薄いのも猫人の欠点だろう。
「それに、ニャンゴは風呂好きのようだが……」
「あぁ……他の人からすれば、問題ありますよね」
もう一つ猫の気質による欠点は、風呂嫌いだ。
俺はカリサ婆ちゃんの薬屋に出入りしていたから、毎日水浴びを欠かさなかったけど、親父や兄貴なんて農作業をするのに2日も3日も風呂に入らない時があった。
そう言えば、ミリアムがシューレに拾われてきた時なんて、白い毛並みが灰色になっていたのに風呂に入るのを嫌がっていた。
でもまぁ、風呂を嫌う気持ちも分からなくはない。
ドライヤーが存在していないこの世界では、身体の毛が濡れてしまうと乾かすのに手間が掛かる。
ブルブルっと身体を震わせて水を切り、手拭いを絞りながら何度も何度も身体を拭いても、完全に乾くまでは時間が掛かるのだ。
その上、雨が続いて湿度が高い時には、いつまでもジトっとした感じが抜けない。
ジトジトのままだと、生乾きの洗濯物みたいな匂いがしてくるし、風呂に入らなければ獣臭いし、猫人が敬遠されるのも無理ないのかもしれない。
「さっき例に出した、食べ物関係、服や布地の関連業種では、猫人の不潔さも問題にされたそうだ」
「では、怠け癖と風呂嫌いが直れば、仕事を得るチャンスは増えるんですね?」
「今よりは……だな。体格や魔力の少なさなどのハンディキャップが無くなるわけではないからな」
「そうですね……」
俺の兄貴も、チャリオットの拠点に来てからは毎日風呂に入るようになったし、勤勉に働くようになった。
俺がゴブリンの心臓を食わせたから人並の魔力が扱えるようになったが、それでも体格の問題は解決されていない。
「猫人は暮らしが貧しい。貧しいから生活が物臭になり、更に仕事を得る機会を失う。どこかで悪循環を断ち切らなければ、猫人に対する差別、生活格差は無くならないだろうが、それには猫人自身の意識改革も欠かせないというのが現状だ」
「なるほど……」
俺は猫人に対する差別を何とかしたいと思ってるが、全ての猫人が俺と同様に考えているかと言えば、現状に満足してしまっている者も少なくないように感じる。
イブーロの貧民街で暮らす者などは、今の生活から抜け出したいと考えているだろうが、俺の親父やおふくろからはそこまでの危機感は感じられない。
生活は貧しいけど、飢え死にするほどでもないし、まぁいいか……みたいな空気は確かに漂っていた。
他の村の猫人の家族も、俺の実家と似たり寄ったりなのかもしれない。
それでも、貧民街にいる者達の生活は、外から眺めただけでも悲惨そうだ。
兄貴も詳しくは話したがらないから、俺も実態を完全に把握出来ている訳ではない。
「あの……せめて貧民街に暮らす人だけでも、何とかなりませんか?」
「貧民街か……そうだな……」
口にしてから、それこそ根深い問題だと思い返した。
昨年の学校占拠事件を起こしたのは、間違いなく貧民街を牛耳っている連中だ。
あの騒動の時に、思い切り粉砕の魔方陣を使ったが、あれがどの程度の影響をおよぼしたかのは分からない。
貧民街を牛耳る連中は、歓楽街を仕切っている者達と裏で繋がっているとも聞くし、ラガート子爵にとっても頭の痛い問題なのだろう。
「貧民街が必要悪であるなどとは言わないが、貧民街で暮らす全ての者を救済するだけの余裕は無い。だが、近年の状況は目に余るものがあるのも確かだ」
「では、せめて貧民街に落ちなくても良い仕組みは作れませんか?」
「落ちなくても良い仕組みか……」
「はい、実はうちの兄貴も一時期貧民街で暮らしてました。先日、拠点に加わったミリアムという猫人も、仕事が見つからず貧民街に落ちる寸前でした」
兄貴もミリアムも、今はチャリオットの拠点で暮らし、見習いのような活動をしていると伝えると、ラガート子爵は興味深げに耳を傾けていた。
「なるほど……住む場所、仕事に活かせる訓練、それを教える人間か……」
「そうした仕組みは、商工ギルドには無いんですか?」
「周辺の村から出て来たばかり者には、安い宿を斡旋している。仕事に関しては見習いの募集もあるから、そこで学ぶのが一般的だな」
どうやら助成の仕組みが全く無いわけではないが、猫人にまで行き渡らなかったり、チャンスを活かしきれていないようだ。
思い返してみれば、兄貴もミリアムもイブーロに行けば何とかなると考えていたようだ。
たぶん、これまでにも周囲の村から出て来た猫人の多くは、貧民街に沈んだまま音信不通になっていたのだろう。
だが貧民街に落ちるような実態が周辺の村まで伝わらず、危機感を待たないままイブーロに出て来てしまうのだろう。
「すまんな、ニャンゴ。こうした問題は領主の私が解決し、領民に心配をさせるべきではない。王都から戻ったら、村には通達を出そう。商工ギルドにも、イブーロに出て来る者を保護する仕組みを手厚くするように申し付ける」
「ありがとうございます。俺も出来ることをやっていきます」
一介の冒険者である俺では出来る事にも限りがあるが、領主であるラガート子爵が協力してくれるなら、少しは状況も良くなるかもしれない。
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