第216話 閑話.ヨシュアの言葉
飛び降りた三人は――。
ハンググライダーとやらで空を飛ぶことは、これで三度目となる。初めはなだらかな丘の上からだった。
ハンググライダーの持ち手をしかと握りしめ、地面を駆ける。それだけで少し体が軽くなったのだ。
斜面に入るところで勢いよく跳躍すると体が浮く。いや、ハンググライダーが飛んだ!
これには酷く驚いたものだった。アルルのような羽みたいに軽い者ならばともかく、俺のような巨大まで空へと運ぶとは。
一方その時のバルトロといえば、新しい玩具を手に入れた子供のようにはしゃいでいた。
そんな中、先に降りることになった二人が言葉を交わしている。
「アルル、どうだ?」
「いない、よ」
バルトロとアルルのやりとりにハッとなったガルーガは自分の耳をピクリと動かす。
ハンググライダーを掴んだ時、彼はついつい初めてこれで空をかけたことを思い出していた。
「これが本番なのだ」と彼は気を引き締め、先に飛行船から飛び立った二人の後を追う。
崖の上から飛んだ時も爽快そのものだったが、飛行船から見る景色もまた格別だった。
青、青、青。
空の青さが視界を覆いつくし、吹き抜ける激しい風がガルーガの短い毛を撫でる。
遥かに遠い地上は職人が作った箱庭のようで、これもまた彼の目を楽しませた。
「バルトロ!」
この強風では、彼の元まで声が届かないようだった。しかし、会話を交わさずとも特に問題はない。ガルーガはにやっと大きな口の端をあげる。
バルトロとアルルの後ろをついていくガルーガは、今自分がどの辺りにいるのか分からなくなっていた。それでも、彼に迷いはない。
アルルの感知能力は確かで、彼女に任せておけばよい。冒険者は何も「一人で探検をしろ」と決まっているわけではないのだ。頼りになる仲間と補い合いながら進むことだってできる。それがパーティというものだ。
「……冒険者ではなかったな……」
苦笑するガルーガの目に小さな小さな粒くらいのモンスターの一団が映り込む。
あの数、まさか。
ガルーガはこのモンスターの一団を知っている。
あれはヨシュア殿が「注視せよ」とおっしゃっていたはぐれモンスター達だ。
奴らは公国北東部からローゼンハイム目前にまで移動していた。なので、無事なままだったのか。
三人はモンスターの一団から離れた藪の中に無事降り立つ。
「全く。最初からこのつもりだったのか?」
「いやいや。これはついで、だ。ついで。俺たちがヨシュア様に許可を取ったことはちゃんとやってきた」
苦言を呈するガルーガに対し、バルトロが悪い笑みを浮かべパチリと指先を鳴らす。
「いなかった。よ。モンスター」
「もしいたら、予定変更していたさ。でも、いなかった。そんで」
「言わずともいい。確かにヨシュア殿へ具申した通りだな」
「だろー。ローゼンハイムの様子を帰りがけに見て来るって言った。その通りってこった」
両手を頭の後ろにやったバルトロがぴゅーと口笛を吹く真似をする。
確かに「ローゼンハイムに寄って来る」と言ったが、ヨシュア殿は街の中という意味にとったに違いない。
この男、ほんとうに首を突っ込むのが好きだな。
俺も嫌いではないが。
ガルーガがそのようなことを考えながら苦笑する。
「奴らが北東部にいる時にネラックの大花火で仕留めてしまえなかったのか」
「仕方ねえ。飛行船の安全性と作戦の成功率、正確性だったか……その辺を考えてあいつらを滅するのを断念したってヨシュア様とセコイアの嬢ちゃんが言ってたぜ」
「あの一団をヨシュア殿が注視せぬはずはないか」
「そういうこった。奴らは夜間に休む。毎日ではないがな」
「合点がいった」
ただでさえ難しい作戦を夜間に行うとなれば、更に難易度が跳ね上がる。
できることならはぐれモンスターの一団も倒してしまいたかった。だが、作戦が失敗すれば元も子もない。
「バルトロ。行くの?」
アルルが無邪気に首をかしげる。
対するバルトロは「おう」と親指を突き出した。
「先に街へ入らないのか?」
「ん。状況次第だな。街の中にモンスターが入ったとなれば、そっち優先で。騎士団と自警団の邪魔をしないようにすりゃ、まあいいだろ?」
「分かった分かった。お前の好きにしろ」
「なんだよ。ガルーガだって暴れたいんだろうに」
「否定はしない」
不謹慎だと自分でも思う。
だが、ガルーガは心のどこかで湧き立つ自分がいることを実感していた。
彼の心に去来するのは、この三人でモンスターを狩りに行った時のことだ。あの時彼は、片目になったにも関わらず自分の可能性がまだまだ残されていると手ごたえを掴んだのだった。
自分はまだやれる。両目だった時よりも、むしろ今の方が余分な力が抜けより高みに至ることができているのではないか、と。
バルトロは唯の鉄の剣で角龍を一撃で仕留めてしまった。
大切なのは力だけではないと彼が示してくれたのだ。アルルもまた自分とはまるで逆方向のスピードの極致を彼に魅せてくれた。
ハルバードの柄へそっと手をやり、気持ちが昂る自分に苦笑する。
歩き始める彼らからほど近い場所にローゼンハイムの外壁が見え隠れしていた。
彼らが本気で走れば、ローゼンハイムまで休むことなく駆けつけることができる距離である。
◇◇◇
ローゼンハイムには要所要所で石壁で作った城壁を備えている。
これは他国との戦争を意識したものではない。賊に対する防衛ラインというわけでもなかった。
元々ローゼンハイムは城壁で街を取り囲んでいたのだが、公国の財政事情が芳しくなかったこともあり長い間、城壁が放置されていたのだ。
その結果、城壁が老朽化し防壁としての役目を果たさないまでになっていた。
ヨシュアの代になって、彼はこのまま放置していては城壁が崩れてくる危険性があると判断し、城壁の修繕に乗り出す。
その際に城壁を何に対する防壁とするのかを検討した。
一番は猛獣やモンスターから街を護るため。全てを取り囲むのではなく、防衛ポイントを定める手法を取る。
それ以外の城壁は取り壊され、選ばれた防衛拠点の素材として再利用された。
こうして、ローゼンハイムの城壁は生まれ変わり、防衛機能を取り戻す。
ローゼンハイム北東部拠点に当たる城壁前には、ズラリと鎧姿の騎士が並んでいた。
彼らの後ろには騎士だけでなく、革鎧の衛兵や冒険者の姿も見える。
更には数が少ないものの長槍に純白の法衣と赤いマントを身につけた「聖なる騎士」ことスクエアナイトも馳せ参じていた。
「諸君! ここが最終防衛拠点である。我々は郊外の防衛拠点を戦うことなく放棄した。しかし、逃げたわけではない。ここで迎え撃つために招き入れたのだ」
騎士団長が悠然と集まった戦士たちに語りかける。
全員が彼の言葉に対し、固唾を飲んで見守っていた。
「ヨシュア様はグラヌール卿に『手紙』を託された。かのお方は、ここで防衛に徹することが望ましいと伝え、諸君らにも言葉を残されている」
大きく息を吸い込んだ騎士団長が続きを述べる。
「死ぬな、と。壁を背に護ることに徹しろ、と。さすれば、必ずや魔物たちは引く。そして二度と来ることは無くなるだろうと」
騎士団長が高々と右手を掲げた。
彼の動きに応じるかのように、勇壮な歓声が巻き起こる。
公国北東部に端を発した魔素騒動も最終局面を迎えようとしていた。
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