第89話 変化のきざし

 学校での事情聴取を終えて拠点に戻ると、血相を変えた兄貴が駆け寄って来た。


「ニャンゴ、大丈夫か、どこも怪我していないか?」

「えっ? あぁ、うん、怪我はしてないよ。大丈夫、大丈夫……」


 こんなに不安そうな表情で兄貴が俺を心配するなんて、アツーカ村にいた頃には一度もなかった。

 心配そうな兄貴とは対照的に、チャリオットの他のメンバー達は思い思いの場所に座って寛いでいる。


「随分と派手にやったみたいじゃねぇか」


 最初に話し掛けて来たのはセルージョで、閉じていた掌を上に向かってパッと開いてみせながらニヤニヤと笑ってみせた。


「さぁ、何の事やら……俺は学校で捕まっていたから、貧民街の爆発とか知りませんよ」

「くっくっくっ……俺は一言も貧民街なんて言ってねぇぞ」

「そ、それは事情聴取の時に聞いただけですよ……ふにゃぁ!」

「ニャンゴは極悪……今回の一件で裏社会の連中にも名前が売れる……」


 セルージョとの話に気を取られている隙に、俺を抱え上げたシューレもニヤニヤしている。


「えぇぇ、それってまた面倒事になるの?」

「たぶん……ならない。ニャンゴに手を出すとどうなるか、今回の件で思い知ったはず」

「それで、ニャンゴ。学校の内部は、どんな状況だったんだ?」

「はい、連中が押し入ってきたのは、生徒や教師が食堂に集まる昼時でした……」


 ライオスの求めに応じて、学校の内部で起こった事と俺の対応を一通り説明した。

 60人を狭いトンネルに閉じ込めて一網打尽にしたと話しても、ライオス達四人はさして驚かなかったが、兄貴は口を半開きにして固まってしまった。


「それにしても魔銃を50丁以上とは……連中、どこから仕入れてきたんじゃ?」


 ガドが疑問に思うのは当然で、魔銃と言えば王都に一軒家を建てられるほどの値段がすると言われている。

 いくら裏社会の連中とは言え、それほどの金があるとも思えないし、それだけの金があるならば学校を襲う必要も無いはずだ。


「黒尽くめ達が使っていたのは、金属の筒に持ち手が付いただけの簡素な作りだったので、もしかすると自分達の所で作った物かも」


 魔銃を作るのには高い工作精度を求められ、それゆえに高価だとレンボルト先生の話も伝えた。

 外見は雑な作りに見えたし、内部の工作精度が低いから威力も低かったのだろう。

 

「なんだ、火の玉を撃ち出す程度じゃ初級の火属性魔法じゃねぇか、それじゃあコケ脅しにしかなんねぇな」

「だがセルージョよ。そいつが50丁もあるんじゃぞ。お前さん一人で相手に出来るか?」


 ガドの言葉にセルージョはギョッとした表情を見せた。

 確かに1丁の威力は低いけど、50丁、100丁と数を揃えて一度に撃ち出されたら、その威力は馬鹿に出来ないものになるはずだ。


「それに、ニャンゴの言う通りに威力の低さが工作精度によるものなら、今後向上していく可能性は捨てきれんぞ」

「ライオス、ギルドに報告しておいた方が良い……」

「まぁ、その辺りは警備の兵士からも報告が入るだろうし、現物も検証されるだろう」


 黒尽くめ達の逃亡を防げたので、魔銃も押収できた。

 たぶん、レンボルト先生のところに分析の依頼が行くかもしれない。


「それにしても大金貨5百枚とは、奴らも思い切ったもんだな」

「セルージョ、そいつを守り、生徒を守ったんじゃ、ニャンゴにはドカンと褒美が出るぞ」

「おぉ、ガドの言う通りだ。こいつはニャンゴに一杯奢って貰わないとだな」

「はいはい、本当にご褒美が出たら考えますよ」


 依頼を受けて生徒の護衛をした訳でも、金貨の取り戻しを請け負った訳でもないので、褒美なんて期待できないと思っていたが、そうではないとライオスが教えてくれた。


「いいか、ニャンゴ。今回の一件をイブーロの街を治める立場から見ると、襲撃を行った連中は悪で、生徒や金貨を守った者が正義だ。正義のために大きな功績を残した者は、当然悪の側からは目を付けられる事になる。それなのに、正義を守る側が功績を残した者に報いなかったら、どうなると思う?」

「正義の側に付いても損をするだけ……?」

「そうだ。だから、功績を残した者には相応の褒美が出されるんだ。今回は、守ったものが大きいから、褒美も期待できるぞ」

「んー……でも、あんまり期待すると思ったほどでなかった時にガッカリするから、ほどほどにしておきますよ」

「まぁ、その方が賢明だな」


 前世の日本で人命救助をした場合の金一封などは、千円とか五百円だと聞いた事がある。

 その程度だと考えるなら、銀貨一枚程度だろう。


「それじゃあ、私がご褒美に綺麗に洗ってあげる……」

「にゃっ、俺は一人でぇぇ……」


 抵抗虚しく風呂場に連行され、シューレに丸洗いされてしまった。

 洗うのは兄貴だけにしてほしい。俺は泡々の風呂にのんびり一人で浸かりたいのに……。


 シューレが髪を洗っている間に屋根裏部屋へと逃げ込むと、先に戻っているはずの兄貴の姿が見当たらない。

 天窓が開いていたので外を覗くと、兄貴は屋根の上でボンヤリと夜空を見上げていた。


「兄貴……どうかしたのか?」

「ニャンゴ、俺はどうすれば良いのかな……」


 兄貴は、俺が聞き出せなかったアツーカ村を出てから今日までをポツリポツリと話し始めた。

 予想はしていたが、やはり猫人ゆえに仕事にありつけず、騙されて貧民街に縛られるようになったようだ。


「お前みたいに魔法の才能があれば、猫人であっても街で実績を残して、ちゃんとした生活を築いていけるのだろうが、俺みたいに何の取り得も無い猫人じゃ、どうやって生活していけば良いのか……」


 貧民街からは抜け出せたけれど、その先の人生の道筋を兄貴は描けないでいるようだ。

 今の兄貴を見た人は、努力が足りないとか、才能が無いとか言うかもしれないけど、俺から言わせれば兄貴は普通の猫人だ。


 普通の猫人で、普通に努力してきた兄貴が普通に暮らせないのは、イブーロの街が間違っているのだと思う。

 でも、お前らが間違っているんだって言ったところで、イブーロの街が急に猫人に優しくなる訳じゃない。


 やっぱり、猫人の側が変わって社会に順応し、社会を変えていかなきゃ駄目なんだろう。

 俺は兄貴が言うように、レアな属性と前世の記憶に恵まれて、普通の猫人とは違う道を歩き始めている。


 だから、俺が猫人は……と権利を主張しても駄目で、兄貴みたいな普通の猫人が認められるようになる必要がある。


「兄貴……普通の猫人の先駆者になってよ」

「えっ? どういう意味だ?」

「俺みたいな変な猫人ならば街でも生きていける。でも、それじゃ駄目だから、普通の猫人である兄貴が街でも生きていける道を探して、後から続く猫人の道しるべになってよ」

「道しるべ……って、どうやって?」

「それは分からない」

「お前、そんな無責任な……」

「だって、変な魔法が使える俺が考えたって、普通の猫人の手本にはならないじゃん」

「そりゃそうだけど……」

「とりあえず、住む場所と飯は提供するよ。だから兄貴は、猫人でも金を稼いで暮らしていける方法を考えてよ。それが見つかれば、これから街に出て来る猫人が貧民街に沈まないで済むようになるからさ」

「猫人でも稼げる方法……」


 兄貴は街の明かりに目を向けながら、考えを巡らせ始めた。

 その視線は、夜空を見上げていた焦点の定まらない瞳ではなく、迷いながらも道を探している者の目のように見えた。


 翌朝は、いつもよりも目が覚めるのが遅かった。

 長時間、広範囲の探知魔法の行使、兵士からの事情聴取など、普段とは違った一日で思っていたよりも疲れていたようだ。


 兄貴が、俺がハンモックに寝ると言い出したので、布団に潜ってヌクヌクと眠ったのも寝坊の理由かもしれない。

 寝足りないのか、寝すぎたのか、ボーっとしながら起き上がると、何やら聞きなれない声が聞こえて来た。


「みゃっ、うにゃ! みゃっ、うにゃ! みゃっ、うにゃ!」

「もっと振り始めは柔らかく……力を入れるのは当たる瞬間だけ……」

「みゃっ、うにゃ! みゃっ、うにゃ! みゃっ、うにゃ!」


 見上げたハンモックはもぬけのからで、声は窓の外から聞こえて来るようだ。

 急いで着替えて窓から飛び出し、ステップを使って減速しながら拠点の前庭へと飛び降りた。


「兄貴……?」

「みゃっ、うみゃ! おぅ、ニャンゴ……棒、借りてるぞ」


 兄貴は、俺がシューレとの手合せに使っている棒を持って、素振りを繰り返している。

 意外に様になって見えるのは、たぶん見守っているシューレの指導のおかげだろう。


「みゃっ、俺も……うみゃ、ちょっとは……みゃっ、鍛え……うみゃ、ないとな……」

「そっか……んじゃ、その棒は兄貴にあげるよ。俺は自分の分を手に入れて来るから」

「みゃっ、悪いな……うみゃ、助かる……」


 兄貴は、俺と話しながらも素振りを止めるつもりはなさそうだ。

 この調子だと、明日は筋肉痛で動けなくなりそうだが……果たして何時まで続くかね。


 ちょっと心配だけど先が楽しみで、目が合ったシューレと笑みを交わし合った。

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