第173話 閑話 ヨシュア追放後のルーデル公国 変わりゆくザイフリーデン領
燃え盛る炎に亡者たちが焼かれて行く。呪詛の声をあげるでもなく、動く屍たちは灰と化す。
全身鎧を纏ったザイフリーデンの騎士たちは、フルフェイスの兜の下で顔をしかめつつも、安堵していた。
酷い悪臭が街にまで流れていっているものの、ゾンビたちを無事殲滅することができたのだから。
「この臭い、しばらく取れそうにないな」
「だなあ。しかし、我が伯爵殿は聡明なお方だ。こうして事前に対策を講じていたのだから」
「堅牢な城壁などと思っていたが、この城壁があって炎も街まで広がらぬ。公国から離脱すると宣言された時はどうしたものかと思ったが」
「伯爵に付き従うことがやはり正解だったというわけだ」
「俺もそう思うさ。街の活気はローゼンハイムにも迫る勢いだと専らの噂だぜ」
二人の騎士は動く影がもういないか、念のために再度確認し、いつもの警備体制に移行する。
間もなく交代の兵がやってきて、彼らは街へと戻ることになった。
「お、おいあれ」
「ん? な、何だあれは!」
影が差してふと何気なく空を見上げた騎士がもう一歩の騎士に呼び掛ける。
影は雲ではなかった。
巨大な何かが空を飛んでいたのだ!
彼らがこれまで見たことがない黒い影。
「飛竜か……いや、飛竜より遥かに大きい」
「飛竜はあんなに真っ黒じゃあない。あれは何だ? 嫌な予感がする」
影は彼らの言うように空を飛ぶドラゴンに似た形をしている。
飛竜と異なり胴が分厚く、翼も小さい。
だが、輪郭だけだ。ドラゴンの影が動いているという表現がしっくりくる。
そいつが、首をもたげ目らしき場所が赤く光った。
「お、おい!」
「ち、ちくしょうめ!」
ドラゴンの形をした影――シャドウドラゴンから霧のような黒いもやが吐き出され騎士たちを包み込む。
二人が剣を振るうも、霧相手には如何ともしがたく……。
「い、息が……」
「ぐ、ぐうう……」
ガチャガチャとあえぐようにして兜を取ろうとする二人だったが、間もなく前のめりに倒れ伏しピクリとも動かなくなった。
そこに影が流れ込み、霧が晴れる。
右側の騎士の足先がピクリと動く。
◇◇◇
騎士たちが倒れ伏した時と同じくして、街のとある路地でも異変が起こっていた。
よぼよぼで今にも臨終を迎えそうな犬が、真っ黒に染まり、風船のように膨らんで行く。
ぱあんと何かが弾けたような音がして、老犬が筋骨隆々の黒犬へと転じた。
黒犬は三つの首を持ち、全長が五メートルを超える。巨大化した際に民家を破壊し、首を振るだけで元々民家だった瓦礫を弾き飛ばす。
『うおおおおおおん』
黒犬が吠え、ビリビリと空気が揺れる。その風圧は、木々を薙ぎ倒してしまうほどの圧力があった。
これに対し、人々が恐れおののいたのかと言うと、そうではなかったのだ。
彼らもまた……。
いつも賑わいを見せる中央大広場はシーンと静まり返っていた。
露店や行商人の馬車はそのままに、この場にいる人々全てが倒れ伏し、動かなくなってる。
中には苦悶の表情を浮かべたままの者もいるにはいるが、多くは誰かと話をしていた、であったり、上機嫌に口笛をふいていた、といった表情そのままに動かなくなっていた。
異常に過ぎる光景はここだけでなく、街全体に及んでいる。
そう、アントン・ザイフリーデンの居城にまでも。
「ザイフリーデン様、お逃げください……」
「如何ともしがたい。お前の結界のおかげで無事だということだが、僕は魔術師の素養が中の下だからな」
枯れ木のようなフード姿の老人が杖を握りしめたまま、主人に提言をする。
しかし、対する主人アントン・ザイフリーデンは首を横に振った。
「こ、これ以上はふ、ふせぎきれません……」
「よくやった。最後まで命を張れる者はそうそういない。大儀であった。リンドルフィング魔術師長」
「も、申し訳ありません。ザイフリーデン様……」
「最後に教えてくれ。一体我らを何が襲ったのだ?」
「何者でもないモノです。しかし、こうなっては……」
「分からぬ。ここから見える街の者はほぼ全て動かなくなってしまった。巨大な魔物も出現している……一体何なのだこれは」
ザイフリーデンの言葉に応える者はもういない。
老人は前のめりに倒れ伏し、ザイフリーデンにも見えない何かが体に圧しかかる。
「ぐ、ぐう。こ、これは……レジストだ。レジストしろ! ……ヨ、ヨシュア様ならば……」
ガクリと膝を付いたザイフリーデンの体からすぐに力が抜け、彼もまた他の街の者と同じように前のめりに倒れ伏す。
ザイフリーデン領ダグラスは、一瞬にして死都と化した。
しかし、動く影が全く無いというわけではない。
玉座のある広間でもまた……。
『ヨ、ヨシュア様……』
くぐもった声が広間をこだまする。
◇◇◇
――公都ローゼンハイム 教会
聖女は祈る。人々の安寧を。
彼女に課せられた使命は祈ること。私心を捨て、ただただ祈る。神の言葉を伝えることもするが、彼女の主たる役目は祈ること、それだけだった。
両膝を床につけ、両手を組み目を閉じていた彼女の目が静かに開く。
「……魔素が……」
一言、そう発言しただけで彼女は酷く動揺し大きく首を左右に振った。
「魔素がどうされたのですか?」
「グラヌールさん。印をお求めですか?」
「はい。こちらを。聖女様、お顔が優れないようですが、お休みになられては」
書類を手渡しつつ、グラヌールが聖女を気遣う。
「いえ、わたくしの気構えが足りないと、どうしても聖女としての務めを果たし切れない時があるのです」
「聖女様はご立派に務めを果たされているかと。私心なく、神のために人々の安寧を願う」
「違います……わたくしは私心を捨てきれてなど……すいません。お忘れください」
「聖女様……」
「私心を完全に捨て去ったとしたら、もはやそれは人ではない」と喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込むグラヌールであった。
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