第145話 弟子
シューレの格闘術の基本は、変幻自在の脚捌きだ。
まるで氷の上を滑るように、音も無く、予備動作も無しに急接近してきて、方向を変え、遠ざかる。
繰り出される蹴り技も、予測するのが困難な動きと速度で迫って来る。
槍のごとく突き出される前蹴り、途中で大きく軌道を変える回し蹴り、避けた直後に襲い掛かってくる踵落しや掛け蹴り。
俺達、猫人の短い脚ではなく、スラリとした長い脚が鞭のように撓って襲い掛かってくるのだから、避けるだけでも精一杯だ。
それでも、俺の一撃を届かせるには、暴風のごときシューレの間合いに飛び込んでいかなければならない。
右の回し蹴りを掻い潜り、軸足を棒で打ち払っても、シューレはまるで宇宙空間にいるかのごとくフワリと宙に浮かび、直後に強烈な後ろ回し蹴りを放ってくる。
蹴り足を棒でいなして飛び退り、一旦距離を取ったつもりなのに直後に連続した前蹴りに襲われる。
「ふ、みゃ、みゃぁぁぁ……足癖悪すぎ!」
「ふふん、この蹴りも捌くようになったか……じゃあ、次は……」
「やられてばっかりじゃないよ。こっちからも、うーにゃぁぁぁぁ!」
ワイバーンを討伐してBランクに昇格したけれど、まだまだ近接格闘ではシューレに敵わない。
付け焼刃であっても王都に出発するまでに、手合せを重ねて磨きを掛けておきたい。
「みゃっ、うにゃ! みゃっ、うにゃ! みゃっ、うにゃ!」
俺とシューレが手合せをしている横では、兄貴が一心不乱に棒を振り続けている。
拠点に来たばかりの頃は、腰が据わらず頼りなかったが、あれからサボらずに続けているようで、かなり様になってきた。
今は、前後左右の脚捌きも加えた素振りを繰り返しているので、もう少ししたら兄貴も手合せするようになるかもしれない。
シューレの教え方は、ゼオルさんとは違っているようだが、それでも基礎固めを疎かにしないところは一緒だった。
「みゃぁ……ふみゃぁ……みゃぁ……ふみゃぁ……」
兄貴が素振りをしている更に外側、拠点の前庭を囲む柵に沿ってミリアムがジョギングを続けているのだが、こちらは走り出した直後からヘロヘロだ。
まだ半分以上眠っているように見えたミリアムをシューレが寝床から引き摺り出して来て、比喩ではなく鞭で尻を叩きながら走らせ始めたのだ。
猫人の身体は柔軟性と瞬発力に優れているが、持久力が欠落している。
持久力に関して言うならば、肉体的なものに加えて精神的な持久力も欠けている。
これは猫人の飽きっぽい性格によるものだ。
ミリアムは、トローザ村に居た頃も運動は殆どしていなかったようで、まずは身体作りから始めることにしたらしい。
シューレは俺と手合わせしながらも、ミリアムがサボろうとすると素早く接近して鞭を入れた。
途中で水分の補給は許したが、例え歩くような速度になったとしても、ミリアムを走り続けさせた。
シューレは俺との手合わせを終えると、ようやくジョギングの終了を許可したが、ミリアムは息も絶え絶えと言った様子で、前庭に座り込んだまま動けなくなっていた。
「良く頑張ったわ。じゃあ、お風呂で汗を流すわよ……」
「いえ、昨日も入りましたし……」
「そんな汗だくのままじゃ吸う気が起きなくなるでしょう……行くわよ」
「ふみゃ、私は、私は……にゃぁぁぁぁぁ……」
体力が万全の状況でも逃げられないのに、ヘロヘロの状態で逃げられるはずなどないのだから、最初から諦めれば良いものを……。
昨日、シューレに拾われて来た時には、灰色の毛並みかと思う程ミリアムは汚れていた。
所持金が尽きて野宿していたそうだから仕方ないとは思ったけれど、それプラス風呂嫌いという面もあるようだ。
猫人は風呂を嫌う者が多く、実家の親父やお袋も農作業で汗をかくのに、下手をすると3日に1度ぐらいしか風呂に入らない。
俺がシューレに目をつけられた理由の一つは、鷹の目亭で鼻歌混じりに風呂に入っていたかららしい。
猫人はモフりたいけど、小汚い、臭いのは耐えられないので、清潔好きの猫人を探していたそうだ。
もしかして、猫人の地位向上のヒントは風呂にあったりするのだろうか。
兄貴も拠点に来てからは、毎日風呂に入るようになった……というかシューレに引きずり込まれているから、以前のように臭ったりはしない。
その兄貴だが、今も前庭の地面を使って土属性の練習を続けているらしい。
俺はステップを使って宙に浮いた状態で動いているが、シューレの脚捌きが以前よりもスムーズに感じるのは地面の凹凸が減っているからだろう。
「兄貴、だいぶ腕を上げたんじゃない?」
「にゃ? あぁ、これか。まぁ、前よりはマシだが、まだまだだよ」
前庭の地面は、土属性魔法の練習のために、兄貴が整地と硬化を繰り返している。
以前は魔力量が少なかったので、一度に整地硬化させられる範囲が狭く、凹凸が目立っていた。
その後、ゴブリンの心臓を食わせて魔力量を増やしたので、一度に扱える面積も増えて仕上がりも良くなったらしい。
この調子なら、ネズミの穴塞ぎ以外の仕事も出来そうな気がする。
「なぁ、兄貴は本当はどんな仕事がしたいんだ?」
「どんな仕事かぁ……正直、少し迷ってる。ここで暮らし始めて、毎日毎日成長してる実感があるし、その分だけ欲も出て来てるんだ」
貧民街にいた頃の兄貴は、何も出来ない無力感に苛まれ、言われるがまま成すがままという生活を続けていたそうだ。
それが、魔力量が増えて、人並に魔法が使えるようになって、初めて何になろうかと考えるようになったらしい。
「弟のお前が冒険者という夢に向かって真っすぐに進んでいるのに、兄貴の俺がウダウダしてるのは情けない限りだけど、でも……ようやく前を見て、少し上を向けるようになったから、良く考えて決めたいと思ってる」
「そっか……まぁ、慌てる事は無いから、じっくり考えてよ」
「ありがとう、世話になりっぱなしで、すまないな」
「何言ってんだよ、兄弟なんだから当たり前だろう」
「そっか、そうだな。ところで、悲鳴が止んだみたいだから、そろそろ行った方が良いんじゃないか?」
「あぁ、そうだね。そんじゃあ、ミリアムを乾かしに行きますかね」
俺と兄貴も汗を流してから朝食にしたのだが、ミリアムはグッタリして半分寝ながら食べている。
シューレの膝の上に抱えられているので、食事からも逃れられない状況だ。
「シッカリ運動して、シッカリ食べないと身体が出来上がらない……」
「ふみゃ……私は別に冒険者になるつもりでは……」
「じゃあ、今のままでも仕事にありつけるの?」
「にゅぅ……それは……」
「トローザ村に帰りたいなら馬車代をあげるわよ」
「それは駄目です! 村には帰れません……」
「それなら、シャンとしなさい。少なくとも他の種族と同等に働けるように、身体と心を鍛えないと、イブーロで生活していけないわよ」
「分かりました……」
「猫人に足りないのは意欲。ニャンゴぐらい貪欲に成長する意欲があれば、猫人だって他種族と同じように働ける」
シューレの言うように、猫人は労働に対する意欲が低い。
身体が小さいので、大きな家は必要としない。
自前の毛皮があるから、服もあまり必要としない。
意欲が向くとすれば、食事と睡眠ぐらいのものだ。
俺の実家の親父とお袋も、狭く古い家でも不満は無さそうだったし、着ている服も綺麗とは言い難い状態だった。
村を出て、離れてみると良く分かるようになったが、あれでは侮られても当然だ。
「朝食が終わったら、少し仮眠をさせてあげる。その代り起きたら属性魔法の練習をするわよ」
「はい……」
仮眠と聞いて、パーっと表情を輝かせたミリアムだが、その後は魔法の練習だと聞いてガックリと肩を落としていた。
属性魔法の練習と聞いて興味が湧いたので、俺と兄貴も見学させてもらう。
ミリアムはシューレと同じ風属性だそうだが、ご多聞に洩れず魔力量が少ないので殆ど魔法を使って来なかったそうだ。
「まずは、手本を見せるわ……風よ!」
シューレが横一列に並んだ、俺、兄貴、ミリアムに向って軽く手を振ってみせた直後、暴風に押されてひっくり返りそうになった。
風を固まりや刃の形にしなくても、これだけの威力があるのだから、シューレは魔法の使い手としても優秀なのだろう。
見えない風の刃は相手にとって脅威だし、強風で体勢を崩されるだけでもシューレ相手では致命的な隙になるだろう。
「じゃあミリアム、やってみて……」
「は、はい……女神ファティマの名の下に、風よ吹け!」
シューレとは逆に、ミリアムは精一杯の力で腕を振っているようだが、吹いてくるのはそよ風程度だった。
「うん、今の力は分かった。次は……」
シューレは魔力の込め方や、無駄な力の抜き方などをアドバイスすると、もう一度ミリアムにやってみせるように命じた。
「か、風よ!」
力を込めるというより鋭く腕が振り抜かれると、先程よりも少し強めの風が吹いて、ミリアムはパーっと笑顔を浮かべた。
さっきより強いと言っても、3段階調節の扇風機なら、せいぜい中程度の強さだ。
それでも成果を認めて、シューレも二度、三度と頷いている。
「うん、良くなった。じゃあ、次は……」
風属性の魔法とは、風の流れと魔力の流れを把握する魔法のようだ。
空気と魔素の存在を感じる空属性とは、少し似ているかもしれない。
シューレによれば、練習を重ねていくと風の流れによって、見えない位置にいる敵を察知したり攻撃する事も出来るらしい。
「ニャンゴは超有能だけど、ミリアムだって鍛え方次第では有能になれる。猫人の悪い所の一つは、魔力指数が低いからといって魔法の練習をしないこと。風属性は魔力が弱くても、使い方次第で力を発揮する」
「わ、私でも……」
自分にも可能性が眠っているのだと気付かされたミリアムは魔法の練習に没頭し、お約束の魔力切れを起こしてぶっ倒れた。
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