第10話 お嬢と証

外の空気はとても澄んでいて、砦の高台に登ると、月が光る粉を降り注ぐみたいに輝いていた。

月の形も、星の光りも元居た世界と何も変わらない。

でも余計な灯りがないこちらの方が、圧倒的に壮観だった。


「空気が冷たくて気持ちいいねー」


私達は高台の見張りやぐらの上で、並んで空を見つめた。

見張りの戦士は、レギオンを見ると黙って櫓から降り、ここには二人きりだ。


「……今日は、久しぶりに皆、笑っていた」


隣から低く重いレギオンの声が聞こえる。


「このまま、滅びを待つだけの我らに、希望をくれたのはアサコだ。そのことに、王として改めて礼を言いたい」


「そんな……私こそ、荒野に迎えに来てくれてありがとう。あのままだったら野垂れ死んでたかもしれないしね」


「……うむ。その……最初はすまなかったな……失礼だったと反省している」


レギオンはばつが悪そうに頭を抱えた。

おそらく、荒野での一件だ。


「食べようとしたこと?あはは。もう別に気にしてないよ。でも、あの時は本当に食べられるかと思った」


「すまんっ!だが、オレも混乱していて……つい。その上、本能で求愛行動を取ってしまったりして……」


「求愛行動!?」


私はレギオンと出会った時を振り返った。

だけど、求愛行動に当たる行為が全く浮かばない。

男か?と問われて、喰おうと言われ。

何か他にあったかな?

黙って首を傾げる私を覗き込み、レギオンは照れ臭そうに笑った。


「頭上で羽ばたいて悪かったな。さぞ恐ろしい思いをしたことだろう」


「ええっ!それ!?」


まさか……まさか、頭上でのホバリングがドラゴンの求愛行動だったなんて!

愛の表現激しすぎない!?

私は呆れてレギオンを見つめた。

すると、それを何と勘違いしたのかレギオンは私を抱き寄せた。


「レギオン?」


「初めて見たお前は、黒い不思議な衣装を着て、驚いたようにオレを見つめていた」


黒い不思議な衣装……あ、着物だ……。

襲名披露に新調した着物は、もうかなり薄汚れている。

よくもまぁ、着物でドラゴンに乗れたものだと自分を称賛したい。

いや、それどころか裾をたくしあげて暴れ回っていたけど。


「その黒い瞳の美しさ!佇まい!これこそ王の番だと確信していたのだ」


「女か?って聞いたくせに?」


私はつい口走る。

……ショックだったのよっ!


「それは!何度も言うように混乱していたんだ!オレは女を褒めたことや、口説いたことなどないからなっ!」


それ?威張っていう?

レギオンはフンッと鼻息を荒くした。


「初めて女を美しいと思ったんだ。そして、それがオレの番だと思うと、もう……わかるだろ?」


「……ええと。つまり?」


「アサコ……鈍いな……お前も。まぁ、そこも良い」


レギオンは微笑み、私の耳元に顔を寄せて低く囁いた。


「一目でお前に恋をした」


「こ……恋」


「そう、恋。いや、もっと深く強烈で心の臓が掴まれるような思いだ」


月明かりに照らされて、見張り櫓の下に見える影は一つ。

レギオンは私をまだ離そうとしなかった。

それどころか、力はもっと強くなり聞こえてくる鼓動も早い。


「レギオン……気持ちは嬉しいけど、私、まだ良く分からない」


彼の気持ちは素直に嬉しい。

褒められたり、好かれたり、美しいなんて言われるのが嫌いな人なんていないもの。

だけど、その思いに答えられるか、と言えば……「わからない」。

というのが本音だ。


「ああ、そうだろう。急かすことはしない。もっと知って、そして決めてくれればいい」


「決めるって?」


「オレと歩むかどうかを、だ」


そう言うと、レギオンはやっと私を離してくれた。

そして、首にかけていた何かをはずす。


「これを、お前に」


レギオンは黒曜石のような硬質のかけらを私の手に握らせた。

見たことのある形状。

触ったことのある感触。

それが何であるかはすぐに理解出来た。


「これ、レギオンの鱗ね」


「よくわかったな。これはドラゴンが各々一つだけ持つ、特別な鱗。自分が認めたもの、命を預けようと思う相手にしか渡さない。なぜかと言うと……《隷属の証》と呼ばれるものだからだ」


「隷属……?」


「命も心も魂も、全て捧げるという意味だ。これを持つ者には逆らえない。だから、特別な者にしか渡せぬのだ」


「ちょっと、そんな大事なもの貰えないっ!」


鱗を置かれた手を、レギオンへと押し返す。

隷属って、奴隷みたいなものじゃない?

どうして、そんな大事なものをホイホイ他人に渡そうと言うのか、全然わからない。

私の強ばった表情を見て、レギオンはふっと頬を緩めた。


「大事なものだからこそだ。オレはアサコと共にいたい」


「でも……私がレギオンの力を悪用するって考えない?」


「お前に身を滅ぼされるなら本望だ。どんな命令も肉片一つになっても遂行しよう。だが、アサコは悪用しない。オレにはわかる」


レギオンは凛として言う。

出会ってまだ日が浅いのに、どうしてそんなに言いきれるの?

人を信じすぎるにもほどがあるわよ。

ちょっと一緒に戦ったくらいで、懐かれても困るんだから……。


色んな否定的な言葉を並べるけど、私は彼の気持ちが素直に嬉しかった。

そして、初めて(ちょっと気になる)男性からプレゼントを貰ったな、と、微笑んだ。


「ありがとう。なるべく悪用しないようにします」


「構わないぞ?二人で世界を焦土に変え修羅の国でも作ろうか?」


その言葉を聞いて、私は大声で笑った。

「修羅の国」って元の世界で良く聞いたな、と。


レギオンの軽い冗談が、隷属の証の重々しさを払拭した。


それから、レギオンはいつもとまるで変わらない様子でサッと手を差し出した。

私はその手を取る。

黙々と歩く二人の後ろで、月は大きく美しく輝いていた。

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