神の降りる空1-1
よかったことは一つだけある。
辛うじて
もう一つ、よかったことを見つけた。
人目の少ない時間帯で助かった。そうでなければ今ごろリョーマはその醜態を衆目にさらされていただろう。
よろよろと立ち上がり、ポケットのハンカチで顔を拭う。寝不足と食中毒を一度に体験したようなひどい気分だった。
小便を漏らして股間が湿っているなんて些細なことだ。
何より最悪なのは――
「……口先だけかよ、俺は」
この一言に尽きた。
自分が何を見てしまったのか、リョーマ自身思い出せない。それについて記憶を探るだけで、ズキズキと頭が痛み出す始末だ。
まったく見ただけで祟られる類の妖怪変化とは洒落が効いている、と茶化さないとやってられなかった。
二度も三度も失禁するのは御免被りたい。
「……追いかけないと、な」
だが、どこに連れ去られたかもわからなかった。
前回のように“赤い空の世界”に運良く連れ去られて生きて帰る保証などないし、虚空に吸い込まれるように消えた――そんなイメージだけが脳裏をよぎった――ミツキが、どこに拉致されたのかなどわかるはずもない。
頭がぼんやりする。身体はふらふらで気分が悪かった。
ペットボトル飲料のスポーツドリンクを自販機から買って、口をつける。よく冷えた甘い液体が喉を通らず、思わず吐き出した。
頭が痛い。
寒気がする。
どうやら自分が発熱しているらしいとわかったが、ぶるぶると震えるほどの寒気が収まる気配はない。
不味い。
変な病気になったんじゃないかと思って、朝食と昼食のメニューを思い返す。食中毒かもしれないが変なものは食べていないし、これはおかしい。
いや、二、三日前の食事が原因かも。
救急車を呼んだ方がいいかもしれない。
支離滅裂な思考で頭が回る。
ベンチの背もたれに寄りかかってくらくらする頭で空を見上げた。
午後の晴れ空。
不意に、視界が明滅した。
――燃えさかる山が見えた。
――朽ち果てたお堂の真ん中で、長い黒髪の少女が、刃物を振り上げた男たちに囲まれていた。
――血しぶきと赤く舐めるような炎が、すべてを覆い尽くして。
――真っ黒な巨影が立ち上がろうとしていた。
それは幻覚だ。
なのに強く確信が持てた――これは、きっと今から数時間以内に起きる現実なのだと。
質の悪い薬物でも摂取させられて幻覚を見ているとでも思った方が妥当なヴィジョンだったが、不思議と先ほどまでの酩酊感や寒気が抜けていくのがわかった。
幻覚の中で見えた山の形状と風景に覚えがあった。
チャットアプリを立ち上げ、ベルカにテキストメッセージを送る。
ミツキがさらわれた旨と目的地の名前、そして自分が夜になっても戻らなかったら警察に通報してくれ、と書き置き代わりに伝えて。
自転車にまたがる。
目指すはソラハラ市東部の臨海公園から北西、とある小高い山である。再開発から取り残された古い民家が存在するだけの寂しい風景が広がる、いかにも地方都市の境界らしい土地だった。
今では使われていない山道を登ると、ほぼ廃屋同然のお堂がある――ヴィジョンで見た風景と条件が一致するのはそこだけだ。
自転車をすっ飛ばせば一時間以内には到着する距離だ。
そのころには夕方になってしまうだろうが、もはや一刻の猶予もなかった。
無鉄砲で馬鹿げた正義感だとわかっているのに、イヌイ・リョーマは止まれなかった。
――ちゃんと一人で死ねるようにがんばりますから。
ホシノ・ミツキの最後の言葉が許せなかった。
たったそれだけの理由で、少年は自転車をこぎ始めた。
進み続けた――どこにたどり着くかもわからない道を、ただ運命に導かれるように。
◆
きいいい、とブレーキ音。
甲高い音が聞こえたときには手遅れだった。
区画整理される前に立てられたのであろう、ごみごみと民家で入り組んだ細い道路――今となっては住人がほとんどいない平屋建て――その横道から突っ込んできた軽トラック。
衝撃。
自転車の後輪にぶつけられたのだと理解する。
横倒しになった車体ごとリョーマの体が吹っ飛ぶ。
不幸中の幸いは三つある。
まずコンクリートの堅い地面に叩きつけられなかったこと、次に落下先が雑草の生い茂る民家の庭だったこと、最後に受け身が取れていて携帯端末が壊れなかったこと。
この三つがそろったのは奇跡的だったし、怪我をしなかったのは強い悪運の為せる業だった。
のろのろ地面から起き上がると見えたのはぐしゃぐしゃにひしゃげた自転車。中学の三年間を共にした愛車はボロボロでどう見てもスクラップだった。
泣きそうになった。
目的地の山まであと一〇〇メートル程度だというのに、今日はとことんついていないなと思いながら顔を上げる。
よろめきつつ立ち上がり、軽トラックの運転手に自分の無事を伝えようとして。
その車体が道路を通せんぼするようにふさいでいることに気づいた。前方不注意で自転車と接触事故を起こしてしまった車両にしては、奇妙に運転手に動きがないのだ。
轢いてしまった相手の安否を確認するなり、一目散に逃げ出すなり、やることなんていくらでもあるだろうに――いや、パニックになっているだけかもしれないと思い直す。
「あの、すいませ……」
声を出して気づいた。
軽トラックの運転席に座る人影――作業着姿の男の死んだ魚のようにうつろな目が、窓ガラス越しに自分を見つめていることに。
呆けているのかと思ったが、すぐに違うとわかった。
その瞳は深海魚のそれのように真っ暗で、それでいて注意深く自分を見つめている。
それは例えるなら、狩猟者の視線だった。
「くそっ!」
本能的に危機感を持った。
理屈で言えばその場に留まるべきだったのに、すぐきびすを返して走った。助けを呼ぼうにも人っ子一人いやしない街並みだった。
おそらくかつては田畑を潰して作られた住宅街だった通りは、今ではほぼ無人の廃墟の連なる街の残骸だ。ボロボロの平屋建ての家屋が密集し、雑草は生い茂り放題で、窓ガラス越しにも積み上げられたゴミがわかるような廃屋が並んでいる。
自動車が普及する前に作られたような住宅街は、道路が細い上に曲がりくねっていて見通しも最悪だ。その上、少し外れれば野山が隣接している。
どこに何が潜んでいるかわかったものではない。
(ひょっとしてここ、すごく危ないんじゃないか!?)
どう考えても危険な状況なのに他人事のように冷静でいられるのは、相次いで異常な事態が起こりすぎて感覚が麻痺しているだけだった。
時刻はもう憂国で、空はすっかり西日のきつい夕焼け空のオレンジ色。
バカに陰影の濃い雲を視野に収め、山道の目印になっている鳥居を見つけて、ほっと息を吐いた。
間に合ってくれよ、と思いながら前に進んで。
視界の端の違和感に気づき周囲を見渡すと、民家の影からぞろぞろと複数の人間が歩み出てくるのに気づいた。
まるで通せんぼをするようにリョーマの行く手を阻む彼らは、手に手に凶器を持っていた。ホームセンターで買えそうな農機具や刃物から、猟銃まで手にしている者もあった。
「……は、はは……待ち伏せかよ……」
現れた人影は性別も年齢も服装もバラバラで統一感がなく、男性もいれば女性も老人もいて、皆、一様に目が死んでいるのが共通項だった。
それは生きている人間のはずなのに、不気味なほど生気がなく蝋人形のように血色が悪い。逃げようと方向を変えるも、反対側の民家からも人影があふれ出してくる。
リョーマは囲まれていた。
しかも逃げ道になりそうな横道はことごとく、横付けされた軽トラックやバンで塞がれている。
これでは自転車が無事だったとしても脱出は困難だろう。アクション映画顔負けの身体能力があれば別だが、生憎リョーマにそんな体力はない。
「マジか」
呟きは集団の足音にかき消されていた。
だらだらと嫌な汗を掻きながら、ゆっくりと近づいてくる集団の顔を観察してふと気づいてしまった。
彼らの顔に見覚えがある、と。
日常生活で見知っているような相手ではない。もっと間接的に写真で見たことがあるような――ああ、と記憶の中の顔写真と一致する顔を見つけた。
一人わかると二人目も三人目も見つかった。
彼らの共通項は単純だった。
警察が公開している行方不明者のリストに載っている顔ぶれだったのだ。
さらに幾人かは指名手配犯の顔写真で見たことがある顔でもあり――事件や事故に巻き込まれた側と、事件を起こして逃亡した側という違いはあれど、彼らは一度、社会から影も形もなく消え失せた人々だった。
明らかに尋常な事態ではなかった。
にゃあ、と鳴き声。
目線を声の方に向けたリョーマは奇妙なものを見た。
おそらく鉄筋さえ入ってない古めかしいブロック塀の上を、猫がとことこと歩いている。
茶色い毛並みの野良猫だ。
ある一点を除いてそれはありふれた動物だった――開かれた猫の喉奥に、人間の眼球が張り付いている以外は。
見間違いだと思いたかったが、喉奥の目と目が合ってしまった。
「……勘弁してくれ」
うめきながら後ずさるも、後ろからも刃物を持った人影が近づいてきているから逃げ場がない。
そのときだった。
場違いな声が聞こえてきたのは。
「――これはこれは。意外なお客さんだね」
声の方に目をやると、リョーマの前方――山道へ続く鳥居の前をふさぐように現れた集団の中から、一人の老紳士が前に進み出た。
場違いな男だった。
まず何の武器も持っていない丸腰だったし、上下の衣服から靴に至るまで身なりがよすぎた。こんな寂れた廃屋だらけの場所には相応しくない程度に。
身長はリョーマと同じほどだが、きちんと仕立てられたスーツ姿で背筋もピンと伸びているから、周囲の虚ろな目をした人々から浮いて見える。
顔立ちは平凡でどこにでもいそうだったが、表情が作り物めいていて不自然だった。
まるで人形を誰かが動かしているようなのだ。
「どうやってここまで来たのかね? 正直、君が釣れる確率は低かったので驚いているのだが」
紳士然とした男が親しげに話しかけてきたとき、リョーマはぴんときた。
その声の調子、抑揚の付け方に覚えがあったのだ。
「……お前がカインか」
「覚えていてくれたか、うれしいよ」
そう言って笑う男の表情は、のっぺりとしていてまるで感情が読めなかった。
そうして言葉を交わす間にも、刃物を持った異様な集団の包囲の輪は狭まっている。
「少し、話をしないかな? なに、君に危害は加えないと約束しよう」
「この状況で逆らう気はないさ」
「賢い若者は好きだよ」
賢くない場合はどうなったのか、考えたくもなかった。
前後三メートルほどの距離に武装した人間がいる、異様な状況だった。逃げ出したくても逃げ出せない中、リョーマに対して男は口を開いた。
まるで回顧録を読むように穏やかな口調である。
「極東は私にとっても縁が深い土地だ。一六万と五〇〇〇人と少し……太平洋戦線では、新大陸で生まれ育った多くの若者たちが戦死した。同時にあの戦争は我々の文明を飛躍的に発展させた。数々の技術の実証実験の場として相応しかったし、勝利のためであればどれだけ巨額の予算を投じてもよかったからね」
「……前の世界大戦か」
「そうとも。
初っぱなから倫理も道徳もあったものではない出だしだった。
つい脳裏をよぎる感想――ここがSNSだったら一瞬でバッシングの嵐になりそうだな――を抱いたが、武装した人間を引き連れた怪人が目の前で口にしていると突っ込む気も失せる。
しかしそれでも、つい口を開いてしまうのがリョーマの性分だった。
「自分とは価値観が異なる人間がいて、そいつらも尊重しなくちゃいけないってのが、俺の知ってる当たり前だけどな」
「そうだね。人の命は尊いモノだ。ゆえにいたずらに弄ぶことは慎まねばならない」
言葉に込められた意味に、この怪人とは対話が成立しない、と悟る。
異常な思想――自身の信じる目的のためには、他者の犠牲は当然のものでありそれは善き行いであるという確信――が根底にあるから、表面上、意思疎通が出来ているようでもカインの側には何一つ響かないのだ。
この分だと自分の生存は相当に危ういと言わざるを得なかったし、カインにとって意味があるならどんな末路を辿ってもおかしくない。
彼にできるのは可能な限り、このおしゃべりの時間を引き延ばす時間稼ぎだけだ。
「まるで見てきたように語るんだな」
「実際に見てきた、と言ったら信じてくれるかな?」
「……何十年前の話だよ」
言いながら、これだけ“何でもあり”だと本当だろうなという気もしていた。仮にそうだったところで今のリョーマにはどうでもいいことだったが。
会話を長引かせるべきなのに、つい本題に入ってしまう程度に彼は焦っていた。
「ホシノさんはどこだ?」
「誤解があるようだ。彼女をさらったのは私ではない」
「隠さなくていい。誰が……何がどうやったのかも関係ない。この先にいるんだろう?」
確信を持ってそう尋ねると、老紳士は顔のしわを歪めて笑った。
「恐怖領域との接触が君を啓蒙したか。千里眼……いや、あるいは未来予知……中々に興味深い」
勝手に納得されても困るのだが、どうやら気を引くことには成功したらしい。会話の主導権を相手に渡していては、いつ打ち切られるかわかったものではなかった。
ゆえにリョーマはたたみかけるように問いを重ねた。
「――イハミノカミの供犠でも今のご時世にやるつもりか?」
イハミノカミとはこの空原の地にかつて存在した土着信仰、空の彼方から降りてくる神である。
その供犠は今でこそ山の神へ捧げる感謝の儀であったとされているが、その源流を辿っていけば、本来の信仰はまったく異なるものだったとわかる。
必要とされるのは巫女が一人。
捧げ物はそれで事足りる。
――神には如何なるものも見せてはならない。聞かせてはならない。嗅がせてはならない。
この世界のすべてを感じさせてはならない――神の依代となった巫女を通してその影響力を封じる儀式、とでも言えばいいのか。
極めて呪術的な思考から生じたであろう儀式は、あまりに陰惨で猟奇的だった。
リョーマが口に出すのをはばかった内容を、カインはすらすらとそらんじて見せた。
「目と耳と鼻を焼き潰し、外界に対するあらゆる知覚機能を削った上で、手足を切除して動物としての運動機能も破壊する――そうして幼い少女を
「……その口ぶりじゃ確信犯か」
すでにリョーマは眼前の怪人の意図を読み取っていた。
如何に現代人の目から見ておぞましいものだったとしても、遠い過去の人間の所業を今の物差しで裁くことに意味はない。
だが、それを時代を超えて今ここで再演するのであれば――それは悪逆たりえる。
「所詮は中世の血なまぐさい人身御供だ。火星に探査機送り込む時代にやるようなことかよ」
「いつの時代、どんな土地でも人の行いは野蛮だよ。宇宙開発を推し進める脇で何百万もの人間へ民族浄化を行うのが、今風の文明というものだろう? 君の生活を支える文明が、世界中のあらゆる場所で行われる搾取の産物であるようにね」
「何が言いたい?」
「君が着ているシャツを織るために劣悪な環境で工場労働に従事させられる人々がいる。君が使いこなす最新の
たとえば本国では違法になる低賃金長時間労働を他国の立場が弱い人間に押しつける――深刻な人権侵害や民族浄化が絡みさえする――サプライチェーンのありよう。
たとえば現代文明に不可欠な工業製品の生産に必要な鉱物資源の購入が、紛争地帯の凄惨な殺し合いの資金源になってしまうありよう。
この男が口にしているのは、ありふれていて、それゆえに普通に生きているだけで必ず関わってしまう悪の形だった。
「……どっちも法規制が進んでるだろ」
「それが徹底されておりいずれ根絶されると、君自身、信じてはいまい? だが、妥協して見なかったことにしている――そう、誰もがそうするようにね。人は誰もが加害者であり罪人だ。例外はなく聖域もない。誰もが苦しむべくして生まれ落ちたのだ」
それはあくまで、最悪の極論であり結論ありきの理由づけに過ぎない。なのに寒気がするのは、目の前の怪人が真実、その世界観に基づいて行動しているからだ。
あまりにも強い確信――人が人を殺す悪の蔓延を力強く憎悪する――ゆえに、この男の悪行には際限がない。
アイデンティティに自他への断罪が根付いた彼の言動は、それぞれの正義などという相対主義的な価値観で許容できるものではなかった。
おそらくカインはこの論理で他者を踏みにじり続けるのだから。
「……仮にそうだとして、だ。今ここで、ホシノ・ミツキをを使ってやる意味は?」
問いかけに対して、カインは雄弁だった。
「――“赤い空の世界”はずっと昔から存在していた。何の意味もなく、ただそこにあった。我々、人類はそれに接触することで数多の神話を作り上げてきたのだよ。この世ならざるものへ捧げる物語をね」
「イハミノカミの伝承も、あの世界に関わりがあるって言うのか」
「そうとも。神話や伝承をなぞる儀式とは、そこに記述された物語を現実として解釈するということだ。それが迷信であろうと真実であろうと、正しい手順を踏めば本物を呼び込む」
手順そのものが意味を持ち結果を呼び込み、人の認識する世界を塗り替える。それは正しくオカルトであり、正しく呪術の思考様式だった。
この場合の本物とは、つまるところリョーマを襲った怪異の同類か――あるいはミツキを連れ去った“何か”なのだろう。脳に刻まれた根源的恐怖で頭がズキズキと痛む中、冷や汗を掻きながら少年は問うた。
「……あんたにとっての本物の神様なのか?」
「もちろん。人は平等だ。肌の色、話す言葉、信ずる神のかたち――如何なる差異と信仰と文化を創り上げようと、森羅万象は唯一無二の
それはおそらくカインの思想の中核だった。
ある種ありきたりの新興宗教、唯一神信仰をねじ曲げたカルト的信仰が察せられる物言いだが、これまでの彼の発言と組み合わせて人物像を組み立てていくと寒気がするほど破滅的なにおいがした。
如何なる悪徳も如何なる悪行も、この男にとっては神の真理へ近づく正しい歩みに過ぎない。
そういう認識の持ち主が、現実に他人をどうあつかうかなど考えたくもなかった。
吐き捨てるように激情がこぼれた。
「……あんなものが、神様であってたまるか!」
「受け入れられないものすべてを
男はニコニコと機嫌良さそうに笑っていた。
かと思うと視線をリョーマに向けて、遊びの時間はおしまいとばかりに笑った。
「さて、君の時間稼ぎはこれで満足かね?」
冷や汗が止まらなかった。
「時間稼ぎ?」
「とぼけなくていい。誰かを――そう、スカルマスクを待っていたのだろう?」
カインは何もかもお見通しらしかった。都市伝説の死神スカルマスクは危機に陥った人間を助けに来るという。
自分でも嫌になるぐらい他力本願だが、今のリョーマにできるのは神頼みとスカルマスク頼みぐらいのものだった。
一度目も二度目もあった。
ならばイヌイ・リョーマは三度目が間に合うことに賭けていた。
「なぁに、私も彼を待っているところで――?」
突然、大きな音が聞こえた。
それは何かが大気を切り裂く音――たとえば近場をヘリコプターが飛んできたときに聞こえるような騒音だった。
不自然だったのは、その音が突如として聞こえてきたことだ。
遠方から近づいてくるにつれて徐々に音が大きくなるのが普通だろうに、その騒音は突然、間近にヘリがあるような距離で発されている。
にもかかわらず空を見上げても、飛行物体は視認できない。
そして。
暗い青が、上空から落下してきた。
避ける暇もなかった。
ぐしゃり、と。
重力加速度に従って高速で自由落下してきたその質量体に、足下にいたカインの身体は一瞬で押し潰され、物言わぬ肉塊となって沈黙。
脊髄反射でびくびくと手足を痙攣させる人間だったものを踏みつけて、暗い青の死神――昆虫を思わせる外骨格、細長い手足、悪魔じみたかぎ爪、髑髏を思わせる仮面――スカルマスクは周囲を見回した。
突然の惨劇に絶句する少年を見咎めると、そいつはひどく冷淡に言った。
「――ここは貴様が来る場所ではない」
到底、友好的とは言えない態度――次の瞬間、スカルマスクはリョーマの身体を抱え上げ高々と跳躍。
一跳びで不審者の包囲網を抜け着地すると、リョーマを地面へ放り出した。
暗い山の斜面、何年も前にうち捨てられた鳥居の前へと。
どしんと尻餅をついたあと、よろよろと立ち上がる。人間を踏み殺した怪人を前にしているのに、リョーマの頭は恐怖や動揺ではなく焦燥感に支配されていた。
(いよいよ感覚が狂ってるな俺)
自嘲するぐらいの理性はあったが、冷静ではいられなかった。
「ここで大人しくしていろ」
スカルマスクの声が聞こえる。
だが、脳裏をよぎるヴィジョンは鮮血と業火の赤を告げていて。
そこにあの少女がいると告げていた。
「悪ぃ、無理だ」
スカルマスクに背を向けて、鳥居をくぐって走り出す。
夕暮れ時の暗い山道を駆け上がる――ズキズキと痛む頭が、悪夢めいたヴィジョンと共にリョーマを導いていた。どちらの方角に何歩進めば、怪我をせずに目的地へ行けるかのかを、ぼんやりと直感が教えてくれる。
彼を呼び止める声はなかった。
ぱん、ぱん、ぱん。
背後で何度も銃声が鳴って。
それどころか爆発音さえ聞こえる中、少年はありったけの勇気を振り絞って走り続けた。
正解などわからない、夕暮れに染まった道を。
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