第141話 武士さんサイドの主張
今回の話は類推による部分が多いので、話半分にお聞き下さい。
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「なんだ!この書物は!!!」
とある領地では豊後で作られた魏武三国志を見て激怒した。
唯才。
才能さえあれば誰でも重用される。
これは逆を返せば、才能がなければ軽んじられるということだ。
さらに豊後の府内では、これに連動して武士以外の仕官も募集し出したという。
とんでもない話だとt氏(匿名希望)は思った。
「そりゃ、才能ない奴が偉くなれるわけが無いじゃないか」
と言われると、実社会ではお荷物になっている筆者の心に深刻なダメージが貫通して入るので、武士さんサイドの立場も書いて置きたいと思います。
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武士というのは家を基調とした思考をする。
自分が死んでも子供や兄弟が跡を継ぐ。
血族が死んでも、優秀な養子が家名を残せばそれでよい。
現代社会では理解が難しいが、武士は家名というものを病的なまでに信望する。
自分が功績を上げれば、例え自分が死んでも主君が家を領地を安堵してくれる。
領主の為に命を捨てれば自分の家は栄えるので、笑って戦で死ねる。
およそ現代人には理解できない精神構造で動くのが、この時代の理想とされた武士像であると、各種の文献を見て推測される。
『命の取り合い』という、生物が一番恐れる行為や死への恐怖。
これを普通の人間が乗り越えるのは難しい。
ベトナム戦争で多くの兵隊が心理的障害を抱えた事からも類推できる。
防御とか生存のため以外で毎年命のやり取りをするとか、殺人が日常な世界でもなければ、まともな精神ではできる所業ではない。
そんな人間らしい制約を乗り越えるため、武士たちは
「自分が死んでも代わりはいる。むしろ無様な姿を見せて先祖伝来の領地を没収されたり追放されることを恐れよ」
と、自分以外の大いなるつながりに価値を見いだす事で、死や殺人よりも恐れる価値観がこの世界にはある。と思想的麻薬をキメるに至った。
人の命は有限でも、子孫のつながりは無限につながる。
…………という建前で武士社会は動いている。
これに英雄願望を加えれば、家のために死ぬことは美徳である。という洗脳殺害マシーンの完成である。
嘘である。
本当は武士だって死ぬのは怖い。
でも、そんな泣きごとを許さない社会を武士たちと殺しの連鎖が構築した。
そして、戦争をしてくれないと困る為政者は、そんな思想的麻薬を後押しした。
軍記物語で勇敢に死んだ勇士を称え、命を大事に逃げ出したものを臆病者と末代まで嘲笑う。
室町時代の中期まで『反乱を起こしたとしても、それは現在の将軍が悪いからで、別の足利一門を当主に据えれば逆賊にならない』という不思議なルールというか価値観とともに、武士たちは独自ルールで己を縛り、どんどんとサイコパス的思想に準じて行った。
子孫が絶えて断絶した家を殿さまが復活させるのも、「血脈が耐えても忠臣の家は養子をとって未来永劫存続させるぞ」という主君からのメッセージであり、自分のために死んだ者たちへの追悼でもある。
自分とは何の縁もない人間が跡を継いで、その男が不始末をしでかせば合法的に家はつぶされるのだが、それでは誰も戦わない。
戦わなければ、戦う奴に侵略される。
互いに生き延びるために殺し合った結果、父や祖父、曾祖父にそのまた先代、兄弟家臣被官までもが命を賭けて散って行ったのが武士と言う種族である。
もはや損失が大きすぎて『一族郎党全員が命がけで戦っているのだから、我が家は偉い』という物語を手放す事が出来なくなっていた。
こうした『既に投資した事業から撤退しても回収できないコスト』のことを埋没費用、別名サンクコストという。
戦国時代の武士とは『もはや取り返しがつかない程の人的資源を失った者たちの末裔』である。
生まれて家の歴史を学んだ時点で、自分達の家は祖先の犠牲と活躍によって成立したものであり、それと同時に多くの恨みと仇を継承させられる。
感覚がマヒしているが『武士の誇り』とは、そんな戦死した血族たちの血の量で彩られているのは間違いない。
それ故に武士は犠牲となった祖先の名を汚さぬために面子を大事にし、死よりも家を大事にする。
それは共有されたやせ我慢であり、武士だけが持つ既得権だった。
それが個人の才能でひっくり返されれば、今までやせ我慢で死んだ祖先たちの苦労は無駄だったことになる。
「とんでもない話だ!これは出版停止に追い込まなければ!」
と平均的武士であるT氏(匿名希望)は表現の自由の封じ込めに動こうとした。
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「案の定、平民には大好評。武士には大不評ですね」
予想通りの反応をさねえもんが報告する。
「まあ、今までの功績貯蓄がふっとぶ考え方ですからねぇ」
と無月さんが言う。
功績貯蓄。
人間の命は死んだら戻らないのだから、功績と言う形でカウントするしかない。経営者さんサイドになると部下の忠誠心を維持するために犠牲者の命も数値で有る程度把握し「ここの後継者はボンクラで放蕩が過ぎるけど、10人ほど戦いで死んでるので簡単に処刑したら、同じような立場の武士が反乱を起こすだろうなぁ。だったら、祖父の名に免じて許しておかないと他の部下が動揺するよなぁ」と、物語に酔っている部下たちとのバランスを取りながら、貯蓄を計算しないといけない。
これが、無限に許されるのなら、それはそれで「俺はこんなに頑張っているのに、祖先の威光の方が強いのか」となってしまう。
武士の間では唯才は適用されるルールである。
だが、その中には農民や一般人は加えられない。
由緒も系図もないような家と武家たる己の家の価値は別物だからだ。
そんな血みどろの和風ノブレスオブリージュ(「noblesse(貴族)」と「obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉。 19世紀にフランスで生まれた言葉。 身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会に浸透する基本的な道徳観)を携えてt氏は府内を訪れた。
見れば、同様に憤った同僚たちの姿も見える。
『丁度良い。内容を見てから家臣一同殿を御諌めしよう』
と言う事で、話はまとまり武士たちは府内の町を並んで移動する。
大友家の城下には、武士たちをあざわらうかのように高札が掲げられていた。
「これか!武士を愚弄する札というのは」
激高したt氏がいきりたつ。
そこには、こう書かれていた。
「唯、才を挙げよ」
忌々しげに武士たちはその言葉を睨む。
そして、その後にこうも書かれていた。
「戦いは武士の本懐。それ故に、民はそれを補佐する才を挙げよ」
「あ…あれ?」
良く読めば、武士は特別。それを農民は助けよと書いてあった。
輸送の才ある者はその才で武士を助けよ。
勘定の才ある者は領主の租税の集計や人足の集人を助けよ。
書の才ある者は武士の言葉を書き留め、伝令の助けとなれ。
そこにかかれていたのは、武士を至上の存在とし、平民が補助するための才能を出す事が求められていた。
自分達の特権を脅かすと思っていた考えだが、どうやら自分達に都合の良い制度だったらしい。
「どうやら、思っていたのと違うようだのう」
「うむ」
「あの殿は奇妙奇天烈な行動が多い故、誤解していたが、少しはまともな所も残っておったのだなぁ」と感じ入る者までいた。
どうやら勘違いだったと言う事で、札を見た武士たちは解散して行く。
それを見て町の住民は内乱の危険は避けられたと胸をなでおろすのだった。
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「うまく行くようですね」
さねえもんが言う。
「ああ、だれだって便利になるのは大歓迎だからな」
武士は戦いが本懐。
ならば、それ以外の地位というか事務的な補佐に平民を進出させればよいのである。
戦場での功績を書く役は武士の誉なので、これは彼らの役だが、だれもがあまりやりたがらない役。
勘定とか輸送とかの地味仕事などおよそ武士らしくない仕事に民間人をあてようというのだ。
こうして、一般人の武家社会への進出が進むとどうなるか?
現代社会で「やっぱり女性の社会進出を止めよう」と言って、全女性の仕事を止めたらどうなるか考えると分かりやすいだろう。
男女平等、雇用機会均等とは言われるが、中小企業の事務職は、ほぼ女性の仕事である。
男性である筆者がハローワークとか派遣で事務を希望しても性別で落とされたからまず間違いない。(偏見)
…田舎だけの傾向かもしれないが。
看護だって女性の比率が大きい。筆者が入院中に出会った看護師さんの男女比率は1:20くらいだった。
病院はまず間違いなく機能がとまる。
このように、人材を採用をするというのは、社会の構成員として必要不可欠な存在にするという事だ。
「民の助けなしでは運営不可な体制になった時、武士たちはどんな顔で彼らの権利を認めるかな?」
と、宗麟は思いながら地味だけど大事な『武士らしくない』仕事を書きだしていった。
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