神の降りる空1-4





 夕闇が消えていく。

 あらゆる波長の電磁波の遮断結界――暗黒領域の解除後、爆発によって更地になった住宅街には、ごろごろと人間の死骸が転がっていた。


 自身の手で引き裂いた人間だったものを足蹴にして、スカルマスクは信じられない光景を目にした。

 空が赤く染まっている。

 それはこの世ならざる異界の赤、生命喰らう異界法則の顕現。



――これほどの広範囲が恐怖領域と置換されるだと?



 怪異がそうするように現実とうり二つの狩り場へ引きずり込まれたのかと思ったが、すぐにそうではないとわかった。


 まず草木が枯れてはいない。

 すべての生命が朽ち果てる恐怖領域では植物すらその例外ではなく、かの世界において植物があるべき場所には奇怪なオブジェが転がっている。雑草一本すらその存在を許されず、石灰のように硬化した無機物が転がっているだけだ。


 だが、スカルマスクの視界に入る範囲でも、樹木や草が鉱物のようなものに置き換わった様子はない。

 であれば、これは恐怖領域との置換現象ではない。


 考えられるのはもっと不味い状況――異界が現実に侵食してきた可能性だ。隣り合わせの彼方の世界がこちら側の存在を引き寄せるのではなく、此岸そのものを侵しつつあるとすれば明らかな異常事態であった。

 少なくともスカルマスクが知る限り、このような現象はこれまで観測されていない。


 そのとき、声がした。

 スカルマスクの手でバラバラに引き裂かれた死骸の一つ――辛うじて腹膜と発声器官が無事だったそれが喋っている。


「は、はは……私の想像以上だ、素晴らしい! 正しい儀式すら不要とは! あの少女自身が呼び水となって、はるか彼方より御使いは降りてくる!」


 あのクジャク様と呼ばれていた怪異の死骸と同じだった。カインによる屍肉の操作ネクロマンシー――ある種の精神汚染というべき“感染”以外の、彼の備えた異能力の一つ。


 およそオカルト的な怪現象に通ずる怪物が、カインという群体生命であり、破壊された人体をスピーカー代わりにするのはお手の物だった。

 少なく見積もっても数百年、本人の自己申告通りなら紀元前から生きている怪人である。どれだけの神秘に通じているのか、わかったものではなかった。


 カインは楽しげに笑う。


「ホシノ・ミツキの暗殺を優先しなかった君の判断ミスだ。正しく恐怖領域と繋がったにえを目印に、御使いは産道を降りてくる」

「……」


 言われるまでもなくスカルマスクの失策だが、かといってこの男の言を信じる理由もなかった。

 事前にカインの目的がわかっていたのだから、問答無用で抹殺してしまえば今の事態は防げた――と考えるのも早計なのが困りものだった。


 むしろホシノ・ミツキを殺害した場合、それを起点に別の事象が引き起こされていた可能性も否定できない。常人を遙かに超える年月、存在してきた神秘オカルトの専門家など相手にしたい敵ではなかった。


 いずれにせよ、現在の状況は明らかな異常事態だった。秘密結社〈シャムロック〉ほどでなくとも、エーテルの振る舞いや異界について知識がある組織がこれを検知すれば、何らかの対策を講じる程度に。


 そしてスカルマスクの知る限り、人類は何もせず自己の滅亡を受け入れるほど潔い生き物ではない。

 彼/彼女が想定したのは、現在の人類が保有する最も強力な戦略兵器の名だった。



「カイン……ここでアカシャ爆弾を使わせるつもりか?」



 アカシャ爆弾。

 正式名称は虚空子連鎖崩壊励起装置。大量破壊兵器の総称、ABC兵器においてAの頭文字を司る最大最悪の爆弾の名である。


 世界大戦の最中に開発されたそれは、人類史上最も多くの予算と人員をかけて実用化された悪魔の兵器である。それはたった一発で一都市を焼き尽くし、一瞬で数十万人を死へ至らしめた。


 人類は終末神話に語られる光景を自らの手で作り上げ――その夢を叶えた。

 有限の化石燃料に代わる新たなエネルギー源、この世ならざる場所から引き出される無限のエネルギーを。

 そう、人類は見つけてしまったのだ。



――時空連続体に孔を開ける方法を。



 この兵器の画期的な点は、爆薬によって熱や衝撃波を発生させるわけではないことにある。

 虚空子連鎖崩壊励起装置は宇宙を構成する最小単位であるエーテルを触媒に、これを波動として振る舞わせ、時空連続体そのものに孔を穿つ空間破壊兵器だ。


 開いた孔そのものは時間経過で修復される――アレックス・ゴールドスタインはこれを時空の復元機構と呼んだ――が、重要なのはこの地球が存在する宇宙に対して、異次元からエネルギーを引き込むその作用にある。


 このとき異次元より流入する熱と光は莫大な量であり、わずか数秒、上空で孔が開くだけで地上に存在するあらゆる存在は焼き払われ、跡形もなく消滅する。

 黙示録的光景を地上に顕現させたこの兵器の応用から、今日の人類の繁栄――安定して安価な多量の電力の供給は成り立っている。


 もう一度言おう。

 人類は無限のエネルギーを手に入れたのである。

 平和利用という言葉が薄ら寒い、この宇宙そのものを終わらせかねない方法で。


「同盟国の領土にアカシャ爆弾を無条件使用するほど連邦は狂っていないよ。少しは人の理性を信じなさい」


 こいつにだけは言われたくなかった。


「貴様、友達いないだろ」


 本音だった。

 いずれにせよ、スカルマスクに残されている時間はほとんどなかった。


 スピーカー代わりに喋っている死体の首をひっつかみ、それを片手でぶら下げながら疾走。こうなっては警察や消防がここに駆けつけるのも不可能になるだろう。

 彼/彼女はすべてが手遅れになる前にイヌイ・リョーマを回収し、今後の準備を行わねばならなかった。

 場合によってはソラハラの地の住人ごと消し飛ばす必要がある。

 大勢の人が死ぬことになるだろう。


「生命の誕生は主によって我らが賜った奇跡であり、必ずや成し遂げられる救済が待っている。これはその証明だ。我ら人の歩み、理不尽と不条理に彩られた生命に意味がある」

「無意味に耐えられないのは人間の悪い癖だな」

「わからないな、それほどまでに人を憎みながら守るとはね」


 スカルマスク――かつてネフィリム・ナンバーズの二八番だった“彼”にとって、人間は侮蔑と憎悪の対象だ。それにはいくつかの例外があったけれど、大きな方針転換に至るほどではない。

 だからこれは、一〇年前に得た姿形と人格、ベルカ・テンレンのエゴだ。そのエゴがあるから、彼/彼女は辛うじて人の味方でいられる。

 二八番目のネフィリム体と資産家令嬢ベルカ・テンレン。

 異なるパーソナリティの調和こそ夜闇の死神スカルマスクの正体でありアイデンティティだった。



――つくづく厄介な敵だ、こいつは。



 彼/彼女ではこの怪物を殺しきることはできない。

 そう、今はまだ。


 スカルマスクに引きずられながら喋る死骸――その下半身は路面とこすれてずたぼろになっている――は、平然と自身の語りたいことを喋っている。

 場違いなまでに穏やかな声であり、そこにはスカルマスクへの悪意も敵意もなかった。


「今から君にできることなど何もない、諦めるがいい。アレは我が友アレックス・ゴールドスタインが真の仮想敵としていた存在だ」


 我が友とは笑えない冗談だった。

 ゴールドスタイン、テンレン、そしてカインらの三人の関係は精々、互いが互いを利用しあう悪党の共食いがいいところだろう。


 世界大戦以前から連邦政府の政治・経済に食い込み、地下研究所〈シャンバラ〉では数々の発明を成し遂げ、今や世界経済を牛耳る巨大企業体オムニダイン・グループの創設者にして最高経営責任者でもある超人。

 それがアレックス・ゴールドスタインであり、あらゆる意味での黒幕だった人物である。

 何にでも手を出して成功を収めているせいで、本当に何がしたかったのかは理解しがたい――そういう類の万能の天才だ。

 だがカインに言わせれば、すべては一つの目的の布石なのだという。



「――冷戦期の軍拡もその後の技術拡散も、すべてはいずれ来る降臨者フォーリナーへと立ち向かうための備えだった。私がしたのは少々、その手順を逆にしただけのことさ」



 大国間の軍拡競争を利用して双方のテクノロジーレベルを引き上げ、来たるべき敵の襲来に備えられるまで人類全体のレベルの引き上げる。

 この壮大に過ぎる安全保障戦略こそ、かの人物の真の狙いだったのだ、とカインは語る。


「多少、順番が異なるだけだ――彼の想定通りに進むかはともかくね」


 その見取り図を描いた天才アレックス・ゴールドスタインの死によって計画の全貌は誰にも理解できなくなり、やがて残された遺産だけが凡人たちにむさぼり食われていった。


 世界に根を張るオムニダイン・グループがその支配権を決定的にしたのも、覇権国家の地位を巡って大国間で第二の冷戦が始まったのも、元を正せばゴールドスタインの遺産の流出が原因と言えた。


 その頭脳一つと凄まじい悪意によって前世紀を動かしていた知の巨人の死は、彼の存在を前提にしたシステムを変質させたのである。

 あり得ざる文明の産物オーバーテクノロジーと称されたゴールドスタインの発明群は、そうしてこの世界にとってありふれたものに成り果てた。



「異次元からの侵略者と戦う術を、その侵略者を呼び込むために使う。なるほど、大したお友達だ」



 毒づきながらスカルマスクは自身の記憶を掘り起こす。

 プロジェクト・ネフィリムの仮想敵については、ある程度スカルマスクも把握していた。軍部に対しては冷戦を勝ち抜くための超人兵士の開発計画だと方便を述べていたが、ネフィリム体に搭載された位相変換技術も異界への侵入能力も、現代戦で人類の軍隊に用いるには不要な要素だった。


 使いようによっては強力な手札ではあるが、人の軍隊を相手取るならもっと効率がいい機能があるのは明白だ。

 これら異端科学の基礎研究での大きな発見は、それまで真贋入り乱れる神秘オカルトの領域にあった事象をテクノロジーの域に落とし込んだことである。


 一つはエーテルの観測と操作による、物理法則下での外部への入出力行為。

 一つはエーテル操作を応用した空間破壊兵器による異次元の観測。

 一つはエーテルによって記述された人の霊魂の存在実証。


 現在、脳科学の進展によって人の意識は脳組織のみに由来しないことが判明しているが、異端科学においては人の意識の所在まで突き止めている。

 すなわち、人が魂――体組織に由来しない情報体として虚空子回路を持つことを。ヒトの脳組織を用いた自律演算装置などの異端科学の成果物は、あくまで霊魂の固定に脳を利用しているにすぎない。


 アカシャ爆弾に関連するエネルギーの抽出ノウハウこそ世に出回っているものの、秘密結社〈シャムロック〉の至った、細やかな現象操作技術――魔術と呼んでいい代物――は秘匿されていた。

 その理由は単純で、計画に関わっていた人員も機材もネフィリム体ごと粛清されたせいなのだが。


 閑話休題。

 スカルマスクにとってたしかだったのは、カインのやろうとしていることの意味だった。

 恐怖領域の根源と目される、怪異たちと同質の存在。



「人の魂を喰らう化け物どもを呼び込むつもりか、カイン。神など偽りだ。貴様がアレを主の御使いと呼ぼうとその本質は変わるまい。人の解釈によって姿を変える器、虚構の殻を被る異界からの侵略者――」



 ふとスカルマスクは一つの共通項に気づいた。

 空の彼方より降りてくる異形と目の前の怪人は、共に人間を食い物にする異物だった。

 カインはすでに人間と呼ぶには歪すぎる知性体なのだ。



「――そうか。貴様にとって最も自分に近しい隣人こそ異界の化け物か」



 主に呪われしカイン。

 その哄笑が答え合わせだった。




「もはや何人も逃れる術はない。君の戦いは徒労に終わるよ、スカルマスク」




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