第66話 閑話 転生したらペンギンだった件

『我思う故に我在りとはよく言ったものだ。確かに、自我はある。だからと言ってこれは我在りなのだろうか?』


 フリッパーを伸ばし自分の頭へやろうとするが、人間の腕と異なり頭の上まで届かない。

 やれやれと左右のフリッパーを使って肩を竦めようとするが、滑稽な真横にフリッパーを伸ばしただけのポーズとなってしまう。

 白昼夢だと彼は思った。

 自分が人ではなくなってしまう日が来るなんて考える人間がいるだろうか?

 しかし、実際に起こってしまったのだから世の中とは数奇なものだ。

 

 ペタペタペタ。

 川岸に映る自分の姿は記憶にあるアデリーペンギンそのものだった。

 

『ペンギンの肉体に私の精神が入ったというのか? 精神転送……SFだなこれは。だが、事実起こってしまった事象について、非科学的だと断じることはできない。私こそが非現実の体現者なのだから。これは現実である。不可思議な事象を検証しようにも、器具の一つもありはしない。そもそもこの身はペンギンだ。器具があったとしてもフリッパーでは扱えもしないか……』


 自嘲し、ふうと息を吐くと嘴がカタカタ揺れる。

 妻に先立たれ、息子と娘も独り立ちした。

 仕事もとうの昔に引退し、後は死を待つばかりの身だと思っていたペンギンの中の人こと宗次郎。

 しかし彼は、ペンギンになってしまったことに嘆いているように見えて、実のところ生きる気力を取り戻していた。

 自分の生は……いや、生きてはいたものの気力を失った人形のようになっていた自分はもういない。

 ペンギンになった。まだ見ぬ不可思議な世界が眼下に広がっている。

 好奇心が彼に生を取り戻させたのだ。

 

 といっても生来の彼が変わるわけでもないのだが……。

 

『私の知るアデリーペンギンとこの身は明らかに異なる。何故なら……』


 そよ風が吹き抜け、宗次郎は獲物の存在を感じとる。


『アデリーペンギンの主食があのような生き物のわけがない。そもそも、あのような生き物は地球に存在しないのだ』


 皮肉めいた口調でそう呟くも、宗次郎はよちよちと歩き始めていた。

 獲物の風に誘われ、彼は歩く。

 

『ふむ。中々の大物だね』


 自分の中では涼しい顔で呟いたものの、パタパタとフリッパーを振るその姿をヨシュア辺りが見たらペンギンが獲物を見て興奮しているようにしか思われないことだろう。

 しかし、自分ではクール、そう信じているのだ。宗次郎は。

 

 彼が見据えるその先には殻直径が二メートルもあるカタツムリがノタノタと宗次郎から遠ざかるように動いていた(歩く……と表現するには速度が遅すぎるため、動くと表現している。)

 対する獲物を狙うペンギンもよちよちペタペタとカタツムリへにじり寄り、フリッパーを振り上げる。

 

 ペシイイイイイン。

 僅か一メートル半くらいの体躯からは想像できないような、甲高い音が響き渡り、カタツムリが横倒しになった。

 硬くはないカタツムリの殻はフリッパーで叩かれた部分が割れている。

 

 「む……」宗次郎は心の中で唸り声をあげた。

 彼はペンギンとなって以来、動物的な勘が働くようになったのだ。

 カタツムリの気配を感じることに繋がるこの能力は、野生動物全てが兼ね備えているものかもしれない。

 いや、人間も元来持っていた能力であったのだろうと宗次郎は推測している。

 生き物とは元来、捕食被捕食の弱肉強食の世界だ。

 生きていくためには危険を察知することが肝要である。人間は道具の開発により、敵う生き物が存在しなくなった。少なくとも地球では。

 そのため、生物が本来持っている生存本能ともいえる危険を感知する能力が欠落した。

 しかし、ペンギンは違う。

 ペンギンは獲物であるカタツムリの気配を感知できるばかりではなく、自分より強い生き物を肌で感じることができるのだ。

 背筋が凍るとでも言えばいいのか……宗次郎は背中の羽毛がそばだつようにびくりと体を震わせる。

 しかし、彼が取った行動は……カタツムリの捕食であった。

 そのままもしゃもしゃとカタツムリの身を貪り喰らう宗次郎。

 内心気が気ではないのだが、彼は半ば確信していた。このまま興味のないフリを続け、敵意が無い事を示せば必ずこの状況を切り抜けることができると。

 

 何故なら、ある種の言語が背後から聞こえてきたからだ。

 恐らく、背後にいるのは人間かそれに類する生物である。

 人数は二人。

 うち一人が強者。もう一人が弱者。

 人間であれば、自分が危険な生物ではないと示せば観察こそすれ、危害は加えぬだろう。

 もし、彼らがペンギンを狩りに来ていれば話は別だが、自分が人間だった時の記憶からその線は薄いと判断した。

 そもそも、逃げようにも地上でのペンギンは、亀のような速度だ。

  

 このまま立ち去ってくれれば良し。捕獲され飼育される道になったとしたとしても、このまま彼らの食事になるよりはマシだろう。

 心の中で悲壮な決意をしつつも、彼はカタツムリを捕食する。

 むしゃむしゃと。

 

『ふう……。去ってくれたようだね』


 胸を撫でおろし、宗次郎はフリッパーをパタパタと振るった。

 カタツムリの身はまだ半分ほど残っているのが見て取れる。

 もちろん彼は、残りのカタツムリの身をちゃんと捕食してから、この場を立ち去ったのだった。

 

 ◇◇◇

 

 彼は観測の結果、一つの結論に達する。

 知的生命体は人間とそれに類する生命体で、ペンギンには興味がない、と。

 なら、と思い、彼は水の中に潜り耳をそばだてる生活を続けていた。

 潜りさえすれば、そうそう発見されることもないだろう。

 いや、発見はされているに違いない。強者は自分より気配感知に優れるのだろうから。

 自分が強くはない生物なので、捨て置かれているだけだろう。

 

 今日もいつもと同じように水中から観察するつもりだった。

 しかし、思わぬ言葉が宗次郎の耳に届く

 

 ――バッテリー。

 懐かしい。そう思った。

 すぐに居ても立っても居られなくなった彼はばしゃーと水面に顔を出し、件の人間に声をかけてしまう。

 

『バッテリーを作りたいのか?』

『西暦何年から来たんだ? 平成? もしや大正とかか? いや、戦後なのは確実かな?』


 もう止まらなかった。

 彼は孤独だったのだ。ペンギンとなって以来、誰とも会話ができなかった。

 彼らの喋る言語が理解できなかったのだから、仕方ない。

 だけど、構うものか。

 言葉が通じぬとも、思いの丈をぶつけることくらいしてもいいじゃないか。

 我思う故に我在りだ。

 

『どこだ? こちらから危害を加えるつもりはない。姿を見せてくれ』


 な、なんと日本語で言葉が返ってきた。

 宗次郎はここで焦ってはいけないと平静を装い、人間に言葉を返す。

 

『何を言っているんだ君は? 私はここにいるではないか』

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