宛先不明

 足元をよじのぼってくるような孤独感。胸を押しつぶすような憂鬱。色が落ちしずんだ世界。四畳半の牢獄。散乱する薬のゴミ。針を進める時計。生温かい部屋。空腹感ですら、鉛の空気を吸っていれば満たされてしまうものだ。

 お金も無い。気力も無い。体力も無い。何も無い。あるのは停滞のみ。胸を締め付ける憂鬱のみ。そうなってしまったとき、ふと、私には、何も無いような気がしてしまう。生きる執念も、生きる喜びも、何もかも。

 絵描きは見える世界を絵筆でスケッチする。私は見える世界を言葉でスケッチする。そうすることで滞った感情を凌ぐ。されど私はプロでもなければ作家ですらない。だが、人は皆、詩を詠む者。だからこうして独り、部屋で文字を書き連ねる。

 文字を書き連ねるのに意味があったことは無い。誰にも読まれず電子の海で藻屑となって消えていく。残骸を眺める私は途方に暮れる。何事も為せなかったと悲嘆する。

 小説とは小さな呟きだと思っていた。違った。小説とはボトルメッセージだった。小さな願いを込めて、海へと放りなげる。きっと誰かが読んでくれるだろう、そんな感じだ。

 しかし、私は思う。本当に誰かに伝えたいことがあるなら、直接伝えれば良いのに、と。海などという気まぐれで冷淡でおっかないものに頼らずに、自らの口から伝えれば良い。

 ではなぜボトルメッセージを送るなどという回りくどいやり方をするのか。そんなの、決まってる。誰かに伝えたくはないからだ。この状況を、誰かになんとかしてほしいと思ってなどいないからだ。

 だって、四畳半の絶望から手を引いてくれる人間は、大抵私をこっ酷く扱いたがるのだから。否、彼奴らはそんな自覚無いのかもしれない。彼奴らはただ、「助けてあげた」「一緒に遊びたい」、こんな無邪気な欲求でとった私の手をミキサーにかけるのだろうから。

 それでも苦しい時間をなんとかしたいと願うとき、私はこうして独り、自分の内面と向き合う。架空の友人に話しかけてみる。やぁ兄弟、今日はいかがかな。やぁ兄弟、今日は暇だね。会話を連ねると一日が終わる。

 ひそかに這い寄る孤独感と、偽りの充足感とが鬩ぎ合って、私の舵をとる。架空の友人の声の方が現実に負けないように、と祈る。私は独りなどではない。何も無いわけではない。確かに私の声は聞き届けられている。

 願いは虚、壁に跳ね返って惨めに落ちる。私の声は、この白く四角い部屋から先へ届くことは無い。小説はいつも黒く四角いタブレットの中にある。私の叫びは、小さな小さな人間の体の中で滞る。

 流したメッセージは返ってこないし、叩きつけた叫びは誰にも聞こえていないし、何事も為しえない。「世界をどうにかできる」と信じるのが赤ん坊に必要な自己効力感ならば、私にはそんなものは無い。我儘なのは良くない、世界は案外どうにもならないことだぞ、と言いつけてきた世間様に言いたい、私はそんなの信じたことも無い。

 他の人間がそうするように、私も信じたかった。他人との関わりで相互に変化していくと。他の世界との関わりで相互に変化していくと。現実は違う。変わっていくのは私だけで、何一つ変わりやしない。祈りも願いも届きやしない。

 この狭い牢獄から抜けだすのは、私だけ。誰も手を引いてなどくれやしない。今はそれができないから、胎児のように部屋の真ん中で丸まって泣いている。私の中にいる友人たちでさえも、現実に圧殺されて声をかけてくれない。

 操り糸を切られた人形が部屋に横たわっている。操り主は来ない。自ら動かねばならない。それでも私は眠っている、延々と、眠りの世界にしか希望を見出さないで。きっと誰かが起こしてくれるのだろうという、いばら姫のような希望を抱いて。嗚呼、だから助けなんて来ないって言ってるのに!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る