第108話 群体
ブーレ山の方角の空に現れた黒い影は徐々に大きくなり、確実にこちらに近付いているように見えた。
「何あれ? まさか、ワイバーン?」
「違う、でも危険だから壁を解いちゃ駄目」
馬車の周囲の騒ぎに構わず、俺達が別の方向を見ているのに気付いた盗賊も、ブーレ山の方角へと目を転じ始めた。
そして、あっと言う間に近付いて来た黒い影は、一体の生き物ではなく群体で構成されたものだった。
「逃げろ! キラービーだぁ!」
「やめっ、助けて……ぎゃぁぁぁ!」
黒い大きな影は、大型の蜂の大群だった。
明るい緑色と黒の縞模様の身体は、30センチ以上あるだろう。
頑丈そうな顎と、尻の毒針を使って盗賊どもを襲い始めた。
「撃て、撃て、撃ち落とせ!」
「食らえ、食らえ、うぎゃぁぁぁぁぁ……」
魔銃の炎弾を食らうとキラービーも燃え落ちているが、盗賊も毒針で一刺しされると、徐々に動きを鈍らせて倒れ込んでいった。
その上、方向を考えずに同士討ちになったり、耐久限界を超えて暴発したり、魔銃はむしろ被害を増やしているようにも見える。
「キラービーは肉食で、尻尾の毒針が強力。刺されると動けなくなるし、叩き潰すと匂いで仲間が興奮して狂暴化する」
ブーン……という大きな羽音は、身体の奥底から根源的な恐怖心を掘り起こす。
キラービーは倒れた盗賊に群がると、死体を食い千切り始めた。
スズメバチは獲物を肉団子にして巣に持ち帰るが、キラービーはもっと大雑把だ。
肘から先、肘から肩といった感じで、関節部分で食い千切り、そのまま抱えて飛び去って行く。
胴体の部分も、持ち帰れる大きさに切り分けると、抱え込んで飛んで行く。
人間一体を10分も掛からずにバラバラにして、持ち帰ってしまった。
「シューレ、粉砕の魔法陣を使えば……」
「駄目、手を出しちゃ駄目……もう少しすればいなくなるから、それまで頑張って壁を維持して……」
盗賊相手にも落ち着いていたシューレの顔にも、緊張感が漂っている。
最初の襲撃から逃げ切れれば、その後のキラービーは食糧の回収に専念して、襲って来なくなるらしい。
確かに、肉を抱えたキラービーが戻っていくので、周囲の羽音は小さくなっている。
壁の維持の他に使える余力も少なくなっているし、下手に手出しして興奮させるよりも、いなくなるのを待つ方が得策なのだろう。
御者台に座り、目を閉じて壁の維持に集中する。
暫くして、シューレが御者台を下りて行った。
どうやら馬車の周囲を確認して回っているようだ。
荷台からは家具工房の職人も下りて、周りを見て回っているらしく話し声が聞こえてきた。
周囲のチェックを終えたシューレが声を掛けた。
「みんな馬車に戻って、出発するわよ! ニャンゴ、壁を解除して良いわ」
「了解、解除したよ」
「ヘイグ、馬車を出して。ゆっくりよ」
「分かった」
ヘイグが合図をすると、ゆっくりと馬車は動き出した。
街道には血の染みがあちこちにあるが、盗賊の姿もキラービーの姿も見えない。
シューレは暫く立ったままで周囲を警戒していたが、俺を抱え上げると御者台に腰を下ろした。
「ヘイグ、普通に走らせて良いわ。ニャンゴ、お疲れ様」
「はぁ、何だか凄く疲れた」
「ニャンゴが居なかったら、かなり厳しい状況だった。盗賊の人数も多かったし、魔銃も使っていた。キラービーに馬をやられたら身動きが取れなくなっていたと思う」
シューレの言葉にヘイグも大きく頷いている。
「いやぁ、俺なんか最初の火の玉が飛んで来た時点で、もう駄目だと諦めかけてたよ」
「ヘイグ、それは早すぎ……」
「それにしても盗賊も近付けない、キラービーも近付けない、空属性ってのは、こんなに凄いんだな」
「はい、空っぽなんて言われてますけど、他のどんな属性よりも凄いと思ってますよ」
「うん、ニャンゴは超、超、超有能」
馬車が通常の速度で走り始め、襲撃地点から離れると、身体の強張りが解れていくのを感じた。
自分では意識していなかったが、かなり緊張していたらしい。
一時間ほど馬車を走らせたところで、川の近くで休憩を入れる。
ここは、ナコートと次の街ルガシマの間にある中継地だ。
ラガート子爵家とエスカランテ侯爵家共同の騎士団駐在所がある。
ここまではラガート子爵領、ここから先はエスカランテ侯爵領になる。
ヘイグが馬車を止めると、キャビンの戸を荒々しく開けてボルツィが降りて来た。
さては、洩らしそうなのかな?
「ニャンゴ、ニャンゴ! ありがとう、実に素晴らしい働きだった」
「ど、どうも……」
ボルツィは腰を屈めて目線を合わせると、俺の両手を握ってブンブンと振りながら礼を述べてきた。
「いやぁ、シューレから話を聞いていたが、正直半信半疑だった。だが、素晴らしい! 盗賊に襲われ、キラービーに襲われ、何も犠牲にしないで乗り越えられるとは思ってもみなかった」
ボルツィの絶賛は、俺とシューレが騎士団に報告をしている間も続き、担当の騎士も苦笑いを浮かべていた程だ。
担当の騎士は、襲撃に魔銃が使われた事や、キラービーの襲撃もあったと聞くと表情を曇らせた。
「この時期にキラービーか、嫌な予感がするな……」
「どういう事ですか?」
人が良さそうな熊人の騎士に尋ねてみると、理由を説明してくれた。
「普通、キラービーの被害が報告されるのは、新たな巣が作られる春の終わりから夏までの間が殆どなんだ」
「この時期に被害が出るのは、新しい巣が作られたってことなんですよね?」
「そうなんだが、普通はこの時期には新しい巣は作られないから、巣が作られたという事は、元の巣が壊された可能性が高い。最近大きな地震も無いし、土砂崩れを起こすような大雨も降っていない。自然界でキラービーの巣を壊すような存在は限られている……」
「ワイバーンですか?」
熊人の騎士は頷いてみせた。
ワイバーンは、キラービーの毒にも耐性があり、キラービー自体も餌にするし、幼虫も好んで食べるそうだ。
「まだ目撃情報は無いから確実じゃないが、君らも帰り道は気を付けた方が良いぞ」
「でも、いきなり襲われたら気を付けようが無いですよね」
「ははは……それもそうだが、咄嗟に馬車の下に逃げ込んで助かった例もある。上にも気を配るようにしなさい」
「はい、そうします」
中継地を出発した馬車は、ルガシマに向けて順調に進んでいった。
シューレはいつもの如く、ボンヤリとした表情で前方の監視を続けているが、どことなく楽しげに見えた。
「ルガシマには、何が良い事があるの?」
「いいえ。ただ、襲撃を無事に退けたから、今回の護衛はボーナスが期待できるわ……」
「そうなの?」
「護衛の仕事は、何事も無かった時の基本的な料金に、襲撃があった場合のオプションを付けて契約を結ぶものなの」
「もしかして、盗賊の襲撃とキラービーの襲撃は別オプションってこと?」
「勿論、別々だし、被害ゼロだから全額いただくわ。ニャンゴが一緒で大正解」
護衛の金額は、何も無かった時よりも、襲撃を撃退した時の方が遥かに高い。
これは、基本となる金額を下げることで依頼を出しやすくして、何か事があった時の危険手当は充実させるためらしい。
そして、オプションの支払いを渋るような依頼主は、冒険者の間で嫌われ、護衛の依頼そのものを受けてもらえなくなったり、いざという時に見捨てられたりするそうだ。
ボルツィは金払いが良く信頼されている依頼主で、多くの冒険者が依頼を受けたいと思っているそうだが、娘のエリーサが同行するようになって以来、シューレが専属状態だそうだ。
「エリーサに悪い虫が付くのが心配で、男の冒険者を雇わなくなったけど、正直戦力的には不足してると感じてた……」
一応、シューレの他にも執事さんとメイドさんは武術の心得があるそうだが、それでも三人だけだ。
シューレからも、戦力を増やした方が良いと助言していたそうだが、ボルツィが首を縦に振らなかったそうだ。
今回、俺の参加が許されたのは、体格的に釣り合いが取れず、悪い虫になる可能性の低い猫人であるのと、シューレの強力な推薦の結果らしい。
「今回の襲撃でボルツィも肝を冷やしただろうし、戦力不足も痛感したはず。次からはチャリオット全体で依頼を受けられるようになるかも……」
今回襲って来た盗賊の中には、ライオスやシューレと同じぐらい腕の立つ者が混じっていなかったから守りきれたが、ウォールを壊すほどの攻撃力を持つ者が混じっていたら、最悪の結果を迎えていたかもしれない。
「うちの旦那は、お嬢さんには目が無いから……肝心のお嬢さんを守るのに支障をきたすなら、男性冒険者も雇い入れると思いますよ」
ボルツィの親バカは、家具工房の中でも有名らしい。
ヘイグが言うには、家具工房ディアーコの職人への手当は同業者の中では一番良く、金銭以外の待遇も充実しているそうだ。
「旦那やお嬢さんの身に危険が及んだら、私や荷台にいる職人は身を挺して守ろうとしますよ」
ボルツィが、俺に敵意というか疑いの混じった視線を向けているのは、あくまでもエリーサに手を出さないか心配なだけで、襲撃を退けた後は正当に評価してくれていた。
「良い工房主みたいですね」
「あぁ、旦那は我々働いている人間がいるから工房は成り立っている。景気の良い時は一緒に笑い、苦しい時はワシが耐える……というのが口癖なんですよ」
ただの親バカなおっさんかと思いきや、ボルツィは上客のようです。
チャリオットの今後の為にも、イブーロに戻るまでシッカリと護衛を務めますかね。
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