第76話 樽だ

「ヨシュア様。俺とガルーガで運ぶから、そこにいてくれ」

「え、いや。でも一つくらいは」

「一つならボクが運んでやろう」


 「うううん」と樽を持ち上げようとして、腰がギシギシ悲鳴をあげていたらバルトロに止められ、あげくはセコイアに横から樽をかっさらわれてしまった。


「待て、セコイア。一つくらいは俺が!」

「なら、持ち上げて見せよ」


 セコイアが手を離すと、ドシンと音を立てて樽が床に戻る。

 よおおし。見ていろよ。

 ぐわしと両腕をがっしり樽につけ、中腰になって。

 いざ行かん。

 

「ぐううおおおおお」


 ぐぐぐ、あ、あがった。

 あがったよね、樽。

 し、しかし。腕が。

 

「せめて、自分の腰くらいまでは持ち上げられると思ったのじゃが」

「まだだ、まだ終わらんよ」


 ふう。

 ん? 樽はどうしたのかって?

 そらもう、すぐに手を離したよ。危うく樽がコロンと倒れそうになったところをセコイアが片手で支えてくれた。

 勘違いしないで欲しい。

 俺が運べないと言っているわけじゃあないんだ。時間も惜しいから、セコイアがやったに過ぎないってことを。

 いやあ、あの重さを軽々と持ち上げるとか幼女なのは見た目だけだな。うん。

 

「何か嫌な視線を感じるのじゃが?」

「気のせいだ。そのまま馬車を降りるがよいぞ。セコイアよ」

「気持ち悪い口調をしおってからに」


 樽を運ぶセコイアの背を見つめながら、彼女の後から馬車を降りる俺であった。

 いやまあ、丸太のような腕をしたガルーガがひょいひょい持ち上げているのは分かる。

 引き締まっているが細身のバルトロが軽々と外に樽を並べているのは、日本じゃあ有り得ないことだ。

 この世界の人たちはマナという力があるから、地球にいる人間に比べて見た目通りの筋力を持つわけじゃあない。

 だったら、俺もそれなりの筋力があってもいいじゃないか。

 しかし、現実は非情である。どうやったら、せめてバルトロの半分くらいの筋力を持つことができるのだろう?

 力こそパワーとか俺も言ってみたいよ。

 そういや、エリーに軽々と持ち上げられてぴょーんとされていたよな俺。

 激務が落ち着いたらランニングと筋力トレーニングくらいはしようかな、いや、その前に惰眠を貪ることが先だ。うむうむ。


「何を考えてニヤニヤしているのか分からぬが、準備が整ったぞ」

「お、そうかそうか」

「誰かが持ち上げるとか意気込まなければもっと早く終わっておったがの」

「それは言わない約束だぜ」


 腕を組み片耳をペタンとするセコイアのやれやれが少し可愛いと思ったのは秘密だ。

 お子様な見た目だから、おどけているととっても可愛く見えちゃうんだよな。もちろん、子供として。


「嫌らしい目をしおって。欲情しておるのか?」

「いや、全く」


 ぽかぽか。

 背中を叩かれた。

 セコイアは目ざといのか鈍感なのかどっちなのかよくわからなくなることがある。

 彼女の真意を知りたいとも思わないけどね。

 

 ◇◇◇

 

「ヨシュア様はそこでじっとしていてくれよ」

「オレとバルトロが必ず、護る」


 積み上げられた樽の前で両手を広げるセコイア。たぶん目をつぶって儀式を始めるのだろう。

 七メートルほど離れたところに陣取るは俺たち残り三人だった。

 だけど、前が見えん。

 バルトロとガルーガが身構えた姿勢で俺の前に立っているからだ。

 膝を少し落とし、いつでも獲物を抜ける迎撃態勢なのはいいんだけど、ガルーガが巨体過ぎて前が見えんのだ。

 

 む、むむ。

 あの光はセコイアの足元に描かれた魔法陣か?

 きっと今、スカートがめくれて黒いパンツが見えているはず。

 特にパンツには興味がないのでどうでもいいんだけど、樽の様子が見たいのだ。

 

 ――ウオオオオオン。

 遠く……東にある森の方から猛獣の咆哮が聞こえた。

 ここまで聞こえてくるとは相当大きな声で叫んだに違いない。

 

 さて、頼んだぞ。野生児。

 交渉がうまくいけばいいんだが……。

 

「うむ。うむ」


 野生児もといセコイアが相槌を打つ声が耳に届く。

 どうなってんだあ。

 ハラハラしながら、彼女の「うむうむ」を引き続き聞いていたら猛獣の唸り声が止まった。

 

「もうよいぞ」

「どうだった?」

「あっさりし過ぎて拍子抜けじゃった。すぐにここに参ると」

「おおお。よかった。これだけ集めてもらった甲斐があったな」

「とっておきの甘い蜜じゃと伝えたからの。奴め。この木の蜜のことは知っておったぞ。じゃが、奴の体躯じゃあ、せいぜい垂れてくるものを舐めるくらいじゃ」

「元々、好物だったのかもしれないな」

「そうかものお。甘い物に目が無いから、食べ物で釣ろうというキミの作戦がはまったの」

「ははは。動物ってのはやっぱり食べ物が一番だろ」

「そのように単純な者ばかりじゃあないがの」


 そう、この樽の中身は全てカンパーランドシロップなのだ。

 カエデの木を見分けることは簡単だけど、樹液を集めることはすぐにとはいかない。

 木に切れ目を入れて、樹液が溜まるのを待つんだけどそこはセコイアの魔法で解決したってわけだ。

 木が枯れないか心配だったが、彼女が問題ないと言っていたから、問題ないはず。

 

「ヨシュア様、来たぜ」


 バルトロの言葉が終わるや否や、藪の向こうがガサリと揺れた。

 補足だが、いる場所はガルーガが指し示してくれている。だから俺でも藪が揺れることに気が付けた。

 

 姿を現した甘い物好きの猛獣。

 バチバチと青白く光り輝く放電が美しい猫科を彷彿させる獣は、ゆったりとした足取りでこちらにやって来た。

 そうこいつは、俺が愛してやまない魔獣「雷獣」だ。

 きっとペンギンも雷獣をまじかにしたら目の色を変えるに違いない。

 しかし見惚れていてはいけないのだ。こいつは紛れもなく危険度マックスの魔獣なのだから。

 圧倒的な猛獣の気配にガルーガの両腕の毛が逆立つ。俺の視界を塞ぐもう一方の人物であるバルトロは顔だけ後ろに向け「にいっ」と笑みを浮かべた。

 いや、俺のことはいいからちゃんと前を向いていてくれよ。目を逸らした隙に電撃が直撃で黒焦げとかもあり得るんだからな。

 

 俺の心配をよそにセコイアはおもむろに樽を一つ抱え上げ、横倒しにする。

 ゴロゴロ――。

 セコイアが両手で勢いよく樽を押すと、派手な音を立てて樽が転がり始めた。

 向かう先は雷獣一直線!

 

 お、おおおい。

 もうちょっと穏便に行こうぜ。

 

 何てヒヤヒヤしていたら、雷獣が右前脚をあげ転がってきた樽をベシンと打ち払ったじゃあないか。

 うわあ。

 樽は一撃でひしゃげ、中からあまーいカンパーランドシロップが垂れてきた。

 

 雷獣はペロペロとカンパーランドシロップを舐め、すぐに顔をあげる。

 彼は真っ直ぐにセコイアを凝視し、対するセコイアは両手を組み「うむうむ」と頷きを返す。


「ここに取引は成立した」


 セコイアがあまりにあっさりとそんなことを言うものだから、本当かよと疑う気持ちの方が強くなってしまった。

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