物語の外へ

「まだ書いてるんだ、小説」


 声をかけられると、ミカンは顔を起こし、ゆっくりと振り返る。ハイヒールを鳴らして入室してきた女性は、ゴシックロリィタのスカートを腿に添えながら座ると、足を組んで少し顎を上げて見せた。

 赤い目に見つめられ、ミカンは下がっていた口角を緩める。声の主の名を呼ぶと、黒く細い目を喜びの弓形にした。


「アザミ、帰ってきてくれて嬉しいよ」

「そんなこたァどうだっていい。質問に答えろ」

「そうね、アタシにはこれしか無いから」


 ミカンの視線が、隣の原稿用紙へと向けられる。紙の山が乱雑に置かれていて、そこには万年筆の濃淡入り混じった文字が書かれている。近寄ればインクの香りがして、アザミは懐かしさを覚えた。

 図書館の一室、館長の部屋にて、ミカンはずっと小説を書き続けている。その内容は、些細なアネモネ図書館での話から、本人の哲学まで多岐に渡る。彼女はこの静謐なる図書館で、一人引きこもり、ときにはネタを求めて外へと出ていく。

 アザミはそんな小説中毒者を見ると、片目を細め、赤い唇を歪ませた。


「本当、よくやるよ。人間との関わりを絶って、自らの世界に没頭して……」

「そうね。アタシは、こうすることでしか人間と関われないの」

「は? この部屋に閉じこもってるのに?」

「アタシは、自己表現が下手なの」


 薄く笑い、黒い目を伏せた。ミカンは頬杖をつき、万年筆に蓋をする。着物を着たその背中は、アザミよりも少し小さい。

 ミカンは口を横に引いて、万年筆を持ってる手を上げて、見上げる。黒い外見が、仄かに明るい室内で、きらんと輝く。


「アタシは、人間と関わるのが苦手で。だから、こうやって空想上の世界なら、人間を描くことができる。それが限り無くアタシ都合の人間でも、こうすることで自分の気持ちを表現できるの」

「それは所詮、被害妄想の類じゃないの?」

「被害妄想……言われてみれば、そうかもしれないけれど。ううん、でも、アタシは本音を言えない人間だから。アタシの物語の方が、余程アタシを語ってくれると思ってる」

「要は、言葉遣いが下手な故に、相手は理解してくれないと被害妄想に縋ってるんでしょう」

「そういう論理なら、そうかもしれないね。アタシはそれを言われて、嬉しいとは思わないのだけど」


 アザミが目を見開く。ミカンは手を下ろすと、背を向けたままそう答えた。彼女は、首を傾げると、不思議ね、と呟く。茶色の髪が揺れて、銀色のピアスが覗いた。


「アタシにしては、素直ね、今の言葉は。そっか、アタシは傷ついてたんだ、そういう言葉に。そんなの被害妄想だ、本当のアタシを見てよ、なんて言葉に……ネタになるね」

「待ちなさいよ、話が読めないんだけど」

「説明すれば分かるはず。

ねぇ、アンタは、『言いたいことを言わないから虐められるんだよ』という言葉に、どんな印象を感じる?」


 ミカンが椅子を回転させ、アザミの方に向く。頬杖をつく彼女は、どこか女王様じみた気風を持っている。薄い切れ長の一重が、アザミに向けられる。

 アザミは金色の眼鏡を掛け直すと、さぁね、と言って赤い目を逸らす。それから、ぶっきらぼうで、皮肉っぽくて、芝居がかった言い方で答える。


「投げやりで、無責任で、仲良くなる気すら無いただの罵倒だと思うけど」

「アタシもそう思う。稚拙で不器用なアタシたちの方が悪いけれど、この台詞を言う人は、あくまで他人事を貫こうとしている。言い方を変えさえすれば、人を救うこともできるだろうに」

「……言い方の問題、それ?」

「言い方の問題だよ。『私たちを信じて、言ってごらん』と言うのと、『お前は本音もろくに言わないから信じられない』と言うのと、どちらが優しい?」


 ミカンはそう言いながら、目線を斜め上に向けた。瞳がじめじめと曇る。アザミはそんな様を見ながら、ふと、ヒナゲシを重ねてしまうのだった。

 自分が生み出した娘の、その鏡写し──ミカンとヒナゲシは、それこそ親子の関係に等しい。ゆえに、彼を思い出すのも当然だった。たとえその顔つきが違っても、そのオーラが違っても。


「アタシは、言い方が下手だから。その代わりに、できるだけ人を傷つけないように、物語を書いているの。相手に本音を言うより、相手に悩みを言うより、小説の中の方が伸び伸びと話すことができるから……」

「それって、人間から逃げてるだけじゃないの? 他人と関わることを恐れてるだけ。他人の反応が怖いだけ。違うの?」

「……アザミ、アンタ、随分と冷たいことを言うんだね」

「アンタ見てると、もどかしい」


 アザミはそう言って、スカートをぎゅっと握り締めた。赤い目を伏せて、歯を噛みしめる。手は震えていて、眉間にはシワが寄っている。だらんと下げた足も、指先まで硬直している。

 ミカンは眉を下げ、肘掛に手を添わせて、俯いたアザミを見下ろした。


「アンタ、そうやって何もかもから逃げて、勝手に被害者面してるだけじゃん。自分が伝えるのが下手だからって、それを大義名分にして、許してくれって言ってるようなものじゃない。そんな甘え、通用するはずが──」

「アザミ。アザミは、アタシを悲しませたくてそう言ってるの?」

「は?」


 アザミが眉を寄せて顔を起こす。ミカンは笑っても、怒っても、泣いてもいなかった。ただ揺蕩う黒の瞳でじっとアザミを見つめているだけだ。アザミは見ていられなくなって、目を背ける。

 ミカンは手を膝の上で揃えると、もう一度、アザミ、と穏やかに声をかけた。


「アンタの言うことは、とても正しいと思う。アタシが悪いと思う。だからこそ、もう一度別の言い方をしてほしいの」

「……は、アンタ、この期に及んで『配慮してくれ』とほざくわけ?」

「そう。きっと、伝える人によって、言葉を変えるべきだと思うから、アタシは。だから、もう一度言って」

「……チッ、ムカつくな……」


 アザミが舌打ちをして目を横に背ければ、ミカンは袖で口元を隠し、小さく微笑んだ。アザミの目がじろりとミカンを睨みつける。


「何がおかしい?」

「おかしくはないよ。ただ、ね。拓馬や慧が言葉を諦めた人なら、美香には言葉を諦めないでほしいの。ちゃんと自分の言葉で、話してほしい。アタシにもできないから、分からないのだけど」

「……正論じゃ誰も救えない、か……はぁ、ヒナゲシも言ってたな」

「それにね、アザミだってそこまで強くないって知っているから。アンタが言葉を選べなくて、それゆえに相手が勘違いして、全く同じような冷たい反応を貰って苦しんでしまう前に……アンタには言葉を巧みに操れる人間になってほしいの。

……と、言葉を選んでみたのだけれど、通じる?」


 ミカンが首を傾げて問えば、アザミは大きな溜め息と共に額に手を当てた。顔を上げても、冴えない気怠げな表情のままで、面倒臭そうなことには変わり無い。

 しばらく黙り込むと、アザミは頬を掻きながら、改めて口を開いた。


「……アンタは、もっと人間と接した方がいいと思うよ。実践練習を積まなきゃ、どうやって人間と接したらいいか分からないまま。アンタの中に膨れ上がった恐怖と永遠に対峙し続けるまま。

最初は雑魚敵からでいい。慣れ親しんだ友人とか、家族とか、ちゃんとやり直しの効く相手で。それから見知らぬ人間に試せばいい。RPGと同じだろ、こんなもん」

「少し、良くなったね。傷つかないよ、それなら」

「どうも」

「アタシもアンタも、人間が怖いんだよ」


 アザミが口を尖らせてそっぽを向けば、ミカンは遠くを眺めて、ぽつりと呟いた。微かに微笑んでこそいるが、黒い目は死んでいる。枝のように細い手を握り締めて、静かに続けた。


「だからね、『伝えるのが怖い』と思ってしまう。そうしてアタシは、小説の世界に逃げ込んだ。ここに書いてあることこそ、アタシの本音であり、精神世界なんだと言って。

それは、酷く閉鎖的で。理解されないことを怖がるがゆえに、人に本心を明かさなくて。

他人はアタシの小説を見ないと、アタシが何を考えてるかすらも分からないの。それって本当にいいのかしら。アタシはずっとそう思ってるよ」

「……伝えることを、放棄したことになるからね」

「理解することを放棄することも、伝えることを放棄することも、いけないことだとアタシは思うよ。話さないと。どうしてそう思ったのか、ちゃんと伝えないと。だから、アザミの言うことは正しい」


 ミカンはそう言って、顔を赤くした。恥ずかしいな、と呟き頬に手を当てる。


「……こんなこと言って、本当は怖いんだよ。アタシを理解してくれなかったら、って……アタシが間違ってるんだから、仕方無いんだけど」

「……馬鹿、ミスコミュニケーションにどちらの過失か、なんてあるわけ無いでしょうが。どちらも悪いの。アンタのことを理解しようとしなかった奴も、アンタ自身も」

「アザミは、優しいね」

「ハァ? ボクが? 目でも腐ってるんじゃないの?」


 アザミが奇妙な笑顔を浮かべれば、ミカンはまた口元に手を当てて、クスクスと笑ってみせるのだった。それから、万年筆を置いて、電気を明るくする。

 ミカンをぼーっと眺めていたアザミだったが、立って、とミカンに言われ、おずおずと立ち上がる。


「外の空気が吸いたくなった。少し、司書の人たちと話してみたい」

「あっそ。ボクはついていかないからね」

「たまには、ヒナゲシやアヤメ以外とも話してみても良いんじゃない? 実践練習は大事、でしょう」

「調子が良い奴……腹立つんだよなァ」


 二人揃った姉妹は、そう言って図書館へと戻っていく。歳こそ大きく離れているが、彼女らは、遂に姉妹になったのだ。そこに親子の心配は無く、ただただ、共に人間に怯える同志としての姿があった。

 ミカンの隣に寄り添い、アザミは敵対心を、ミカンは恐怖心を剥き出しにして司書たちに向かっていく。その刃を受け止めたり、鞘に入れたり、司書たちは各々、彼女らを宥めることになる。

 そんな反応も知らぬ二人は、まさしくRPGの勇者のようにして、初めての冒険に挑んでいくのだった。

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