第118話 一番病

「義父どの。叔父上(服部)には都に登っていただくことになりました」

 その報告を聞いて端正な顔の神官の口元が少し歪んだような気がする。


 ここは国東南東の奈多海岸。

 夏には海水浴客でにぎわい、長い年月を経て縦から横に伸びる松は龍のごとき威容を放っている神域だ。

 雪さんの実家でもあり、史実の宗麟さんの正室 奈多夫人の実家でもある。

 なお、現代だと近くに『カラオケ神社』なる神社があるそうだが、一度くらい行っておけばよかった。


「なるほど。上手く厄介払いできたようですな」

 と笑顔で言う。

 うん。だから、この件は諦めて「でしたら、殿。」


 おまえ、人の心とかないんか?


 まあ、女性を政争に使うのは豊臣秀吉が妹の朝日姫を離婚させて家康に嫁がせたり、豊臣秀吉がお市の次女 江姫を嫁がせた先から無理矢理離別させたり、豊臣秀吉がお市さんの長女 茶々こと淀を娶ったりとかあるので当たり前とは言え、ひどい話である。

 というか秀吉はド畜生だ。


 だったら、この男に政治を任せたら面白いことになりそうな気もするが

「奈多さんは宇佐神宮にかなりヒドい迫害をしたそうなので、絶対にナシです」

 と、さねえもんに釘を刺された。

 奈多さんは、史実だと宗麟に嫁いだ娘が男子を産み、無事外戚として寺社奉行に昇格し、国東の寺や神社、それに宇佐神宮への支配を強めたという。

 その中で、元大宮司の到津公澄を誅殺したり、宇佐宮末社司宅を放火したり、 安心院公糺領を押領して、宇佐宮から『無道の張行 、天下希代の悪逆』と訴えられている感じだ。

 うん。やっぱり、任せられない。


 秀吉の場合、外道な事もやってはいるが、天下統一という平和な社会を作った功績はあるので、まあ認めなければならない部分はある。

 だが奈多さんの場合も国東から宇佐の掌握はできたようだが、もう少し穏便な手でいって欲しいものである。


 さらに言えば怖い奥さんも勘弁なので、大人の対応を取ることにした。だが

「いやいや。叔父の妻を奪ったとあれば他家への覚えも悪いし、子孫が笑われます」

 と言えば

「でしたら、

 と平然と答えてきた。


 すごい。人間と話している気がしない。

(※本策はフィクションです。実際の奈多鑑基さんはここまでの外道ではないと思われます)

 人道とかモラルのかけらも無い言葉に不退転の覚悟を感じるが、却ってヤバさしか感じない。


 SAN値が削られる会話を7回ほどかわして

「そこまでして、義父どのは何をなさりたいのですか?」

 根負けして、ストレートに聞いてみた。大友家の発展という建前はいらない。

「血の乾きを癒す事ですな」

 血?

「我が奈多家は一度断絶しました」

 ん?

「そこに大友家の乗っ取りを企み、失敗した我が父 宗心がこの奈多姓を給わり、領地を得ました」

 んん?

 何かトンデモナイ生い立ちを語り始めたぞ?


「私は山口で流浪の生活を続ける父が嫌いでした。主君に仕え、忠義を尽くせば安心した生活を送れたろうに、何故身に余る野心をもつのか?と」

 んんんー????


 ちょっと待て。


 頭が混乱してきた。

 助けてさねえもん。と振り向くとさねえもんも頭を抱えていた?どしたん?

「大聖院宗心というと生没年未詳。13代大友家党首 大友親綱の6男です」

 へー、大友家の親戚なんだ。で、どんな人だったの?

「1495年に讒言で大友家党首親子の大友政親と義右の死亡に関わり、大友家を断絶させ、大友家を乗っ取ろうとしたと言われる人です」


 バリバリの危険人物じゃねえか。


「1497年に戦に負けて山口に逃亡した後、大内の傀儡として1518年まで大友家乗っ取りの野望を捨てなかった男と言われているのですが、それ以降の所在は不明な人物なんですよ。まさか奈多家の領地を貰っていたとは…」

 え?それ史実なの?

「ヨタ話だと思って無視してたのですが、奈多鑑基の父は宗心。大聖院と同名です。おまけに大聖院自体は1497年以降に山口を離れていて記録がないんですよ。家を乗っ取るつもりだったなら大内輝弘さんみたいに子供が生まれてても不思議ではないし、1520年以降の足取りは不明だから、豊後に領地を貰っていたとしても絶対違うとは言えないんですよね」


 歴史の不明点を突いた、斬新すぎる説を採用した歴史小説みたいな話なのだが、これがこの世界線の史実らしい。


「……話を続けてもよろしいか?」

 アッハイ。

「父は全てにおいて己が一番でないと気が済まない人でした。罪を許され奈多に着いた今でも大友家当主の座に関わりたい一心で雪をお送りしましたし、服部家にも嫁がせました」

 大友家を今度は婚姻で取りこもうと言うわけか…。

 というか、まだ生きてるの?

「はい。当年で79歳となりますが、今度は武蔵田原家に我が次男を養子に送り領地経営に口出ししております」

 化け物というか武田信虎みたいな妖怪だなぁ…。

「私は父を見て、この奈多の地で静かに生涯を終える予定でしたが、心の奥で声が聞こえるのです」

 そう言うと、狂気を帯びた目でこう言った。

「大友を武家の棟梁に押し上げろ。九州を股に掛け縦横無尽に駆け回れ。と」


 うん。たぶんそれ幻聴だから病院行った方が良いよ。と言いたかった。



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 なお、

「よく考えたら、親綱さんが1459年に死亡してて、奈多宗心の墓が1561年に建立されてるんだから、すべてが正しいとすれば100歳越えて死んだことになるんですよね…」

 という事に気がつきましたが、90歳以上まで生きてた戦国武将も数名いるので100%違うとはいえないということで、ヨタ話につきあっていただければ幸いです。

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