第95話 耳で風を感じとるのだ
辺境の地カンパーランドと隣接する公国領。当たり前だけど、俺は公国領から辺境の地へやってきた。
公国領にある辺境に一番近い村から、辺境の境界線まではそう離れてはいない。
しかし、その村では魔石も燃焼石も取れる。
植生だって異なるのだ。給水のために立ち寄っただけで、村の隅々まで観察したわけではないので絶対そうだとは言い切れないけど……。
村には多数の雑草や低木、高木が自生していたけど、キャッサバの葉を見ることはなかった、と思う。
もし、あの特徴的な葉を見ていれば記憶の片隅に残っているはず。
そうだな。村から僅か数十キロでガラリと気候が異なると言い換えてもいい。
そこで俺は思った。
何か目に見えない境界線……例えば大陸プレートと大陸プレートがぶつかり合う場所のように、マナとマナがぶつかり合う場所で境目ができているといったことがあるのではないだろうか?
俺はセコイアやペンギンと違って、気候の激変のメカニズムには興味がない。
興味があるのは結果であり、今起こっている事象である。
『どうしたのかね?』
「ヨシュア様、食べないの?」
おっと、俺にとって大きな気づきだったので、ついついそのまま考え込んでしまった。
ペンギンだけじゃなく、アルルまで下から覗き込むように俺を見上げてきているじゃあないか。
あと、なんだか後ろに湿り気を感じる。
それは無視でいいだろ。あー、でもなー、バリバリと下品に食べる音がするし、いや、服なら洗濯すりゃいい。体なら風呂で洗えばよいさ。
「一つ思いついたんだよ」
『ほう、そいつは興味深い。君のことだ。この世界独特の事象に目をつけたのだろう』
後ろの雑音に目をつぶり、ペンギンの言葉に対しコクリと頷きを返す。
公国語で喋っているのにペンギンが理解しているじゃないかって?
それにはもちろん絡繰りがある。これまで何度も行われているが、彼はセコイアから脳内同時通訳を受けているんだ。
彼女が俺の声を聞いている時ならば、ペンギンはどちらの言葉で喋りかけられても理解できる。
「ペンギンさんは知らないかもしれないけど、俺の住んでいた土地とここは結構、植生が異なるんだよね」
『ほう。物理的に遠い、山脈、海、風……気候を決定する要因はいくつもある。高さが少し違うだけでも、温度が異なるものだからね』
「ここからは、アルルに聞きたい」
「ん?」
急に話を振られたアルルはパンプキンタルトを口に挟んだまま、コテンと首をかしげた。
ルンベルクやエリーに聞いてもよいのだけど、崖下の洞窟での察知能力とかを鑑みるに彼女は風の動きというか些細な環境変化に敏感だ。
俺の予想であるが、猫耳と尻尾がアンテナのように働いているのではないだろうか?
セコイアも狐耳と尻尾があるから、こう察知に優れているんじゃないかな。ほら、雷獣の気配に気が付いたりしてたじゃないか。
「この屋敷に来るまでにさ、こう風の動きというか太陽の光というか、ガラッと変わったなんてことを感じなかったかな?」
「うん?」
猫耳をピコピコ揺らし、口から出たタルトをもっしゃもっしゃと咀嚼してごっくんするアルル。
そしてまたしても首がコテンとなってしまった。
「馬車でさ、結構飛ばしてたから分からないかもだけど、風の流れが変わった瞬間ってなかった?」
「いつも、どこでも。あるよ?」
だああああ。アルルは俺が思った以上に鋭敏なんだ。
俺にとっては些細な扉を開け閉めするくらいの風の動きでも、彼女にとってはそうじゃあない。
彼女にとっては、ハッキリと風の動きが変わったと認識しているのだろう。
「じゃあ、ここに来るまでで一番強く風の流れが変わったところってどの辺りだったかな?」
「ルドン高原?」
「やっぱりそうか!」
ルドン高原とか大層な名前がついているけど、なだらかな丘で範囲も狭い。
丘の下と頂点までの高さは五十メートルもないんじゃないかなあ。丘のてっぺんからでも特に見晴らしがよくなるわけじゃあない。
昨日アルルといったルビコン川北の小高い崖の上の方がよほど高さを感じることができる。
『ルドン高原とは?』
今度はペンギンが口を挟む。
「ルドン高原は辺境と公国の気候的境界線だと思う。公国が辺境だと認識している境界線はルドン高原より二十キロくらい公国よりだけどね」
「して、ルドン高原とやらが何だとというのじゃ?」
「うわあ。口を拭ってからにしてくれよ」
「問題ない。そこで拭いた」
俺のズボンじゃねえかよ。
不意に後ろから俺の肩から顔を出してくるから、適当に突っ込んだのだが、まさかそんな事態になっていたとは。
いや、スルーしていたのは俺だ。突っ込んだら変に絡んでくるんじゃないかと思ったからさ。
「……どうせこの後、風呂に入るし洗濯もするからいいや」
「風呂? 入るのかの?」
「一人でな。いや」
「破廉恥な奴じゃ。よいぞ」
「ペンギンさんは一人じゃ背中流せないから、一緒に入ろう」
「頼んだ」とばかりに両フリッパーでバンザイするペンギンにぐっと親指を突き出す。
いかん。セコイアをからかい過ぎたか。
俺に対し何か行動を起こす前に興味を逸らさねば。
「ルドン高原を境にして急激に気候が変わる。つまり」
「つまり?」
よっし、セコイアが乗ってきた。
彼女にとって知的好奇心は他の何にもかえがたいものみたいだからな。
「明日の行き先を変えよう。二頭立ての馬車で向かう」
「行ってからのお楽しみってわけじゃな」
「うん。思ったよりうーんな感じかもしれないけどね」
「遠出も楽しそうじゃ」
そんなわけで、明日の行き先はルドン高原へと変更になったのだった。
そうそう、カボチャ試食会は大好評のうちに幕を閉じる。
またやろうということになったんだけど、ルンベルクとエリーにお願いするってのが正確なところだ。
◇◇◇
『悪いね。背中を流してもらって』
『いやいや。いつも頑張ってくれているし。風呂も毎日ってわけじゃあないだろうし』
『川で水浴びもしているから、問題ないさ」
カイメンを加工したスポンジでペンギンの背中をごしごしすると、彼は気持ちよさそうに嘴から小さく息を吐く。
やはり、風呂はいい。魔石問題を早く解決させて、公衆浴場も作りたいなあ。
屋敷には入浴設備があるけど、領民たちにまでインフラが行き渡っていない。風呂より水道が優先なことも分かっている。
でも、エリーが香油を使っていたように嗜好品や遊興設備も生活には必要だ。
嘆いていても仕方ない。一歩ずつ進んでいくしかないのだから。
「いけません。セコイア様! ヨシュア様がご入浴中です」
「離すのじゃ! 離すのじゃああ!」
外が騒がしい。
まあ、エリーなら侵入者をきっちり排除してくれるだろうさ。
ざばー。
桶ですくったお湯をペンギンの背中にかける。
よっし、綺麗になったな。
『ふうう。生き返るうう』
『ペンギンになっても、風呂は気持ちのよいものだね』
ペンギンと二人揃って湯船につかり、極楽気分を味わう。
疲れも一気に流れ落ちて行くようだ。
「分かった。ボクも悪かった。考えを改めよう」
「分かってくださったのですね」
「うむ。ボクが独り占めしようとしたことが間違っておった。エリー、キミも一緒に来るがよい」
「え……いえ、そんな……ヨシュア様のせっかくのお時間を」
「よいではないかよいではないか」
こらあああ。
頑張れエリー。野生児に篭絡されるんじゃあないぞ。
『ふうう。いい湯だ……』
ばしゃっと手ですくった湯を自分の顔に浴びせ、大きく息を吐く。
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