第145話 エイルの請願
「アールヴ族の代表として来られたのですか? それともエイルさん、個人として?」
「レーベンストックの代表としてこの地に参りました」
意外な回答にギョッとする。興味本位で辺境国を遊覧しにきたわけでもなく、アールヴ族の族長として何かを告げに来たわけでもないらしい。
部族国家レーベンストックはその名の通り部族がより集まって構成されている国である。
国として一つにまとまっているというよりは、部族同士の緩い同盟関係により防衛協定が結ばれている、という表現がしっくりくる。
部族はそれぞれ独立して独自の政策を布いており、部族によって決まり事が大きく異なっていた。
彼らは対外政策に関してのみ、部族間会議で議論され合議した結果を反映する。他国に対しては原則友好的な中立を保つとしていた。
アールヴ族としてではなく、レーベンストックとしてとなると……大事である可能性もある。
「辺境国は成立したばかりの国です。未だ一つの街を建設している最中といったところですが」
「恥を偲んで、なりふり構わず申し上げます」
お、おいおい。
まさか、「オレオマエマルカジリ」とかそんなことを言い出すんじゃないだろうな。
こちらはまだ防衛手段を持ち合わせていない。
いや……辺境国を攻めたところで何らうまみはないな。彼らはこれまで対外戦争を行なってこなかった。
戦争自体は歴史上何度も行なっているが、全ては自らの領域を守るため。
彼らは土地を広げることに興味はない、はず。
高速で脳内に考えを巡らせているとエイルが人形のような整った顔をふせ、一度だけアゲハ蝶のような翅を震わせる。
「助けてください。私たちを」
「俺たちを攻めて……え?」
「どうか……このままでは……助けて、お願い……ヨシュア、さ、ま」
「どういうことだ? 成熟した国家であるレーベンストックになくて辺境国にあるものなんて、そうそう思いつかないぞ」
口調の体裁を整えず、心から絞り出すような彼女の言葉は、嘘偽りを述べているようには思えない。
だが、何で?
「ございます。レーベンストックになくて辺境国にあるものは」
「なんだろう……電気かな」
「デンキ? 無知な私は、それを存じ上げません。デンキなるものではありません」
「ええ、そうですよね……」
場を和ませようとしたのが不味かった。冗談のつもりだったのだけど、電気なら他国にはないだろうという考えもあった。
電気のことは、別に機密情報でもなんでもない。使いたければ使ってくれていい。
「雷獣を狩るぞ」とか言われると話は別だけど。
「『ヨシュア様』です。辺境国にあってレーベンストックにないものは」
「え、ええっと……」
「あなた様がレーベンストックに来ていただけるのなら、どれほどの幸福がもたされるか」
どう反応したらいいんだこれ?
冗談に冗談を返したつもりか分からないけど、目が笑ってない。
「ダメ! ヨシュア様ー! アルルも行く」
向い合せにそれぞれのカウチに座る俺とエイラの間に宙を舞って降り立ったアルルが両手をめいいっぱい開き、叫ぶ。
ぶるぶると首を横に振る彼女は目に涙を浮かべ、今にも声をあげて泣きだしそうな様子だった。
「アルル。俺が一人でどこかにいなくなってしまうことなんてないよ」
「ほんと?」
「うん。辺境に来た時だって、みんなに相談してからにしただろ。どこに行くにしても、同じことだよ」
「うん!」
「この先、ネラックを離れることもあるかもしれない。だけど、俺はここが自分の家だと思っているんだ。そこにはアルルたちもいて欲しいな」
安心させるようにアルルの背中に手を回す。
一方で彼女はぎゅっと俺の背中の服を掴み、顎をあげ俺を見上げる。満面の笑みで。
「仲がよろしいのですね。ヨシュア様は気さくな方だとお聞きしております。実際その通りのご様子で」
「すいません。客人の前で」
エイラは口元に手をあてて上品にほほ笑む。彼女の動きに合わせて額から伸びる触覚も半ばから折れる。
こんな表情もするんだと、こちらも和んだ……のだが、彼女の次の発言で肝を冷やす。
「いえ、心が温かくなりました。ヨシュア様は公国の領主であられたのに、人間以外の種族も囲われておられるのですね」
「か、囲ってません……」
なんてことを言いやがるんだ。
アルルから体を離し、ぼすんとカウチに座る。憮然とした顔にならないよう、変に力を入れたせいか唇がぴくぴくしてしまった。
幸いなことに、アルルは何のことか分かっていない様子だったので、まあ良しだ。
「申し訳ありません。つい、ヨシュア様のご様子に微笑ましい気持ちになってしまい。失礼な発言を」
「いえ、こちらこそ会談の場で」
「聖教国家の貴族は、人間純血主義を採用されている家が殆どだと聞いておりましたもので」
「確かに。聖教は他種族に寛容ではありますが、支配層の殆どは人間です。少なくとも公国では」
「公国で国教制度を廃止されたりと、ヨシュア様はそれを変えようとなさっておられたのですか?」
「うーん。何事も強制したくない。人間だろうが獣人だろうが、アールヴ族だろうが、自由意志によって選び取れる社会にしたかった」
これは本心からだ。
だけど、経済的な側面からという打算的な想いもある。
国教制度は聖教を半ば強制するものだった。それでは思想の範囲を狭めてしまうし、聖教を信仰していない領民にとっては生き辛い社会になるだろう。
事実、国教制度を廃止してからいろんな種族が公国に流入し、彼らがもたらすヒト、モノ、カネが多大なる発展を促してくれた。
さて、前置きはこれくらいで。
さぐり合うのは好きじゃあない。なので、ズバッと聞いてしまうぞ。
「助力を仰ぎたいとのことですが、辺境国は先ほども申しました通り成立したばかりの国です。資源もレーベンストックに比して天と地ほどの開きがあります」
「公国で端を発した『はやり病』のことはご存知でしょうか」
それか!
レーベンストックにまで綿毛病が広がっていたんだな。
彼らはまだ綿毛病の対応策を講じることができていない。なので、辺境国を頼ってきたというわけか。
「体中に綿毛が広がる奇病のことでしょうか?」
「はい! 辺境国にまで魔の手を?」
「ええ。幸い、対応策を打つことができましたので、現在はほぼ収束しております」
「や、やはり、ヨシュア様こそ、辺境国にあってレーベンストックにないものです!」
「買い被り過ぎです……。きっと公国でも病を克服していますよ」
「はい。公国では特効薬が開発されました。しかしながら、はやり病は公国だけでなくレーベンストックにも帝国にも全世界的な広がりを見せております」
「手一杯ってわけか……」
彼女の言葉から察するに、レーベンストックは辺境国まで綿毛病が広がっていることを知らなかった。
だけど、俺がいるから藁をもすがる思いで辺境国にまでやってきたというわけだ。
しかし、さすがはオジュロ。綿毛病の特効薬を開発していた。
「公国内でも薬は未だ行き渡っておりません。そんな中、彼らは聖教国家に対し薬の供給をしているのです」
「そいつは、確かに余裕なんてないだろうな……。量産体制を取るために相当の人員を割き、他国からも技術者か魔法使いか必要人員は分からないけど集めなければ……」
迅速に政治的な決定を行い、必要な資金と人材をかき集めなければとてもじゃないけど他国にまで薬を供給するなんてことは不可能だ。
公国は難しい判断を迫られる。
辺境国はネラックの街一つだけを見ていればよかった。ある意味、一つの街だけで隔離されている状態なので広がりようがない。
公国だと広大な地域に人々が分散しているので、辺境国と同じ人数を治療するだけでも数十倍の労力がかかる。
「レーベンストックでは、今日もまた病で命を落とす者が出ております……」
「心中お察しいたします。状況をお聞かせいただけますか?」
レーベンストックのような大国を辺境国のリソースで正直何とかできるのか? と問われると首を捻る。
だけど、遠路はるばる俺を頼って来てくれた人をそのまま帰すことなんて、俺にはできない。
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