第218話 閑話.安らかに眠り給え

※219話を間違って投稿してしまいました。差し替えを行いました。


 黒衣の怪人とでも表現すればよいのか、まるで公国貴族のようにレースがついたブラウスに足元をキュッと絞ったズボンと革の靴。

 しかしどれもが墨を綺麗に塗ったかの、いや、影を切り取ったかのように真っ黒だった。

 背中からは異形の翼のようなものが生え、顔貌も無く影のように能面となっている。

 黒衣に付き従うように宙を舞う宮廷魔法使いが着るようなローブもまた同じく漆黒に染り、このタイプのローブならば本来あるべき柄もない。


『邪教……潰す』


 影の顔に切れ目が入り、低い男の声が漏れ出す。

 切れ目の中は真っ赤で、これもまた一色で色むらなく均等になるよう丁寧に染め上げられた布のよう。


「魔族……やもしれん」

「伝え聞く伝説の、ですか?」


 対峙する騎士団長の独り言のような呟きに副長が問いかける。

 騎士団長の額から汗が流れ、彼の顎髭を濡らした。

 二人とも目を黒衣から目を逸らさぬまま剣の柄を握りしめている。

 手のひらには汗が滲み、彼らの緊張感を示していた。


「分からぬ。どちらも只者ではない。こやつらと比べれば火竜など赤子のようだ」

「確かに。しかし、魔族ならば納得です」


 この世における絶対強者と言われる種族はいくつかある。

 代表的なものは古龍種と呼ばれる神の如き力を持つ竜の上位種。竜と名の付くモンスターは強大な力を持つ鱗を備えたモンスターに名付けられる。

 この中でも古龍は異質の存在だ。火竜のようなブレスと強靭な鱗を持つだけでなく、高い知性を備えている。まさに人知の及ばぬ生ける伝説と言っていい。

 一方、古龍と並ぶほど著名であるが、実際に見た者がいない種族が魔族である。

 魔族は人に似た姿をしているとも、獣の姿をしているとも言われていた。だが、魔族と遭遇したという話を彼らは耳にしたことが無い。曲がりなりにも彼ら二人は公国の防衛を任された責任者である。彼らの元には公国だけでなく他国で出たモンスターの情報が集まってくるのだ。繰り返しになるが、そんな彼らでさえ魔族と対峙したことも噂さえ聞いたこともない。

 余談であるが、少なくとも公国ではここ五十年間、目撃報告が無かった。そんな幻とも言える存在が魔族である。

 魔族とはどのような存在で何を目的にしているのか。多くの学者たちが議論したものの答えはまだ出ていない。

 そもそも存在自体が御伽噺であると言われる存在の目的など、議論するだけ無益だと批判する学者もいる。

 果たして騎士団長と副長の前方にいる異形の影は魔族なのかそうでないのか、彼らにも分からない。

 ただ一つ確かなことは、人型の影が喋ったということだ。それも公国語で。

 黒い影には知性があるかもしれない。そして、二人は瞬時に理解した。

 かかる重圧から、この影の実力はかつて遭遇したどのモンスターよりも強い、と。


「会話ができるのなら……」


 騎士団長が一歩前に出る。対する人型の影は動きを止め右手を顔の前にやり、彼らを指さす。


『憎イ……邪教の……』

「邪教とは、お前の目的は何なのだ?」


 うわごとのように黒衣が漏らした言葉に対し、騎士団長が問いかける。

 しかし、黒衣は両手を頭に当て背骨が曲がりそうな勢いで背筋を反らす。


『邪魔をするナ……もう何モ、分からヌ……ダが……」

「分からない、とは」

『潰す! 潰ス、ツブス、ツブス!』

「落ち着け。お前は一体何がしたいのだ? ローゼンハイムを目指していたのだろう? ローゼンハイムを公都を。ヨシュア様の愛したこの街を、破壊させるわけにはいかぬ!」

『ヨ、ヨシュ、ア……ぐ、ぐううああああああ! 脳が、脳ガ。痛イ!』


 頭をかきむしるように両手を動かしながら、黒衣が苦しそうに悶える。

 対する騎士団長は唯々、困惑していた。

 黒衣の怪人は一貫性のある言葉を紡がない。喋る言葉こそ公国語だが、まるで話が通じないからだ。

 

「やはり難しいか。ローゼンハイムに仇成す者よ。恨みはないが、退かぬのなら斬って捨てる!」


 騎士団長がスラリと剣を抜く。副長も彼に続いた。

 

『邪魔をスル者は、容赦しなイ。リンドルフィンぐうウゥううう!』

 

 黒衣の叫びに応じ、ローブが黒衣に重なる。

 その瞬間、ぶわっと黒衣から闇が溢れ出し、後方に控えていた暗黒の竜が三体に増えた。

 竜たちが天に顔を向け闇を吐き出す。火竜のようなブレスであったが、これほどおぞましいブレスを騎士団長は見たことがない。

 

「そっちは任せたぜ。後ろは俺たちがやる」


 声がするや否や、キラリと剣筋が奔り右手の暗黒竜の首が落ちる。

 虚を突かれた残り二体の暗黒竜は仲間の首を落とした憎き敵のいる方向へ体を向けた。


「あの者たちは一体……冒険者か」

「分かりません。しかし、相当な実力者です。ここは彼らに甘え、我らは黒衣に集中しましょう!」


 目配せをし合った騎士団長と副長は力強く前へ踏み出し、一息に黒衣との距離を詰める。

 ドオオン。

 大きな音が響き、もう一体暗黒竜が地に落ちた。

 それには構わず、騎士団長と副長が左右から黒衣に向け剣を振るう。

 キイイイン。

 澄んだ音が響き、黒衣の畳んだ翼に剣が弾かれる。

 か、硬い。

 騎士団長は心の中でそう呟くが、体は動揺など微塵も見せず次の剣を煌めかせた。

 しかしこれも、翻した翼に阻まれてしまう。

 

『愚かナ。愚か、愚かナあアァー』


 頭を上下に振った黒衣の元に広がった暗黒が集束していく。


「やべえぞ! 二人とも引け!」


 先ほど手助けに入った男の声が二人に警笛を鳴らした。

 二人とて言われずとも分かる。魔法に疎い自分達でも潰されそうになるほどの魔力を危険だと思わぬわけはないのだ。

 しかし、彼らの後ろには騎士団だけでなく、ローゼンハイムがある。

 引くわけにはいかない。ならば、斬って捨てるまで!

 

『シャドウ・メテオ……』


 両手を広げ顔を上に向けた黒衣が歓喜の声を発する。

 そして、天が――。

 ――暗黒に染まった。

 

 バチバチと空に稲光が発生し、稲妻を伴った暗黒の塊となって落ちてくる。

 

「神よ。わたくしに護る力を与えたまえ。セイクリッド・ウォール」


 凛とした涼やかで落ち着いた声が響き、神々しい光が暗黒の塊を受け止め、かき消した。


「聖域魔法……」

「聖女様……?」


 騎士団長と副長らはすぐに声の主が誰なのか察する。

 

「わたくしが護ります。祈ることは大事なことです。ですが、時には祈る以外のことで人々の安寧を願わなければならない時もあります」


 抑揚のない落ち着き過ぎた言葉を紡ぎながら、ゆっくりと教会の中にいるのと変わらぬ歩みで聖女が進む。

 

『邪教オおおオォ! 許さヌ! 決しテエェ! シャドウ・フレア!』

「無駄です。神の祈りを。人々の安寧を穢すことは叶いません」


 聖女に向けて放たれた赤黒く発光する暗黒の塊が彼女に届く直前で姿を消す。

 静々と口元に微笑を浮かべた聖女は止まらない。神の力を身に宿した彼女の動きは誰にも阻むことなどできないのだ。

 

 あまりに自然な彼女の歩みに騎士団長と副長は左右に別れ彼女に道を譲る。

 今一度、強力に過ぎる魔法を放った黒衣であったが、聖女の体を傷つけるどころか暖かな光に阻まれ彼女の体に届きさえしなかった。

 

 黒衣の元まで来た彼女は両膝をつき、両手を胸の前で組む。

 

『認めヌ! 認めヌぞおおオオ!』

「安らかに。お眠りなさい。あなたの命の灯はもうここにはありません。ならば、わたくしは祈りましょう。あなたの心の安寧を。ターンアンデッド」

『邪……教……』

「……安らかに。わたくしも私も、あなたの心をしかと受け止めました。あなたの意思を然るべきあの方に伝えましょう。ですからご安心ください。あなたの想いはあの方に伝わります。決して無駄にはなりません」


 黒衣の怨嗟に対しても、彼女は「聖女」の「アリシア」の思いを彼に伝え、彼のために祈る。

 黒衣から燐光があがり、彼の姿が薄れていく。

 

『思い出した。聖女よ、伝えずともよい。僕の罪は決して消えることはない。だが、これだけは言わせてくれ。思い出させてくれて感謝する……』


 影だった顔が人の顔になり、黒衣は聖女に感謝の言葉を述べた。

 聖女はいつもの微笑みを称えた顔のまま、静かに目を瞑る。

 彼女の目から一筋の涙が流れ落ちるのと時を同じくして、黒衣は完全にこの世から消失したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る